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アラカン編集長モンブランを行く!
二つの富士そのあとさき
2011 / 08 / 04
6月29日:富士山
7月9日、7月10日:三ッ峠
7月12日、7月13日:剣岳長次郎左俣
7月15日:富士山
7月21日、7月22日:唐松岳〜祖母谷温泉〜欅平
7月23日、7月24日:剣岳別山尾根
7月29日〜31日:槍ヶ岳
以上が2回の富士登山の間とその後、7月いっぱいの山行である。
それは突然、やってきた。少なくとも、そう思えた。
河口湖畔より冨士山を眺める2011/06/29
6月29日:富士登山
お天気がよくて気温が高かった、というのは言い訳にもならない。歩き始めてすぐバテ気味になり、3000mを超えるあたりでうっすら頭痛はするは、ぼーッと朦朧で足が全く上がらなくなった。8号5尺地点で既に5合目を歩き出してから4時間を経過していた。本郷さんとKさんは既に登頂。
「無理しなくてもいんじゃない!」
敗退決定!はともかく、降りてきた本郷さんたちにも追い抜かれた。
内心、焦った。高度順応どころの話にもならないではないか!
昨年2010年はモンブランはツアー自体が取りやめになり、代わりにといっては余あるマッターホルン登山に参加した。ブライトホルンのテスト山行で「体力不足」を指摘され、登ることすらできなかった。
同年11月のヒマラヤ・ヤラピーク5,525mはどういうわけだか、ぎりぎりチョンパだと言えども登頂し、「ヨーロッパの山には向いてない。ヒマラヤ向きだ」とも言われた。
三ッ峠・四季楽園近くの高台より冨士山を眺める2011/07/09
2011年になってモンブラン、マッターホルンの2座を再チャレンジと決め、トレーニングを開始した。そして6月。一向にトレーニングの効果を認められないまま終わろうとしていた。体力技量ともに両山登頂の可能性は20パーセントの域を超えることもできず7月の声を聴いて、顔から血の気が引く思いだった。
7月9日、7月10日:三ッ峠・クライミング(マルチピッチ)
何度も言いたい!やっぱり岩が好き!!
登山口からのアプローチは2時間弱。そう難しくはないが、高度感はたっぷり味わえるマルチピッチやロープ・ギア使用法の基本講習。後から思えば、どうやら知らずのうちに身の疲れ、気の憂さが解けて、柔軟性を回復し身軽になれた2日間のようだった。
剣岳長次郎雪渓2011/07/13
7月12日、13日:剣岳長次郎左俣
「ちゃんと歩けるかな〜?!」
実は心配だった。2日間のクライミング講習からたった1日をおいてのロングコースチャレンジ。平常時の状態から登っている時の状態を推し量ることができない。自信がないから。歩き出してみないとわからない。歩き出してしばらくは「ダイジョウブかな?ダイジョウブかな?」と緊張する。
1日目、室堂から雷鳥沢を経て剣御前小屋までの登り、きつくないということはなかったが、なんとか、さほど息が上がった感もなくコンスタントに足を運べた。御前小屋から真砂沢ロッジまでの長い雪渓の降りも、まずまず。問題は翌日の長くて傾斜の強い長次郎雪渓の登りだ、と思うとまた、緊張した。
剣岳長次郎雪渓のコル2011/07/13
2日目、早朝の出発。なんだが「元気」な自分感が嬉しかった。雪渓を登りつめ、岩稜を攀じる。
「3度目の剣、登頂だね」
本郷さんと握手。山頂に立った時もへとへと感はなく、むしろ爽快だった。
下山は別山尾根をたどる。前剣の登り返しも剣山荘からの登り返しも、まずまず先を行く飯島ガイドにしっかりついていけた。
けれど、そうできたのは自らがそれだけタフネスを身につけたからだというふうには思っていなかった。なぜなら、めずらしく私よりケアの必要なメンバーが一緒で、飯島ガイドの歩くペースがいつもよりゆっくり目だったから、結果、私はゆとりをもって歩けた。だから、私の歩きのスピードが問題視されずに済んだ。そう思った。自分がしゃんしゃん行けてる感は悪くはなかったが、それは単に比較の問題に過ぎないとも。
「明日、起きてみて、筋肉痛で歩けなかったら、富士山、止めるかもしれません」
帰りの車の中で言うほどに、まだまだ自分に自信が持てなかった。
吉田口ルート富士山頂から剣が峰元測候所を眺める2011/07/15
7月15日:富士登山
「長次郎」から降りた翌日7月14日の夜10時過ぎには、富士山・富士吉田口5合目にいた。腿やフクラハギはパンッと張ってはいたが筋肉痛はなかった。不思議だった。
車中で仮眠して15日の早朝4時ごろ歩き始めた。歩き始めて間もなく夜明けを迎えた。日の出に押されるように順調に歩けた。5合目から山頂までほぼ4時間。5合目までの下山は2時間だった。半月前の富士登山とは月とすっぽん、大違いだった。少し嬉しかった。自身もあずかり知らないうちに、体内で感知できないくらいわずかずつ変化していって、それはあまりにも微小ずつの積み重ね故に明確な変化としては認識し得ない。1滴、1滴注がれた水のその1滴そのものは、グラスに影響を与えないように見えるが、表面張力でいっぱいいっぱいグラスの上端から膨れ上がった水も、ついには限界を超えると、堰を切ってあふれ出す。そんな感じなのかな、なんとなくそう思った。
丸山ケルンで本郷さんと飯島さん2011/07/21
7月21日、7月22日:唐松岳〜祖母谷温泉〜欅平
冨士登山からたっぷり1週間空けての山行。「長次郎」も冨士山も、まあまあ調子がよかったが、だからといって少しも自分に自信がもてなかった。
7月21日、頼りない自分を全く意識しないほど、八方尾根を行く楽しい登山だった。特に白馬八方からゴンドラとリフトを乗り継いで第一ケルンまで歩く間は本郷ジュニアとお嬢ちゃんがママに連れられて一緒だったから、超ゆっくりペース。折りしも山は草花の最盛期。リフトは一面のクガイソウのやシモツケ群生を見渡しながらだったし、タテヤマウツボやニッコウキスゲ、その他たくさんの高山植物を撮り放題。あまりにものデラックス&ゴージャスな道行に心が弾んだ。
第一ケルンから先、本郷さん、飯島さんと3人になっても、まずまず歩けた。もちろん、先頭の飯島さんが私のペースを読んで合わせてくれているからだと思った。
唐松岳山頂荘より夕焼けの雲海上に浮かんできれいに見える剣岳2011/07/21
山頂荘でビールを飲みながら本郷さんが言った。
「たまにはこういうのもいいでしょう」
「とても楽しかったです」
「山が嫌いになったら困るからね」
どうやら、この度はご褒美登山だったらしい。
「よく頑張ってきたね」
改めてそう言われると戸惑ってしまう。
「モンブランも80パーセント行けるでしょ」
ついこの間まで天気がよくても登頂の可能性は20パーセントと言われていたから、思わずしどもどしてしまう。
「お天気がよければ、ですよね」
「お天気、いいでしょ」
以前に「50パーセント以上に持っていけたら、モンブランの神様が『よく頑張った』と登らせてくれる」と本郷さんに言われたことを思い出した。胸がじわんと熱くなった。
唐松岳山頂荘より荘厳な夕焼け風景2011/07/21
山頂荘からは剣岳が夕日に赤く染まって、きれいに見えた。少し寒いのを我慢して、すっかり日が沈むまで眺めた。
7月22日は唐松岳山頂荘から富山側へ下山。がれ場や岩場を抜け、雪渓を渡り、いったん高度を落としたと思ったら、餓鬼山へ登り返し。これが案外キツかった。それを過ぎると延々と降り。あまり登山者が通わないらしく、道が草で隠れていて足元が見えない。そのうちぼそぼそ雨も降り出し、足元にごろごろしていて苔苔の岩がヌルヌル滑るから危なくて、とっとと歩けない。草がガスでじっとり濡れているし、おまけに道筋には雨水がちょろちょろ流れていたりもする。靴の中に水が浸入してクツシタもグショグショで気持ちが悪い。嫌な感じ。いたどりなど、私の背丈より高く伸びていて、かき分けかき分け歩くのがうっとおしい。結局、唐松岳山頂荘から祖母谷温泉を経て欅平まで降りるのに都合、7時間近くかかった。ヘトヘトになった。
剣岳山頂で本郷さん2011/07/24
7月23日、24日:剣岳
22日に唐松岳から降りてきて、その翌日に剣岳というハードスケジュールなんだが、ここのところ、そういう類の山行にも慣れてきた感じがするのは、気のせいばかりでもないと思う。重ねて歩いても筋肉痛が起きなくなったし、「まあ、初日は剣山荘までだから」など「歩き」に対してのストレスの感じ方が変わってきている。室堂から剣山荘まで4時間弱をさほどキツイとも思わず歩けることの幸せを感じながら行った。
もともとは長次郎谷の右俣から北方に抜け登頂するというプランだったのだが、寒気が入り込み天気が不安定。午後から雷雨の可能性も大ということで、別山尾根の昇り降りにルート変更になった。
剣岳・別山尾根ズーム画像の向側岩壁を行くのは本郷パーティー2011/07/24
7月24日早朝3時半の出発。しばらくして本郷さんとOさん、Kさんの3人、飯島さんとHさん・若いご夫妻、それに私の4人の2パーティーに分かれた。さすが健脚ぞろいの本郷パーティーは歩きが早い。飯島パーティーとの差はどんどん広がる一方だが、それに対して自身の「遅れた」感を持たずにすんだ。なぜならHさんらは本郷さんとの山行は今回が始めてで、だからもちろんショートロープも経験がなかった。ことに、とっとと歩くスタイルには不慣れで、奥さんの方が早晩バテ気味になってしまったから、私はラクチン歩きで、先を行く本郷パーティーを撮ったりするゆとりもできた。
剣山荘から山頂まで2時間40分、室堂に降りたのが午後1時35分だったから、12時間かかったことになる。休憩回数がいつもより数段多かったし、御前小屋手前の雪渓で雪上訓練もしたから、実質歩いた時間は恐らく、そこまでもないと思う。
二つの冨士山のその後先で明らかに変わった自分を、まだ信頼できないでいる。「80パーセント大丈夫」と滅多に褒めたりしない本郷さんが言うのだから、おおよそ信憑性はあるのだろう。けれど同時に、例えばモンブランであれば、本峰登山の前日のテスト山行はのっけから、ほとんど氷のようにガシガシに硬い雪の急斜面ををアイゼンで降りなければならない。「びびったらアウトよ」と本郷さんは心配もする。怖がりでびびっちょな私の最も不得意なところなのだ。
8月15日の成田出発まであと10日ほど。6日からの剣岳南壁、9日からの剣岳北方稜線で頑張って急斜面に慣れよう。剣の雪渓を脳裏に焼きつけよう。バレ・ブランシュのテスト山行。エギュ・ド・ミディからの降り、剣だと思えばいいではないか。
ああ、やっぱりドキドキする!!!
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連載 : アラカン編集長モンブランを行く! 記:小玉 徹子