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アラカン編集長モンブランを行く!
三ッ峠・やっぱり岩が好き!-2
2011 / 06 / 28
「典型的な熱中症の症状だね」
悩みに悩み、耐えに耐え抜いた末の大爆発。大決心「もう止めた」の直後に、よりによってマルチピッチの岩の途中で気絶。ロープしていたとはいえ、相当に危なかったには違いない。「熱中症気絶事件」は「もう止めた決心を」ゆるぎないものにするはずだった。
にもかかわらず、また「頑張ります」など言った自分の口が信じられなかった。実になぜまた、そんな選択をしたのか未だに訳がわからない。すっかり荷を下ろして楽になってもよかったはずなのに…
5月22日
明けて翌日、一晩寝たら特に「体調不良」の自覚もなかったし、どういうわけか「また気絶しやしないか?」というような恐怖心もなかったから、予定通り朝食後ただちに岩場へ向かう。
アブミの練習。一度や二度ですんなりできるようになるはずもないが、これがスムーズにできるようになれた先に何が待っていてくれるかを想像すると、自然と一所懸命に一層熱が入る。
例えば八ヶ岳大同心の南壁とか剣岳六峰Dフェイスとか。もちろん、それらのルートはアプローチも長くて困難。岩を登ってからの降りも長い。アブミができる云々の前に、相当なスタミナと技術を要するルートだ。
ま、私の場合、そのスタミナが常に問題なんだが。それでもアブミができることでアルパインの多様性が広がると思えば、その練習をするということ自体が素敵に思える。
3時間ほどアブミの練習をして、「せっかくだからマルチを1本」ってことに。
人気ルート「中央カンテ」。
「あれが岳ルート」
1ピッチ目のラスト・テラスで本郷さんが隣のルートを指す。小栗さんがリードするところを撮ったんだとか?
京都の山腹で育った。大文字山の中腹、ちょうど大の字の裏側あたり。通学やら、親は通勤やらには、かなりな急坂を登り降りしなければならず、相当大変だったが、共働き家庭の鍵っ子には、寂しさを紛らす遊ぶ場所に事欠かない、退屈には無縁のところだった。
家のあるところから少し登れば谷川の清流が涼しげな音を立て、如意ヶ岳に足を伸ばせば、はるか眼下にうっすらと琵琶湖が見晴るかせた。
中学1年の夏休みに一家で東京笹塚に越してきた。関東平野は広かった。家の外に出て見渡してもどこにも青い山並みは見えなかった。建物に切り取られた空が覆いかぶさるようで、その閉塞感がたまらなく憂鬱だったが、しばらくするとそんなブルーもどこかへ忘れてしまった。友ができ新しい環境に順応するにつれ、元いたところのことなど単なる記憶として脳みその仕分け棚に収まった。
すくッとスタンスに立ちこみながら、つかんだ岩をグイッと引き寄せる。グイグイ行く。少し難しいところは岩とニュアンスを相談しながら、岩をつかむ手の向き足の向きを工夫して体重移動する。スムースに行く時というのは、これはまた素敵だ。岩を乗り越えるというより、岩に吸い寄せられるがままに寄り添っていく感覚。なんだか、楽しい。それはハッピーな瞬の連続。
生きている実感などという対象感を越えて、私が命そのものになって沸き立つのだ。命が最も命らしく鼓動する、とてつもないワクワク感だ。
終了点に到達して辺りを見渡す。どこか静けさが漂う。孤高な静けさ。意志あるものだけがたどり着く聖域だから。その極めつけの高度感に反応して命がキューッと音を立てる。
懸垂して降りるのはあっという間。
「帰るよ」
まだお昼ぐらいだというのに、本郷さんは帰心矢の如し。
「天気、悪くなるから」
他のパーティーの人らにも下山を勧めたりする。私だって「まだ1時間ぐらいTOPロープできるかな?」チラリ思ったりもする。他の人らはまだまだヤル気満々。
四季楽園で昼食するわけでもなく、そそくさと下山。車でしばらくの蕎麦屋で天ざるを食べて帰路に着く。走り出してほんの数分後、ポツンと来た。ポツンポツンは間空けず「ザー」に変わり、ワイパーが忙しなく往ったり来たりになり、雨はその日中、止むことはなかった。
つまり我々が引き上げにかかったとき「もう帰る?」顔をしていた大勢の他のパーティーは「ザー」の中を岩場から四季楽園に戻り、ずぶ濡れで山道を降りたことだろう。
観天望気が利くということは、そういうことなんだと痛感。
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連載 : アラカン編集長モンブランを行く! 記:小玉 徹子