原作 |
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監督 |
アルフォンソ・キュアロン |
脚本 |
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キャスト |
クライヴ・オーウェン |
ジュリアン・ムーア |
マイケル・ケイン |
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配給会社 |
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いわゆるSF映画の近未来の様相といえば、発達したハイテク機器のオンパレードだった。空中の透明チューブの中を卵型の車が高速で行き交うので、交通渋滞はない。自宅の家電はすべてオートマチックで、食事作りや洗濯、布団干しまで手を触れずに自動で行える。
腕にはめた小型の電話機からは自宅の電化製品のリモートコントロールができるので、長期不在にしながらペットの世話が可能。職場ではロボットが軽作業を行い、人間たちは特殊な装置を耳にかけるだけで直接コンピュータを操作し、指でキーボードを叩く必要はない。帰宅してからの入浴もオートマで、装置に入るだけで体のすみずみまで洗ってくれる。もちろん、食事も自動で用意されている。…と、至れり尽くせりの未来を描いたものが多かった。
だが、本作は違う。多少、現代より発達したであろう機器は顔を見せるが、ほとんどが現代とさほど変わらない。 “2027年”という、今から20年後の未来の様相を、誇張することなく描いている。現代に多少毛が生えた程度の描写に抑え、仰々しく未来をデコレーションしていないのだ。
“子どもが誕生しなくなった未来”というのも、なかなかリアルな設定だ。実際、環境ホルモンによる不妊症が問題視されてはいるが、それらに関心を持って危機感を抱いているのはごくごく一部の人たちであろう。壊滅的打撃を及ぼす原因は、我々の意識しないところで徐々に進行しているのかもしれない。そしてある日突然、再起不能のダメージを人類に与えるのだ。
人類全体が危機的状況に陥っているというのに、国家同士は戦いをやめない。時を経て愛を学ぶわけでもなく、自分たちさえよければいいという考えのもと、無意味な殺戮は繰り返される。このまま行けばそうなるだろうという悲しい現実さえ、実にリアルに表現されている。
そんな不毛な未来にしてはいけないという反面教師的意味合いも含んだ、深い深い作品が本作だ。キーマンとなる少女の設定も、各シーンの緻密さ、重厚さも一筋縄ではいかず、すべてにおいて“人間”というものを深く考えざるをえない。まさに珠玉の一品なのだ。
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