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<美術館>
美術館という言葉に憧れる。
ギャラリーと似ているが別物だと思う。
美術館にあるものは買えない。フツウは…。
ギャラリーは多くの場合、買って我がものとすることが出来る。
買える、或いは売るという事が加わると急にざわついてくる。鑑賞するだけでなく、使ったり身につけたり出来るものもあったりするわけで、様々なシタゴコロが渦巻く。(実はそれが面白いのではあるが。)
では美術館では何を得るのか?
美術館のものを買って帰ろうなどという目線で見る人はフツウ居ない。
が、以前“もし、くれるならどの絵が良いか?”ゲームをしながら観た時はもの凄くワクワクした。単純だなぁ。
美術館では鑑賞して、心に何かを頂いて帰る。それが日に日に薄まってしまうものもあれば、深く根を下ろすものもある。 観ることに専念するので 純粋に観れるのではないだろうか。
その空気感に憧れる。
ものをつくっている身としては、買っていただかなくては生活が成り立たないし、その真剣さが面白味ではある。だが美術館の様に作品から何かを受け止めようと全身を耳や目にして、空気の振動を読み取るかの姿勢に手の届かない憧れを感じるのである。
年明けのギャラリー個展の準備をしていて、不意に出た言葉が“私たちの胸元は小さな美術館”
胸元という空間をどう演出するか。自分を、そして通りすがる人を楽しませ 豊かにする演出。
アクセサリーやジュエリーは彫刻と似ている。
使うものだから使い勝手や安全性などは必要なのだが、身につけて持ち歩ける彫刻。なんと愉快なものだろう。
ある方がご自宅の窓辺を“灯台”と呼んで、飾ることを楽しんでおられた。
冬のスウェーデンでは窓辺に灯る明かりや星、暖かな色味のダーナラホースが道行く人を照らす。
毎年お世話になるギャラリーではトイレを小さな美術館と呼んで作品を楽しむ空間にしている。人目を気にせず超プライベートに楽しめる。ギャラリーの中にある美術館。
自分の胸元はシタゴコロの無い純粋に楽しめる場所。
私のものを美術館に飾ることは出来ないが、プライベート美術館で楽しむことは出来る。
静謐な空間とするか、目をひん剥く様な演出とするかは自由。日替わりで楽しめる。
追記
前回登場しましたコタロウは記事がアップされた日に旅立ちました。
まだまだこれからが大変と思っていた矢先、いつも佇んでいた窓辺に連れて行ってあげたら不意に呼吸が止まり、窓からピョーンと飛んで行ってしまいました。
ひどく苦しむのだけは可哀想と思っていたので、思わず“良かったね”と話しかけました。
元気に虹の橋に飛び乗ったコタロウ、あっぱれ。
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