シネマピア
【映画レビュー】ある人質 生還までの398日
原作:プク・ダムスゴー「ISの人質 13カ月の拘束、そして生還」(光文社新書刊)
ISの人質となった若き写真家は、どのようにして生きて再び祖国デンマークの地を踏むことができたのか……。彼が捕らわれの身となった398日間と、彼を救出するために奔走する家族らの実話を、『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』のニールス・アルデン・オプレヴ監督が映画化。主演の写真家役にはベルリン国際映画祭シューティング・スター賞受賞歴を持つデンマーク人俳優、エスベン・スメド。アメリカ人ジャーナリストのジェームズ・フォーリー役は『猿の惑星:新世紀(ライジング)』でコバを演じたトビー・ケベルが務める。2019年3月にISの支配領域が消滅した今明かされる、衝撃の事実の記録だ。
元デンマーク代表体操選手、ダニエル・リュー、24歳。負傷のため選手生命を絶たれた彼は、以前より念願だった写真家への道を模索する。2013年5月、駆け出しフォトグラファーの彼が撮影地として赴いたのは、シリア。戦闘地域には行かないと家族と約束したとおり、当時はまだ安全だと思われていたトルコ国境付近のアザズで撮影を開始。だが、現地の状況が刻一刻と変化していることを彼は知らなかった……。
絶句、とはこのことだ。鑑賞後、何も言葉が出てこない。涙が頬を通り越して首まで落ちること、数回。
「過激派の手中からダニエルを救うために」「力を尽くす家族と、サポートする人たち」。プレス(作品資料)でそう語る監督の言葉を読むと、またもや涙があふれてくる。
今書いているこのレビューも、鑑賞後すぐには取りかかれなかった。本作をレビューするなどという、そんなおこがましいことが果たして許されるのだろうか。そう思って2〜3日、ようやく心を落ち着かせることができ、タイピングを始めている。それほどの衝撃の映画だ。否、これは果たして、作られた映画なのか? カメラを現地に忍ばせて、当事者に知られずに隠し撮りした実際の映像なのでは? これはもう全くのドキュメンタリーなのだ。……そう錯覚するほどの強烈な映像の数々。資料映像は一切使わず、当事者目線からのみの視点で、実際に起こった事柄を淡々と描いていく。善や悪や政治思想や宗教で何かをどこかに導こうともせず、ただただ事実だけをスクリーンに映し出す。果たしてこれはスクリーン越しに見ている映像なのか、もしかして私は肉眼でこれを見ているのではないか、そんな錯覚をも起こさせるリアルさで。
そんな凄惨な本作の中だからか、心救われる場面はよりいっそう輝く。過酷な環境の中でも、決して人間らしさを忘れないダニエル。誰に何を言われようと、周囲や政府からの支援が得られなくとも、忠告に背くことになろうとも、ダニエル救出のために一心不乱に奔走する家族らの愛。
中でも印象に残ったのは、たとえISの構成員であろうと、心底人を殺したくて殺しているのではないことが察せられるシーンだ。彼がそう語るわけでも台詞が入るわけでもない。だが、その体の動きに彼の本心が如実に現れる。明らかに加害者である彼もまた、実は被害者なのか。思想信条に組み込まれ、抜け出せなくなった体制の、その被害者なのかもしれない。
国や時代が変わっても、現場というのは理不尽にさらされる。「上」の提案どおりに行われたことが、全く逆の裏目の結果をもたらすこともある。机上の空論か、はたまた過去の成功体験に基づくものか、単なる考えなしによるものか、いずれにしても「上」の言うことが正しいことばかりとは限らない。割を食うのは末端の人間だ。デンマーク政府然り、アメリカ政府然り。そしてISも。(もっと言うなら日本も)
本作を観るにあたり、ISにより犠牲となった後藤健二さんら日本人のことがどうしても思い起こされる。あの凄惨な事実を、いったいどう捉えればよかったのだろう。どう考えればよいのだろう。生還者への祝福と、犠牲者への深い悲しみとが交錯する。本作鑑賞後も軽々に何かを言うことはできない。
争いの多くは報復から始まるというが、果たしてその報復は止められるものなのか。どこでどのようにして止めるのが正解なのか。政治、宗教、思想、そして人間そのものの本質へと……、深く深く、思いを致すばかりだ。
監督:ニールス・アルデン・オプレヴ(『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』)、アナス・W・ベアテルセン
脚本:アナス・トマス・イェンセン(『真夜中のゆりかご』、『ミフネ』、『ダークタワー』)
出演:エスベン・スメド、トビー・ケベル(『猿の惑星:新世紀(ライジング)』、『ファンタスティック・フォー』、『悪の法則』、『ストレイ・ドッグ』)、アナス・W・ベアテルセン(『ミフネ』)、ソフィー・トルプ
配給:ハピネット
公開:2021年2月19日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町にて公開
公式サイト:398-movie.jp
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記:林田久美子 2020 / 12 / 09
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