原作 |
『盗まれた街』 |
監督 |
オリバー・ヒルシュビーゲル |
脚本 |
デイビッド・カジャニック |
キャスト |
ニコール・キッドマン |
ダニエル・クレイグ |
ジェレミー・ノーサム |
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配給会社 |
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家族や友人が、ある日を境に別人になったように思える恐怖。外見は何も変わらないのに、その発言や行動が明らかにオカシイのだ…。1955年に出版されたSF古典小説『盗まれた街』は過去にも何度か映画化され、時代の持つ問題点を浮き彫りにしてきた。最新リメイク版である本作は、オスカー女優のニコール・キッドマン、そして『007/カジノ・ロワイヤル』をシリーズ最高傑作の座に押し上げたダニエル・クレイグという、実力派スター2人の競演に目を見張る話題作だ。
この世になぜ、善と悪が存在するのか? なぜ人間は、ときに悪なる行為を選ぶことができるのか? 自らへの利益が他者の不利益となるのなら、自らの利益を諦めることは善で、他者の不利益を省みないことは悪とされる。自と他が別の存在である以上、我々は様々な局面でこの“選択”に直面する。確固たる倫理観や道徳観、正当な宗教観などを持って臨めば、多くの場合、我々は善なる道を選ぶことが可能だ。だが、誰も見ていなかったり、人生の岐路を分かつ問題に直面したり、あるいは権力や名誉、支配欲、独占欲、嫉妬など、そうしたネガティブな感情に支配されたとき、ともすると悪を選んでしまうことがある。「よりよく生きたい」という本来人間が持つ本能が、自らのみに作用した結果だが…これは人間の“弱さ”そのものでもあろう。坂道に置いた石が転げ落ちて行くように、何もしなければ重力に従って下へ下へと落ちて行くのがこの世の法則だ。“人生の重力”に抗えない瞬間が、誰にだって一度や二度はあるだろう。
だが、善と悪を“選ぶ”という行為を迫られるからこそ、善を選択することは尊いのだ。それが困難なことであればあるほどその行為は尊く、やりがいがあり、賞賛にも値し、充足感も得られよう。だが、もともと善しか選べない心しか持っていなかったらどうだろう? 機械的に、そして受動的に、何の苦もなく善を選ぶ体だったとしたら、そこに何の尊さがあろう? 何のやりがいがあろう? それで生き永らえたとして、人生の醍醐味や人間としての成長が、一体どこにあるだろうか? テストの答えを丸写しして100点を取ったところで、その点数に何の意味があるだろうか?
「もしも神様が本当にいるのなら、世界に悪など存在しないはず」という考えを耳にすることがある。だが、神は悪を創りだしているわけではなく、人間の“選択”によって悪が生みだされているだけではないか? 善も悪もどちらも選べる状況において、自らの力で善を選び取ること。能動的に、自らが善となること。それをこそ神は望んでいるのではないか?
そんな善悪論を深く深く考えさせられる、含蓄のある作品である。
・公開 10月20日(土)、渋谷東急系にて全国ロードショー
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