シネマピア
【映画レビュー】憐れみの3章
非情な行動を強いる上司、行方不明の妻を思う警官、教祖探しに奔走するカルト信徒……それぞれ独立した3つの章を、同じ俳優たちが違う役どころで演じるアンソロジー。それぞれの章は別々の物語と思いきや、実は不思議で重要な共通点が秘められていた……。カンヌ国際映画祭では本作でジェシー・プレモンスが男優賞を受賞。『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』でカンヌ国際映画祭・脚本賞を受賞し、『哀れなるものたち』でエマ・ストーンをアカデミー賞・主演女優賞受賞に導いたヨルゴス・ランティモス監督が贈る、シュールでエキセントリックな唯一無二の逸品。
とある屋敷を訪れた男。彼が着ていたシャツに「R.M.F」の刺繍を確認したヴィヴィアン(マーガレット・クアリー)は、彼に分厚い封筒を手渡す。その夜、ロバート(ジェシー・プレモンス)は運転していた車を故意に別の車にぶつける。そこには非情な理由があったのだが……。
「この物語は人間の条件と行動についてのすべてだ。アイデンティティ、支配、帰属意識、自由への欲求についてである」と、監督は語る。その言葉どおり登場人物たちはすべて、可笑しくも悲しくもそれらの"本能"に忠実に従い、そして抗いがたい何かに流されていってしまう。彼らの行き着く先は、監督ヨルゴスの世界線とも言うべき、(我々が認識しうる)この世の法則から逸脱した結論だ。ヨルゴス・ワールドの触手は様々にその姿かたちを変えながら、滑稽に捻じれた結末へと我々を誘う。
一見、各々の章は独立しているかに思える。だが、とあるシーンのとあるズームアップを見た途端、「あ!!」と心の中で声をあげてしまう。「あれがここに繋がるとは」と。単なる雰囲気モノではない、我々の人生そのものを示唆しているのが本作なのだ。人間の小さな脳みそで判断できるものがすべてではない、と。世界の構成要素の中で、我々が認識できる範囲は極々わずかに過ぎないのだよ、と。だから我々が頭を絞って導き出した決断がすべて正しいとは限らないのだよ、と。
本作の原題は『Kinds of Kindness』。直訳すると"優しさの種類"だ。監督は、「複数の意味を持つ言葉を探していました。映画の文脈や、同じ俳優がそれぞれの物語で異なるキャラクターを演じていることを考えると、見た目や響きが適切で、そして意味が通るようなタイトルが欲しかったのです」と語る。監督としては原題の『Kinds of Kindness』に相当の思い入れがあったわけだ。
翻って、日本語タイトルは『憐れみの3章』。監督が時間をかけて決めたという原題をあえて踏襲しない方向でのこのタイトル。確かに本作の"3章"仕立てという構成をずばり表しているし、確かに我々は本作の登場人物に対して"憐れみ"の感情を抱いてしまう。そういう意味では、この日本語タイトルはストレートに本作を表現しきっていると言えよう。
ときに、同監督の『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』は私の大のお気に入りだ。なんなら生涯観た映画の中で5本の指に入るくらいの傑作だ。本作『憐れみの3章』は、この『聖なる』と同じく監督はヨルゴスで、脚本もヨルゴスとエフティミスのタッグによるもの。ファンタジーとホラー要素も加えながら、人間のエゴが憐れなる結末を導き出していくこの作風。『聖なる〜』よりもファンタジー要素の配分が多めの本作に、「は?」「え!?」と心の中で呟きながら、是非この独特の世界観へと溺れてしまっていただきたい。
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ
出演:エマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリー、ホン・チャウ、ママドゥ・アティエ、ハンター・シェイファー
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
公開:9月27日(金)より公開
公式サイト:https://www.searchlightpictures.jp/movies/kindsofkindness
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記:林田久美子 2024 / 08 / 10
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