シネマピア
オーメン
ホラーとコメディが同義語になって久しい。…と言っても私の中だけの話しだと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。ホラー大作『オーメン』完全復刻版のマスコミ試写会で、高らかな笑い声が響き渡った。それも劇中のシリアスなシーンで、山場でもあるおどろおどろしいシーンで、である。
悪魔がこの世を支配すべく、人間の子供の姿で出現する…そんなリアリティに満ちたストーリー性を携えて1976年に登場するや否や、欧米はおろか日本をも震撼させた『オーメン』が、2006年6月6日、すなわち3っつの6の数字「666」を呈するこの日に、再びスクリーンに甦る。
この「666」の数字は、キリスト教圏では黙示録に記される「アンチ・キリスト」を指す象徴として忌み嫌われてきた、いわゆる「悪魔の数字」である。日本でいうなら、「4(死)」や「9(苦)」であろうか。とにかく、不吉な数字なはずなのである。ところが昨年の研究結果によれば、実際の黙示録の紙片を写真判別したところ、本当のところは「616」と書かれていたというのだ( http://x51.org/x/05/05/0327.php より)。語呂も意味合いもピッタリだったはずのトリプルシックス。だが、せっかくの恐怖の土台も、最新の科学技術の前ではかくも無残に崩れ去っていたのである。特に本作はこの数字が象徴する世界観が柱になっていただけに、残念としかいいようがない。
だいたいからして、ホラーの怖さというのはお化け屋敷的なものが大半だ。息を飲むほどの音のない静かなシーンに、突如として大音量と同時に恐怖キャラが現れ、観客を驚かせる。そう、怖がらせるのではなく、あくまで驚かせるのだ。これを観客は恐怖と勘違いするのだが、よくよく考えればただ単にビックリしているだけにすぎない。 ホラーの怖さの要素をプラスしていうなら、スプラッタ的側面だろうか。残虐なシーン、大量の血。ここで生理的に身の毛がよだってしまう観客もいるだろう。しかし、これも厳密にいえばただの気持ち悪さとおぞましさだ。
…ん? こう書いてみると、お化け屋敷もスプラッタも怖さではないではないか。どちらも厳密にいえば別の要素だ。もっとも、ビックリや気持ち悪さにいたらせる何らかの力、邪悪な意志に対して恐怖を抱かせるためにこうしたシーンはあるのだろうが、いかんせん、変に大人になって醒めてしまった私なんかからすれば、そんなシーンがあればあるほど、恐怖からは遠のき、逆の感情が生まれてしまうのである。あぁ、なんて悲しい性格、損な性格。ホラー映画を怖がれないなんて、純粋さを失った証拠だろうか。これじゃデートに行っても、なんにも可愛げがないじゃないか。
そんな別の意味での私の「恐怖」を尻目に、その笑い声は響いたのだった。そう、前述した「高らかな笑い声」。試写室に響いたのは、確かに女性の声だった。私より上手がいた。私なんて可愛いほうだ、声に出してなんて笑わないのだから。ひとりでニヤニヤしているだけだから。あ、でもそのほうが違う意味で怖いかもしれない…。
こんなことを思いながら観た今回の『オーメン』だが、映画的には素晴らしかったことを力説しておく。完全復刻版の名のとおり、30年前のオリジナル版を見事忠実に再現している。また、その映像も鮮やかで、目を見張るほど美しい。さながらイタリアのルネサンス絵画のように、その光と影の対比の描き方は見事だ。特に、ダミアンが生まれ落ちてすぐに看護婦に抱かれるさまは、聖母マリアの胸で安らぐイエス・キリストのように神々しい。…本当は悪魔の子であるにも関わらず。そう、きっと本当の恐怖や本当の邪悪は、こんなふうにさりげなく、神の意志と紙一重のところにあるのだろう。イエスをそそのかす悪魔の言葉が、一片の真理を含むかのように聞こえるように。
ところで今回のダミアン君は、どことなく俳優のジェイク・ギレンホールに似てはいないだろうか? 行く末が楽しみである。
オーメン(DVD)
監督:リチャード・ドナー/デイヴィッド・セルツァー
脚本:リチャード・ドナー/デイヴィッド・セルツァー
出演:リーヴ・シュレイバー/ジュリア・スタイルズ/ミア・ファロー
配給:FOX
ジャンル:邦画
公式サイト:http://movies.foxjapan.com/omen/
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