原作 |
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監督 |
ヤン・ヒンリック・ドレーフス、レネー・ハルダー |
脚本 |
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キャスト |
ウラジーミル・アンドレイェヴィチ・ピリペンコ |
アーニャ・ミハイロヴナ・ピリペンコ |
イルカ号 ほか |
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配給会社 |
パンドラ |
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ときは現代ウクライナの寒村。退役軍人として年金で暮らすピリペンコさん(62)。彼は自作の潜水艦を作って黒海に潜ることを夢見て、貯めた年金を切り崩し、古い部品を集めては30年間も潜水艦作りにふける。家族の嘲笑を一蹴し、村人からも変な目で見られながらも、風変わりな友人たちの手伝いもあり、ようやく緑色の不細工な潜水艦を完成させる。
近所の沼で試運転を済ませ、ピリペンコさんはコルホーズ(集団農場)から借りたポンコツトラックに潜水艦を乗せ、旧友のセルゲイとともに400キロ先の黒海をめざす。はたしてピリペンコさんの潜水艦は無事黒海に潜る事が出来るのか。つーか、それ以前に黒海に着く事が出来るのか(笑)。くそ真面目に馬鹿なことを続けるおちゃめなオッサンたちの珍道中がはじまる。
さて、この映画は「ドキュメンタリ」というスタイルではあるけれど、見ている途中でこれは果たしてノンフィクションなのか? もしかしてフィクション? と、観ているほうが混乱するほど、ピリペンコさんやその家族、友人たちが自然に「演技」していることに驚かされる。意識しない動作やセリフなど、彼らは「カメラ」の存在をまったく忘れているかのように立ち回る。その功績はもちろん、監督であるヤン・ヒンリック・ドレーフスと、レネー・ハルダーの若いふたりのドイツ人の功績だろう。そう、実はこの作品は「ドイツ映画」だったりするのだが、ともあれ、自然な「演技」を観せるピリペンコさんとその一味(笑)。訪ねてきた人に「なんで潜水艦なんか造るんだ?」と訊かれ、納屋の中に山積みにされた30年ほど前の旧いスポーツ雑誌に掲載された、小さな潜水艦のチャチな図面を誇らしげに見せて、これがやりたいと大まじめに答えるオッサン。それへンだろ、アブナイだろ?とは言わずに、大まじめに雑誌を眺める人たちをはじめ、この作品に出てくる「オッサン」たちは、みんな超真面目なのに、どこかネジが数本ヌケているような感じがして、とてもほのぼの。
ピリペンコさんの潜水艦が、近所の沼で試運転をしたときにみんなでお祝いしてくれたり、ピリペンコさんとセルゲイが黒海に行くためのポンコツトラックを貸してくれたり、なんて言うのか、みんなスゲーいい人勢ぞろい。村全体がいい人集団で、無謀とも思えるピリペンコさんのチャレンジを生ぬるく見守っている、その中途半端な距離感が素晴らしい。深過ぎず、浅過ぎず、大人の礼節を守った、みんながちゃんとした大人なんだろうなあと思う。
村そのものは農業や、沼でとれた魚を売っての生活で、とても豊かとは言えない。そういう姿もこの映画はしっかり捉えている。現代とも思えない旧い車にぼろぼろの家。シャワーすらまともにありゃしないし、娯楽といったらテレビだけ。パソコンもメールも携帯電話も無縁の生活だけど、みんなが楽しくゆったりと生きている。その中でもとびきり楽天的でスットンキョーなおっさんがピリペンコさんなのだ。
後半のセルゲイとピリペンコさんの黒海行きは、下手なロードムービーなんかぶっ飛ばす面白さ。イベントもアクシデントもほとんどないのに、ナニこの面白さ。ナニも無いだらだらした道行きで交わす2人の会話のなかで、ときどき覗く人生や運命へのウンチクや含蓄にハッとさせられたり、心を突き動かされたり。スクリーンを観ているだれもが、目を離せず聞き耳を立てて集中してしまうのだ。
そして黒海に到着してからの超ダラダラとした展開と、はっきりとは描かれないけどなんとなくわかるその結末。オッサンたちバカじゃねえかって、現代風のワカモノ達に笑われながらも、ヘーゼンとタバコをふかす、シワの刻まれたオッサンたちの姿に、ああ、人生って経験がスゲエ大事なんだなあとつくづく思う。国も言葉も違うけれど、オッサンたちの行動や言葉が、さりげなく我々の中にしみ込んでくる。
クスクス笑いながらも、彼らの貧しくても生き生きとした姿、馬鹿馬鹿しい事でも一生懸命な姿に、映画館出るころには羨ましく感じてしまう。ああ、あんなふうに暮らせたら、あんなふうに歳を重ねることが出来たらどんなに素敵だろう、と。これはきっとそんな映画なのだ。だからドキュメンタリでこれは正解なのだ。フィクションではない重みが、ココにはある様な気がする。
11月14日、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
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