編集長!今日はどちらへ?

playback2012special edition:ダンプスピーク・ヒマラヤ登山

2012 / 12 / 28

さて2012年のメインエベント、ダンプスピーク・ヒマラヤ山行である。

10月23日:
カトマンズ→ポカラ。車移動。一応舗装道路。
10月24日:
ポカラ→マルハ。バス移動。
このバスがすごい。何度か乗り換えたが、たんびに、どんどんスゴクなる。道もどんどんスゴクなるんだが、9時間以上も乗ると「怖い」もなくなるから、それが「怖い」!!!

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10月25日:マルハからトレッキング開始
これが、めちゃシンドイ!なんでも水場の関係で2680mのマルハからヤクカルカの上4180mまで一気に1500mも上がったんである。ゼコゼコのハーハーだよ!順応が悪くて、スピードが落ち、おまけにヤクカルカ手前で風が出てくるは雪は降ってくるは、当然気温も下がってくるはで、もうダメ!
そこまでとは予想だにせず、防寒着も持たずだったから、仕方なく、ヤクカルカの石積みに逃げ込んで雨具の上下を着込んだ。
再び歩き始めたら本郷さんが降りてきた。顔見たら泣きそうになった。皆より2時間半遅れの到着になった。テント場に着いて人心地すると、間もなく夕暮れ。

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10月26日:終日、ヤクカルカ上テント場にステイ。

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ヘリが何度も盛んに上空を飛ぶ。聞けば先行パーティーが遭難し負傷・凍傷者はヘリ搬送されたが、1名は行方不明で、上空から捜索が続けられているのだという。数時間後上から降りてきた2パーティーもダンプスパスから上が「積雪量過多とホワイトアウト状態で撤退してきた」と話していたらしい。
サーダー(シェルパ頭)のオンチュによれば、「今年は例年になく降雪が早く、しかも多量で気温も低い」のだとか。なんだか前途多難…

10月27日:ヤクカルカ上からBCへ。
当初はカラパニ4560mでテント泊の予定だったんだが、またもや「水」事情でいきなりダンプスBC5000mまで上がることになった。
キツイ!登るほどにキツイ!!キツクくてキツくて、もうイヤーッ!!
それでも1歩、1歩、上がっていく。そして次の1歩を登ったら…
その「次の1歩」が何ものにも代えがたい1歩だと知った。目の前にとてつもない光景が目に飛び込んだ。トゥクチェピークを従えて聳えるダウラギリのなんという大きさ!雄々しさ!!それはもう神々しくさえあった。

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気が付けば雪斜面を歩いていた。どこからかを境にして、一面雪景色が広がっていた。ヨレヨレで辿りついてみれば、ダンプスBCは白銀世界の真っただ中だった。

夕方、食事に集まった面々の数が昨夕と2名少なくなっていた。本郷さんの話しによるとご夫婦で参加のMさんがヤクカルカ上から歩き始めて間もなく高度障害(チアノーゼ)が出て、登山続行は危険ということで、お二人とも降りることを選択したのだという。

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10月28日:終日、ダンプスBCにステイ。
ナンガ(メーカー名)のダウンの上下(防水タイプなので高所山行も可能)を着て、象足2重にはいても寒い。てか5000自体がキツイ。何をするにもハーハーする。トイレでしゃがんで立ち上がるだけでゼーゼーハーハー肩で息して、シュラフにもぐりこむのも3回に分けて、たんびにハーハー。頭は痛いし、顔はどんどん膨れてくる。

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10月29日:アタック中止。
午前3時・起床予定時間の時点で強風のため、昨日に引き続き、終日ステイ。夜明け過ぎに風が収まったので、今度はダンプスパス手前の稜線上まで散歩。散歩というには、キツ過ぎるよ、まったく。
高所では体内の水分がどんどん奪われるので、せっせと水分補給する。これでもかと水分を摂るが、さすがに1日3リットルはキツイ。時々エフッと酸っぱいものが上がってくるのが、なんとも気持ちが悪い。食欲、皆無。めちゃ、頭痛!

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10月30日:いよいよアタック!夜中3時起きの4時出発。
寒い!あまりにもの寒さに、ナンガのダウン上下で出かけた。毎度のことながら、すぐにおいていかれる。今回は一人でもたくさん登頂機会が恵まれるようにというので、最も弱体な私は専任シャエルパについてもらった。
今になって思えば、専任シャルパについてもらおうが、なかろうが、BC到着時から5000mに3日目なわけで、最初からゼーハー言うとるような弱体にそれ以上は無理だったのかもしれない。1歩進んでは立ち止まり、2歩歩いては休憩する。遅い足が、ますます遅くなり、ある地点で電池が切れた玩具のように足が止まってしまった。
もう体がだるくて、足が重くて上がらない。シャルパが「NO!NO!」と呼びかける声も、なんだか遠いところから聞こえてくるようで…気がついたらウトッとしてたり。もう何時間経ったのかさえ自覚できなくなる。

と思ったら、サミット直下の岩稜にクライマーらしき姿が。
「Your team mates!」

もう動くのも面倒で、地べたに座り込んでいたら、見る間に本郷さん一行が降りてきた。
「さ、帰るよ」
と言う本郷さんに「いえ、頑張って行きますから」
くたばってはいたが、行く気はあったりしたわけで、っていうか、これはもう慣性の法則というか、登り続けたい症候群というか。
「ダメだよ。死ぬ気か?ボクらここから行って戻ってくるのに4時間かかってるのよ。もう1時半だよ。4時間で行けたとして、6時半。その調子じゃ4時間では無理でしょ。日が暮れちゃうどころじゃない、返れないよ」
と言われて、ようやく事態のなんたるかを知ったというお粗末。つまり頭も酸欠で思考力皆無だったのよね。
「わかりました、降ります」
言ったとたんに涙が溢れた。そりゃあ、来たからには登って帰りたかったさ。弱体と言えども。
本郷さんが背中をトントンしながら言った。
「5555m地点だよ、ここ。ゾロ目だよ。ここまで、よく頑張ったじゃないの。ヤラ(ヤラピーク5525m)の時は酸素吸ったけどヤラより30m高いところまでのー酸素で来たんじゃない。成長してるじゃない」
それ聞いてまた、泣けた。

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「頑張って行きます」などとんでもなくて、5555mまで辿りつくのに全精力を使い果たし、BCに降りるに、どれだけ大変だったか。

10月31日:下山
全に次にすべてを使い果たした感。もうちょびっとも余力が残っておらず、頭はガンガンするは、呼吸困難だわで、1歩歩く度に死にそうになって、見かねたサーダのオンチュからkodama搬送指示が出た。つまり私はそこそこ標高が下がった地点まで、シャルパのパサンと専任シャエルパ(名前、忘れた)で交替交替でおんぶされたのだった。
途中で「もういいから」と言っても、よっぽどオンチュからがっちり、どこどこまでと指示されているのかして、決して降ろしてくれなかった。

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ようやく「おんぶ」を解かれた後も、往きにトゥクチェとダウラギリを見て感動したところ、最初のテント場、ヤクカルカを通って、マルハまで降りること、降りること。タフな行程についに腿がワラワラになった。10時間以上下ったと思われる。

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その夜の登頂祝賀ディナーで私はおんぶしてくれたシャルパに何度も礼を言った。そしてこう付け加えた。
「You have reminded me of my mother」

そう、雪の斜面で、片側落ちてたりの道の上のおんぶは最初怖くて緊張した。けれど、おんぶりひもにエアマットを巻いたりして、いろいろ工夫をしてくれたこともあり、しばらくするとすっかり慣れて、思わずトロリとしてしまった。
短い夢の中で私は母に負ぶわれていた。私は安心して眠っていた。愛に包まれて幸福だった。

11月1日:マルハ→ショムソン。車移動。

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11月2日:ジョムソン→ポカラ。小型飛行機で飛べばあっという間!

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11月3日:ポカラ→カトマンズ。陸路

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帰国して母の遺影の前に座って驚いた。当然なんだが、写真の中にいる母はずいぶん年老いて、認知症初期の攻撃性はもとより、もう持ち前の闊達さや鋭敏性やユニークな知性はすっかり失われて、ただただほんわり、にっこり笑っている。なんと私の脳裏にはあの雪斜面でシャルパの背の上でまどろみ見た、幼い私を負った母の面影が残像していたのだ。

母は最も刺激的なやり方で私への愛を伝えたのだった。

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