シネマピア
この世界の(さらにいくつもの)片隅に
現行版の『この世界の片隅に』は、製作資金のクラウドファンディング開始から8日と15時間余りという短期間で2000万円を達成し、第40回日本アカデミー賞最優秀作品賞等の錚々たる賞を受賞。来場観客数は210万人を超え、2016年の映画館での初公開から1日たりとも中断されていない連続上映が丸々三年を超える日本記録を更新し続けている。本作はその現行版に「さらにいくつもの」新たなエピソードを加えた、また違う角度からの『この世界の片隅に』だ。250超えのカットを加え、現行版製作開始時からの監督の構想が形になった、続編でもディレクターズカットでもない、新たな『この世界の片隅に』。現行版の印象がガラリと変わるかのような、新たな感涙を呼び起こす。
1944年、広島。絵を描くことが大好きな18歳の娘・すずに突然わいた縁談は、あれよあれよととんとん拍子に進み、彼女は呉へと嫁ぐことになる。戦時下、配給物資がだんだんと少なくなっていくなか、彼女は持ち前の楽観的な性格と創意工夫で、日々をそれなりに楽しく過ごしていったが……。
現行版の『この世界の片隅に』を観た状態で本作を観ても、涙をこらえることはできない。ここでストーリーがこうなってああなって、ということが分かっているにも関わらず、涙は顎から服の上にだくだくと零れ落ちてしまうのだ。『この世界の片隅に』をすでに観ている人にとっても、これは新たな物語である。現行版ですずがあのように言った、その本当の意味がわかってしまう。現行版よりもより個人的な、より深い深い恋愛模様が明らかにされ、すずの人生がぶち切られたあの瞬間が、より一層深刻なものとして心に迫ってくる。
何の気ない平凡な、幸せだったり辛かったり、でもただそれぞれ一人一人、ただひとつきりの生活を、人生を、戦争はすっぱりと切り落とす。それまでの人生を一転させる。それも、必ず悪い方向に。それでもなお、懸命に生きる人、人々、ひとりひとり。無くなったもの、失われたものへの悲しみを背負いながら、それまでとは違ってしまった人生を進んで行く人々。その人々に私たちは自分を重ね合わせ、この作品を機に願いを持つ。あるいは元々持っていた願いを強くする。その「願い」とは、本作を観た人たちの恐らく共通のものとなる。本作は戦争による悲劇を描いた作品だが、と同時に、鑑賞後の観客の心に希望をもたらすものともなる。何人たりとも、こうした悲劇を二度と繰り返してはならないという強い願いを、そう思う人々が増えていくという強い希望を。
現行版をご覧いただいたあとに本作を観るのなら、すずの現行版の台詞の真意の答え合わせができる。もし現行版をまだご覧になっておらず、どちらを観ようか迷っておられるなら、是非本作の方をご覧いただきたい。本作を観たあとに現行版を観ると、もしかしたら物足りなさを感じるかもしれないからだ。
ともあれ、現行版と新たなバージョン、傍目にはほぼ同じとも思える2作を製作・劇場公開できる作品もそうそうない。せいぜい、DVD製作時にディレクターズカットを忍び込ませるのが関の山だ。この大成功の秘訣はといえば、作品力と、それによってもたらされた観客動員数、そこから生み出された資金によるものだ。多くの監督はその資金を別の新たな作品に向けるが、片渕監督はそうではなく、現行の作品に更に新たな息吹を吹き込んだ。この粘り強い性格を持つ監督だったからこそ、あの緻密な描写の現行版を作り上げ、その結果としての成功もあったのだろう。なんだこの執念は。もはや敬意しかない。
原作:こうの史代「この世界の片隅に」(双葉社刊)
監督・脚本:片渕須直
声の出演:のん、細谷佳正、稲葉菜月、尾身美詞、小野大輔、潘めぐみ、岩井七世、牛山茂、新谷真弓、花澤香菜、澁谷天外(特別出演)
配給:東京テアトル
公開:2019年12月20日(金) テアトル新宿・ユーロスペース他全国公開
公式サイト:ikutsumono-katasumini.jp
©2018こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
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