原作 |
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監督 |
パク・クァンヒョン |
脚本 |
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キャスト |
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配給会社 |
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トンマッコルの村には、相手を傷つけるという概念がない。武器を持って戦うなどということは、まったくもって思いもつかない。多少の諍いや皮肉の言い合いくらいはあるが、悪意をもって相手に決定的なダメージを与えるなどということがない。いわば天国のような村なのだ。
一方、戦争という行為はその真逆だ。目指すは敵国を支配することであり、そのためには相手に再起不能のダメージ、“死”を与えることすら正当化される。正当化どころか、そのことがさも素晴らしいことであるかのように、尊く素晴らしい行為であるかのように謳われる。地獄そのものだ。
そのトンマッコルの村に、敵対しあう兵士たちがそれぞれ足を踏み入れる。光り輝く天国に、どす黒い地獄が入り込むわけだ。
善と悪はその勢力を二分するもので、それぞれの力はフィフティフィフティである、という意見がある。天国の住人である神や天使と言われる存在と、地獄の住人である悪魔と言われる存在とは、その力量が同じだという説だ。だが、果たしてそうだろうか? 悪とは、光と影でいうところの“影”であり、光が当たらない部分が影になっているだけのことだ。影を作り出す黒い光源があるわけではない。光を遮ったとき、初めて影が出現するだけの話だ。こう書くと、「物にはすべて影がある。影のない物体などない」と反論されそうだ。だが、影のない物体は確かにある。それは何か? 電球や太陽など、自らが光源である物体だ。ここには影などない。ただその身を光り輝かせている存在なのだ。悪には力など実はなく、そこに善が存在していない、それだけのことにすぎないのだ。
たとえ一瞬、悪の勢力が勝っているかに見える状況であったにせよ、いずれそれは善の光で覆いつくされる。勝負は最初から決まっている。そんなことを改めて認識させてくれるそのメッセージ性に、止め処もない涙が溢れた。
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