原作 |
吉田篤弘『つむじ風食堂の夜』(筑摩書房) |
監督 |
篠原哲雄 |
脚本 |
久保裕章 |
キャスト |
八嶋智人 |
月船さらら |
スネオヘアー、下條アトム、田中要次、芹澤興人、生瀬勝久 |
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配給会社 |
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「食堂」という響きには、何やら懐かしいものがある。味を突き詰めたレストランでも、時間を切り売りするファストフードでもない、食堂。某チェーン店のように、チケットを買って席で待ち、店員と口をきかずに料理を食すことができる食堂“風”の店ではなく、母や姉に頼むかのように店員さんに直接注文し、そしていわゆる家庭料理が食べられる、食堂。外にいながらも、まるで自宅にいるかのように気を使うことなく、少しばかりだらしのない自分をさらけ出したって安心して食事ができる、食堂。外食なのに外食じゃない、外食と内食との中間のような存在、食堂。そんな居心地のいい「中間」を、あたたかなタッチで描いた映画が本作である。
十字路の角にぽつんと佇む、つむじ風食堂。毎夜集まる常連客といえば、古本屋の親方、果物屋の青年、不思議な帽子屋さん、舞台女優の奈々津さん、そして人工降雨の研究者である優柔不断な主人公。彼らと日常会話を交わしたり、ちょっとした出来事を通じたりしながら、主人公は過去の、そして未来の自分と向き合うことになり……。
本作にはっきりとしたなんらかの「答え」があるわけではない。「食堂」のようにそれは「中間」に位置づいているのだ、……答えを出そうとも出すまいとするわけでもなく。それぞれのなんともない日常会話が綿飴の糸のようにふわふわと紡ぎだされ、彼らの日常を、そして日常の積み重ねである人生を形作っていく。外から見たらそれは綿飴の形をしているが、口に入れた途端に一瞬で溶け出し、原型をとどめない。だが、確かに甘い甘いその味は口の中に残る。そんな不確かな、だけれども確かなその味わいこそが、本作の真骨頂なのだ。
ともすれば、答えを出すことに汲々としながら生きている現代人。だが、答えを出さないことが答えであることだって、立派な答えなんではないか? そんな心地の良い曖昧さを、本作は教えてくれる。疲れたときにこそ勇気を持って立ち止まって、本作の「中間」に身を委ねてみたい。なんの変哲もない日常にこそ、幸せはきっと潜んでいるのだろうから。
11月21日よりユーロスペース他全国順次ロードショー
(C)2009「つむじ風食堂の夜」製作委員会
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