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アラカン編集長モンブランを行く!
ヒマラヤ雑感-1
2010 / 12 / 25
懐深きヒマラヤ
例えば砂を積んでいって挙句の高さが3770mに達するためには、一体どのくらいの砂の量が必要で、どのくらいの底面積になるのか想像してみる。
言わずもがなだが、3770mは富士山の標高。富士は日本最高峰。日本の屋根地帯の山々はおしなべて3000m峰。その懐は深く、日帰りでは困難で山小屋泊が必要になる山も限りない。
ヒマラヤ山塊の最高峰はご存知エベレスト。富士山の2倍を優に越える標高8848mを誇っている。ということは、その底面積たるやいかばかりか想像も難い。日本の山々とは比較にならない、とんでもない山懐の深さは行ってみて改めて思い知ったというわけだ。
ヤラピーク登頂のためにラジソンホテル・カトマンズからバスで出発し山塊のすそのすそにたどり着くだけで9時間近くかかった。バスを降りた時はメンバーは全員、どこかしら気分が悪くなっていた。
肘かけだのつかまりバーだの、備品・内装の様々が壊れているようなオンボロバス。舗装してない、なんという生易しいものではなく、あっちこっちえぐれボッコンボッコンの山道を、アップダウン如きではない山を登り谷を下るんである。
とても居眠りなどしていられないほど上下左右に揺れ、バスがボッコンにはまれば、座席から飛び上がって天井に頭をぶつける、マジ。デッコンと揺れれば、いつ谷に転がり落ちても不思議もないほど車体が谷側に傾く。怖い!実際に転落したと見受けるバスが山斜面にひっかかっているのを目にした日にはおびえてしまう。できるだけ谷側には視線を向けないようにする。怖くてとても見たくない。
しかしながらその自然のなんと豊かなことか!汚染された街中とのあまりの対比に驚く。
カトマンズの街は「カオス」などという言葉からははみ出る「混乱」と「汚濁」にまみれていた。魅惑の「エトランゼ」など微塵も受け取れないほど。「そんなの今に始まったことじゃない」という向きもあろうが、恐らく「昔」とは異なった様相を呈していると思われてならない。汚濁・汚染の質が異なっているのだ。
街角に痩せた牛がねそべり、皮膚のただれた犬がうろつく。それは今も昔も同じなのだろう。むしろ30年前はコレラ、赤痢を主とした感染予防接種を受けたことの証明書・イエローカードを取得しないと入国できなかったことを思えば、インド・ネパールなど、アジア諸国の衛生状態は格段に向上したに違いない。
けれども街を歩いていて口腔や鼻腔に感じる不快な刺激はどう考えても30年前と同質なものとは思われない。ガラス張りの狭い喫煙所のようにカトマンズの空気は排気ガスで濁っているのが目で見える。
恐ろしく交通量は多い。日本産のバイクや車が信号のない道を、目イッパイ警笛を鳴らしつつ往来する。いたるところに放置され散乱するゴミの山は腐食し風化していく類のものよりむしろ、時間経過で自然還元しないものが多く混入している。その筋の学者曰く甚だしいエントロピーの増大。「汚染」の深刻さは並み大抵ではない。つまり「先進」と呼ばれる文化圏が吐き出した「文明」の負の贈り物を一手に引き受けたような、それはひどい有様なのだ。
カトマンズ以外のネパールの街を知らずして、あるいはアジア諸国を見ずして総体を語ってはならないのかもしれない。しかしながら、「先進国」の住人として自覚するなら、先進諸国の経済理論が発展途上圏を如何に侵食しているかを自認するぐらいの謙虚さはあってもよいかと思う。なに、「先進」なんぞいったところで、ちょっとばかり隠したり、整えたりする小手先の器用さを覚えたに過ぎないのかもしれず、そんな御託を唱えることもまた愚かで詮ないことなのかもしれないとも思いつつ…
「完全に揺すぶられ症候群だよ」
本郷さんが言う。身体の中味がグチャグチャに位置を間違えてしまうのではないかと思うほどにの揺れに耐え山道を行く。
ネパールは基本的には農業国なのだろう山肌には文字通り「耕して天まで昇る」が如く小さな面積の田んぼが「千枚田」どころか何十万枚も見渡せる。日本の田と違って水を張らない、いわゆる「オカボ」。しかも「ほったらかし」農法ともいうべき「できた分だけ獲れればいいじゃん」な放置スタイル。収穫期間近と見えてたわわに実る稲の背丈はほとんどが30cmにも満たない。山間にはほんの数戸の集落が点在しているだけで、バスの車窓から山側の斜面に目を凝らしていると、時に目の覚めるような神秘なランの自生を認めたりして、大騒ぎしたくなる。
昼ごろだろうか、突然、山を割ったように「街」が出現した。といっても端から端まで1kmあるかないかなんだが、湧いたように車やバイクが砂埃を」巻き上げて走り抜ける。「BANK」もあれば「INTERNET」なんて看板を掲げる店もあったりする。金物・雑貨屋らしきや衣料品店ももちろんある。
「Restaurant」で昼食を摂った。ゴージャスではなかったが「客」に合わせたのか全く違和感は感じなかった。野菜の炒め物と「カレー」をお代わりしたぐらいだ。
それもそのはず、レストランの隣と向かいに2軒八百屋があって、のぞいてみたら大根、カリフラワー、インゲン、トマトだの馴染みのものも多く、種類も豊富。食材はほとんど変わらないのだから。
いわゆる「冬みかん」のまだ青い早稲?も売られている。バナナが吊るして売っているのと、売っているオバチャンの風体がエキゾチシズムを演出していることを除けば、一昔前の日本の八百屋の店先を髣髴させるではないか。
2、3同じように山を割ったような街を抜けて、ようやく谷間の集落シャブルベンジShabrubensi1450mに到着したらもう夕方の4時も近く、テント設営が終了するかどうかで日が暮れた。脳みそも揺らし過ぎたかして軽く頭痛がした。
「なんだろ、ハナビなわけないよね」
とっぷり暮れた山間の暗い空に「パンッ」という乾いたどこか嫌な音が木霊する。それが「銃声」だとなかなか気づかなかった。
バスが山道に入って間もなく検問所を通過した。かなり緊張したのは、ものものしい迷彩服の兵士に促されてメンバーが全員氏名を記入したりして、放免されるまでに結構な時間をとられたからというだけでなく、どの兵士も肩にライフル銃をかけていて、ネパールが軍備国だと実感したからなのだ。
その後もバスは簡易な検問所を数度通過した。その都度、兵士がバスに乗り込んできて、車中を検問していった。目を合わせるでもなく反らすでもなく、せいぜい「フツウ」体を装った。
我々が分け入ろうとしている道は行けばどんどんネパールと中国・チベットとの国境に近づく。兵士らは「国境警備」に就いているのだった。
昼間、至近距離でライフル銃を目にした時は、少なからず背筋にヒヤリと冷たい悪寒が走った。旧式ではあろうが確かに実用されていると、その磨き上げられた鉄が無言で語っていた。にもかかわらず、目にしたものと「パンッ」という音が頭の中でつながるのに時間を要したということは、つまりは非軍備国の住人のノーテンキ感覚なのだろう。憂うべきか?はたまた喜ぶべきか?…
人間の様々に頓着なく、全てを受け入れ、そして全てを拒絶し、ヒマラヤの山々は少しだけ月明かりに照らされて闇に眠っていた。
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連載 : アラカン編集長モンブランを行く! 記:小玉 徹子