原作 |
東野圭吾 |
監督 |
生野慈朗 |
脚本 |
ー |
キャスト |
|
配給会社 |
ー |
|
弟のもとに毎月届く手紙は、自分を大学にやるための学費欲しさに人を殺してしまった兄からのもの。刑務所からの手紙のやりとりを通じ、弟が受ける様々な困難、加害者の家族も被害者であるという生々しい現実、兄の罪と罰、そして真の意味の更正を描く感動作だ。罪とは、罰とは、そして真の意味の更正とは何か。陽の当たらない部分の本質を鋭く抉り、淡々と描きだす社会派人間ドラマである。
たとえ血がつながっていようと、家族は自分自身ではなく、別個の人間である。罰は犯人のみが受ければよく、その家族は罰のとばっちりをこうむる必要などないという考えもあろう。だがこの世界は、機械でもロボットでもなく“生身”の人間が住む世界である。家族や親戚関係、会社での上司・同僚・部下の関係、お客様や取引先との関係、子どもが通う幼稚園や学校などでの父母との関係、恋愛関係等々、互いが互いに影響を及ぼしあい、複雑に絡みあっているのだ。
人間関係は網に例えることができる。我々一人一人は網目の交点であり、必ず他の網目と繋がっている。各々の網がいくつも集まり、社会という大きな網ができあがっているのだ。ゆえに、一つの網目に力が加わると、隣接した網目もそれに引きずられていく。かかる力が大きければ、広範囲にわたって歪みが生じるのだ。関係性の薄い網目なら、そこから離れて悪影響から逃れることも可能だろう。だが、“家族”という網目からは逃れられない。血の繋がりは決して消すことができない、逃げることなどできない関係性だ。自らが悪に手を染めたが最後、それは自分の大切な人を、終わることなく傷つけ続ける。
いわゆる“泣かせる”シーンで、ピンポイント的に泣く映画はたくさんあるが、本作はすべてのシーンが積もり積もったその先に、とめどもない感動の涙が心の奥深くからこみ上げてくる作品だ。人間は神ではないのだから、犯罪とまではいかなくとも、ある程度の間違いは誰でも犯す。そういった意味で、人間として生きる我々にとって必見の作品なのだ。
|