原作 |
バロン・ド・ドノン “ポワン・ド・ランドン” |
監督 |
ルイ・マル |
脚本 |
ルイ・マル / ルイ・ド・ヴィルモラン |
キャスト |
ジャンヌ・モロー |
アラン・キュニー |
ジャン=マルク・ボリー |
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配給会社 |
ー |
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ジャンヌ・モローが『死刑台のエレベーター』の監督、ルイ・マルと再度組んだ作品。
ここでジャンヌが扮するのは社長夫人。役名は自分の名前と同じ「ジャンヌ」。ジャンヌは夫に不実を働き、情夫と逢瀬を重ねている、と書けば、誰もが『死刑台のエレベーター』と同じだと思うだろう。だが、ここではジャンヌは夫殺しもしないし、かといって情夫と別れるわけでもない。最後にジャンヌは出会ったばかりで素性もよくわからん考古学者と旅立っていくのだ。
と、ここで『死刑台のエレベーター』で彼女に魅せられた男たちは、なんであのジャンヌがそんな男とできちゃうの? と思うだろう。実は、そこには一夜の「情事」が介在しているのだ。だが、さらに男たちは疑問に思うだろう。なんでジャンヌともあろう女がたった一夜の情事くらいで男に揺れ動いてしまうの? と。いったいそれはどんな情事なのか……。
この映画でのジャンヌ・モローは、昼間はシャネルのスーツを着ている。シャネルといえば、女性の独立的精神を象徴するブランドであるし、実際、その服のデザインは、男の手を借りなくても自分で着て、自分で脱げるという機能性を特徴としているわけだ。しかし、そのシャネルの精神をも超えて、この「情事」は、ちょっとそこらにあるものとは訳が違う。
モノクロの画面の中、ジャンヌは白い寝衣姿で男と2人、月夜の森をさまよう。静かに回転する水車は水滴を月光の中に跳ね、2人を乗せたボートはおぼろな木陰を映した水面を音もなくすべる。そして2人は、闇の中の水風呂に入り、はしゃぎあう。「片目で眠りながら降下を管制する」人物―コクトーの言う詩人のみが見る、夢のような情事とでも言おうか。
『死刑台のエレベーター』でジャンヌ・モローは夜のパリをさまよい歩いた。まるで少女時代を奪い取られたままに女になってしまったような、無表情の女だった。だが、同じ夜であっても、ここでのジャンヌ・モローはしなやかで自由だ。あたかも失われてしまった少女の時間が、夜と月と水の魔法で戻ってきたかのようだ。長く、けだるい、官能的な魔法の時間が続く。
だが、この時間も、夜とともに終わりを告げる。朝が来て、ジャンヌは考古学者と旅立つが、彼女の表情には幸福が終わってしまった諦念が表れている。
ジャンヌは夜にしか生きられない。だが、ジャンヌが生きた夜ほど、甘美で官能に満ちた夜が他にあるだろうか?
ジャンヌ・モローのモノクロームの月と水の夜をとらえたのは名手、アンリ・ドカ。思えば、コクトー原作による傑作『恐るべき子供たち』の撮影もこのキャメラマンによるものであった。
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