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うららの愛Camera
ボディは、Canon EOS-1D Mark III
レンズは、Carl Zeiss Makro Planar T* 2/50 ZF.2
絶対買うぞと決めた夢のカメラとレンズ!!
写真家・中村うらら(前編)
2014 / 01 / 14
連載を開始してから2回目の新年を迎えます。今回は新年最初ということで、なんと私自身が登場しちゃいます。前後編でカメラとの出会いと愛機を紹介しますので、よろしくね!
まずはまさかの“カメラ嫌い”だったおはなしからどうぞ!
——カメラとの出会いを教えてください!!
うらら:カメラは好きじゃなかったんです。カメラマンが嫌いだった(嘘)。
3歳のころに、白い箱に入れられ可愛い服を着せられて「名前を言いなさい」、「笑いなさい」とか言われて……。
防音の分厚いドアがしまる音が大嫌いでした。
いわゆるモデル事務所の子供モデル育成所だったんです。
写真を撮られるのが本当に苦手で、ある時、自分でスポーツ刈りのように髪の毛をばっさりと切ってしまった。そしてスカートも履かなくなった。
これはまずいと両親も思ったようで、モデル事務所に行かせるのをそれから止めたらしいです。
そんなことがあって、写真を撮られることが嫌いになってしまったんです。
中学の時にもスカウトをされたんですけど、自分には笑ったり喋ったりすることも、そして写真を撮られることも苦手だったので、断ってしまいました。
学生のころは体の調子も良くなくて、ほとんど修学旅行など学校行事に参加できなかったんです。どちらかといえば、家や病院で過ごしていた時間のほうが多かった。思い出が欲しくなかったし、あのころを思い出したくなかったので、写真はほとんど残っていません。
こんなマイナスな考えでは自分は終わってしまうと、自分を変えるために27歳の時、オーストラリアにワーキングホリデーを利用して行きました。そのとき、旅費だけしかなかったけれど、働いてどうにかすると心に決めて旅立ちました。
人生初の綱渡り状態。シドニーに着いたその日にインドネシアのファミリーの家にシェアハウスを決め、次の日には働くお店を決め、その次の日から働いていました。そして、自分の10か条として「日本人と接しない」、「日本語を使わず英語で喋る」などと決めていたんですけど、バイト先が日本人オーナーのお寿司屋さんだったので、同じくワーキングホリデーを利用して来ている日本人だらけ(笑)。10か条はどこえやら……。そこですこしお金もたまったので、お寿司屋さんを辞めてシドニーにからメルボルンへ向かいましたが、メルボルンは“大人の街”だったので、私には無理でした(笑)。
再びシドニーへ戻って、今度はインドネシアのファミリーが経営しているお店でなんとかバイトさせていただけることに。その時に、スペインの情熱的なおじいちゃんに出会ったんです。町をふらふらしてると毎日会うんですよ(笑)。娘のように思われて、いろいろとお世話になりました。それまで、あまり笑っていなかった私に笑顔を与えてくれたのが、そのおじいちゃんでした。そのときは、死神にとりつかれたような顔をしていたそうです。ぼーっとしてると、「スマイル何処忘れてきた?」 とか、スペイン人ジョーク(?)などで笑わせてくれた彼から、たくさんラブをもらいました。それから、人嫌いになることを止めよう、と。
そんなおじいちゃんが、出会ってから6年後、病気で他界してしまいました。
連絡をもらったときは、家族以上に思っていたので、そのときはどうしたらいいかわからなくなって……。それからしばらくして、再びオーストラリアに。もうおじいちゃんがいないことを確認したら無性に涙がとまらなくなって、海にむかって「なにもおかえし出来ずにごめんね〜」「いろいろありがと〜」と叫びました。彼からもらった、ラブとスマイルを忘れないようにしようと、その時に思いました。それを伝えるのが私が彼にできる恩返しだと。
——それからどのようにしてカメラと出会ったんですか?
5年くらい前のことなんですけど、家族が買ったきり使っていないコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)があったんです。使っていないので当然、埃をかぶっていました。そんなときにカメラが「写真撮ってよ〜なんで撮ってくれないの?」って私に話しかけてきたんです! カメラが私のことを呼んでいた(笑)。
私の部屋から見える朝焼け、夕焼けがすごく綺麗だったので、試しに、そのカメラで夜景を撮ってみたんですよ。そしたらその写りにすごく感激して。デジタルカメラってこんなに鮮やかに写るんだって!
実はそれまでカメラは「写ルンです(レンズ付きフィルム)」しか使ったことなかったんです(汗)。それからカメラを持ち歩くようになり、まず趣味になりました。自宅で作った料理も撮影するようになっていて、しらすをいただいた時、とてもしらすがきれいだったのでラップに包んで電球にあてて撮ったりして「きらきら生きているみたい」って。手作りシュウマイをいただいた時はお花のようにみえたのでお花に見えるように演出して撮影したり、そういう面白い写真を撮ってみせると、みんながげらげら笑うんです。それが楽しくて、どんどん演出して撮影していました。
綺麗な風景写真と自分で演出した面白い写真とでフォトアルバムを作りました。それが好評で、知人から定期的に見せてって言われるようになりました。
話は飛びますが、そのころ、腰が悪くて接骨院に通っていたんです。そのとき、膝を治療していたおばあちゃんに会いました。治ったらあんな場所、こんな場所に行くんだと毎日治すために必死に通院していましたが、ある日、あまりの痛さに大学病院で調べてもらったら膝が壊死していて、年が年なので手術ができない、治らない……と。夢も希望も一瞬でなくしたおばあちゃんは、家から出てこなくなりました。家が近かった私は、食料を届けたりと様子を見に行っていましたが、何を言っても「もう死ぬだけ」、「片足をお墓に突っ込んでしまった」などとマイナスなことばかり……。どうしたら、笑ってくれるのだろうって……。
たまたま、さきほどお話した、綺麗な風景写真と自分で演出した面白い写真のフォトアルバムを持っていき見せたところ「あんた本当にばかだね〜」って笑い出したとおもったら、泣きだした……。そして「私もまたこんな素敵な景色を見られるかな……」って、ちょっと元気になったようにみえました。
私は「また、写真を撮って見せにくるから、私もがんばるから、おばあちゃんがんばろー」って。
そのとき、私は写真の神様に感謝しました。
<趣味となったカメラがいかに生業となっていくのか。お気に入りのカメラの話とともに、後編へつづく>
Canon IXY DIGITAL 910 IS
Canon IXY DIGITAL 910 IS
Canon IXY DIGITAL 910 IS
プロフィール
中村うらら(Urara Nakamura)
神奈川県生まれ
現在、フリーランスフォトグラファーとして活躍中。
2012年、APA AWARD 2012・広告作品部門・入選
2013年、APA AWARD 2013・写真作品部門・入選
公益社団法人日本広告写真家協会 正会員
< PHOTO EXHIBITION >
2010年
渋谷 アップリンク「 写真一夜 」
戸越銀座・フォトカノン 「サンバルとティンブル村」
2011年
monochrome IV 「絞り開放」展 Gallery E&M 西麻布
monochrome V 「Self - Portrait 」展 Gallry E&M 西麻布
2012年
monochrome VI 「TOKYO」展 Gallery E&M 西麻布
monochrome VII 「Snap shot “flaming 2:3”」展 Gallery E&M 西麻布
新宿・大阪・梅田 ニコンフォトプロムナード 「女性写真家3人展」
いただきます写真絵巻展
公益社団法人日本広告写真家協会 新鋭展 http://www.apa-japan.com/news/2012_05.html
2012 BALI deep http://www.balideep.jp
2013年
monochrome VIII 「Rain」展 Gallery E&M 西麻布
2013 BALI deep
monochrome IX 「Night」展 Gallery E&M 西麻布
< BOOK >
日本カメラ社:おいしい写真のレシピ
池田書店:裏通りのちいさな飲み食い処がおしえる やさいのおつまみ
東西社:おうちで作れる極上パスタ 83
公式HP: http://urarara.com
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エンタメ : うららの愛Camera 記:中村 うらら