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アラカン編集長モンブランを行く!
登っちゃいました!!!-3
2011 / 10 / 19
終わりは始まりの始まり!!
9月2日にスイスから帰国して早やひと月半が経った。「モンブランに登ろう」と思い始めて3年越し。思い詰めて、ついに叶った登頂。そりゃあ、大はしゃぎ、嬉しかった。大感動だよね。だが、登ってしまえば「あれ?!」拍子抜け、ってのが、正直、今の心境かな。脱力。
なんだか拠り所がなくなったような。もちろん、これで我が山人生が終わったわけでもなく、ましてや11月のピサンピーク・アンナ・プルナ6090mに向けて、即トレーニングを開始しなければならない。昨年のヒマラヤ山行のヤラピークは5525m。それよりさらに500mばかり高いのだ。ヤラピークでは5000mを超えたあたりから呼吸が苦しくなって、なんだかよくわからなくなり、気が付けば酸素マスクをつけていた。今年のピサンピークは、できれば酸素なしで登頂したい、とか片方では身の程知らずに思ったりするくせに、現実味を帯びてひっ迫感がない。他人事のような。
大同心稜を詰めて横岳稜線に上がると、大同心が真ん前に見える。
クライマーの姿も なんだかぼーッとしている間に、どんどん時は過ぎていき、週末ごとの山行もでかけるようになる。
9月16日に八ヶ岳・大同心稜に上がった。
「まるで元の木阿弥だね」
半月ぶりの山行で、大バテした。
9月27日から29日には槍ヶ岳北鎌尾根をたどった。やっぱり大バテ。
「モンブラン登頂者がどーしたの?!」
言わりょが、どうにもならんわい。
餓鬼岳の頂上から、遠くは燕岳に続く稜線を眺める。
もっとも遠景の中央に槍ヶ岳の山影も 10月8日、9日には餓鬼岳に登った。
「トレーニングしてる?」
と訊かれてしどろもどろ「○。×。〜*@〜…」
「してるの? してないの?!」
「してません。スマセン」
友人・知人は「よかったね、おめでとう」とモンブラン登頂を祝ってくれる。「スゴイね」と賞賛もしてくれる。それは、ほんとうに嬉しい。でも、どこかで「空」なのはなぜなんだろう。
登る前と、登ってしまった今と、どこも違わない自分だからかと思ったりする。モンブランに登れるに値する体力、脚力が充分に身についた結果登れた、というより必死な思いで頑張り続けている途上で時間切れででかけたら、たまたま様々な好条件が整った。モンブランの神様に幸運に抱き取ってもらえた。ただ、それだけ。そんな思い。
槍の穂先・槍ヶ岳山頂にて、雲海に槍ヶ岳の影が映っている 槍ヶ岳・北鎌尾根山行。上高地から横尾を経、槍沢ロッジの先を沢に入り水俣乗越から天上沢を降りて北鎌沢の出会いでビバーク(ツェルト泊)。飲みながら話しをする。
「モンブラン登ったわけだから、これから先、どうしたいの?」と訊かれる。
「昨年4月から本郷チームに加わり、モンブランに登れる体力・スキルを身につけるために頑張ってあっちこっち連れて行ってもらっているうちに、例えば昨年の今頃なら『北鎌は無理だよ』と言われていたのが、こうして来ることができている。そうやって『行ける所』に行っているうちに『行ける』領域が広がっていけばいいな」
など応えている自分がいた。
槍の穂先から槍ヶ岳山荘を見下ろす。仙人の庵のようだ 確かに「北鎌」はスペシャル。考えようによっては、モンブランよりもシンドイ。1日目の上高地から北鎌沢の出会いまでが8時間。これだけでもクタクタ。沢から、翌日目指す尾根を見上げて「うわーッ、あそこまで上がるだけでも大変だわ」、内心、心が折れそうだったけれど、反面、「山、やるって、こういうことかな?」という気もした。
2日目、早朝暗いうちに出発。ヘッドライトをつけて北鎌沢を詰める。北鎌のコルに到着のころには、早、へたっていたし、独標の手前だったと思うが、休憩の際に気が着けば居眠りしていた。信じられない。
8時間から10時間と言われているところを12時間もかかって、ようやく槍の穂先にたどり着いた。槍ヶ岳山荘に転がり込んで間もなく日が落ちた。とにかく長かった。しんどかった。
3日目の下山。一般道を降りる。2日前水俣乗越へと道をとった分岐に出る。
「これで槍の廻り、遠巻きに一周したね」
なんだか、胸の辺りが騒ぐ。北鎌沢の出会いで尾根を見上げた時と同じ感覚。「山やるって、こういうことかな?」漠然とまた思う。
一般道を登山するさえ「何が嬉しくて汗かいてベソかいて山登り」なのに、わざわざ沢を詰めてまた降りて、遠回りしてまたまた登る、の繰り返し。考えようによっては「バカじゃん!」な行為が、すなわち山をやるってことなのかな? 少なくとも、身の程知らずにも、気がつけば、そんな大いなるバカの仲間入りしてしまっていたのだ。
「吐きそう」も通り越して、眠かった。「横になって眠りたい」と思いながら、夢遊病者のように歩いた。
「マゾだよね。楽しくないでしょ。そこまでしんどいと」
飯島さんが帰りの車の中で言ったけど、そうでもないと思った。辛気持ちいい、など欲しているわけではない。できれば、オトコマエに淡々歩きたい。どんな山もオトコマエに淡々と歩けなければ真に「山を行き、山に眠り、目覚め、そしてまた山を行く」はできない。
そして「どこまでも山を行く」は何を隠そう、かつて更年期障害対策で奥多摩を歩き始め、それを持続させる大きな動機になった感慨だった。
初めてのテント泊。独りで雲取山にでかけた。荷物が重くて歩けない。予定より何時間も遅れて百人敷きテント場にたどり着いた。ガスで視界は悪く、おまけについて間もなく日が暮れた。大急ぎでご飯して、さっさとシュラフにもぐりこんだ。
翌朝、早くに目が覚めて、テントの外に出た。目の前に雄大な富士がピンク色に染まって、雲海の上に浮かんでいた。自身にとっての「山をやる」ことの原点に違いない。
タフでオトコマエ、必要なスキルも持ち備えていれば、岸壁も乗り越えて山を行ける。雪を踏み越えもできる。
モンテローザ山頂にて。黄色いジャケットが担当ガイドのトニー 「モンブラン、登っちゃったら、もう終わり?」
とは思ってはいない。
だから、ツェルマットでブライトホルンもマッターホルンも天候に恵まれず敗退したけれど、敗退決定の瞬間に「来年もトライ!」と当然のように感じていた。
だしね、マッタホルンの代替登山ででかけたのがモンテローザ。モンブランに次ぐヨーロッパの第2峰だ。4000mのコルまで往復ヘリという大名登山ではあったが、それは雄大な、まさしく神の技なるランドスケープを堪能した。
山々を眺めながら、オーストリー人のガイドチームのヘッド・ウォルターが言った。
「来年は、トレーニング山行はリンフィッシュホルンがいいよ」
リンフィッシュ、“魚の鱗の山”はクライミングが面白いのだとか。聞いて、心が躍った。
ちょっとばかり、惚けてはいるが、どこか行き所を見失ったようでもあるが、生きて元気で歩ける限り、山には行くんである。
ただね〜
来年は63歳だしね、いくつまで「アラカン」って言っていいんだか、とは思うよね。
山を行く限り、「編集長は山を行く」みたいなコーナーは継続したいけど、コーナータイトルからして設定しなおさなきゃだよね。
やっぱ、なんでもいいじゃん、にはならないのよね。
タイトルって大事だからね。
ってなことで、いったん「アラカン編集長、モンブランを行く」はお仕舞いですが、気持ちもタイトルも一新して、必ずや、改めてお目見えいたします故、長い間ご愛読いただいた読者の皆様には少々のお時間をいただきますよう、お願いします。
※ただいま「アラカン編集長モンブランを行く」の電子書籍を鋭意編集中!
お楽しみに〜
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連載 : アラカン編集長モンブランを行く! 記:小玉 徹子