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撮影年月日 |
2003/05/22 |
撮影場所 |
北海道 |
学名 |
Papaveraceae colydalis ambigue |
科目・属 |
ケシ科キケマン属 |
季節 |
春 |
生育地 |
湿り気のある林内や林縁 |
分布 |
北、本(中部地方以北) |
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マブタの花
同じく層雲峡で遭遇。
一瞬夢かとも思った。一生見られないかもしれないとも思っていたのだから、思わず吸い込んだ息を吐き出すのを忘れた。カメラを構えると緊張のあまり体が揺れた。
ホームページを立ち上げて、念願の「勝手に・・・」をUPし、植物系のお知り合いができるにつれどこそこにUPされているエゾエンゴサクを見ては溜息が出た。
「一度でいいから見てみたい・・・」
そもそもムラサキケマンやキケマンはなぜか大好きな花の一つ。アタシにしてみればエゾエンゴサクはその冠をいただいているような存在だった。
北海道ツアーから帰った後、一緒に行ったまりりんと、共通の友に会う機会があった。まりりんがアタシとエゾエンゴサクとの出会いを話題にした。
「感動!感動!ったらなんの!!」
オスミさんが訊ねた。
「いつごろ、どうゆうわけで、そんなに野草好きになったん?」
そのへんそれまで考えたことがなかったわりに、アタシはスラスラ応えたように思う。
________そも草花の楽しみをアタシい伝えたのは母だった。アタシがまだ小学生だった頃だ。決してゆとりある暮らしぶりでもなかったのだが、当時にしては高価なカラーの写真解説の植物図鑑を買ってくれて、休みにはしばしば野原に植物観察に出かけた。そうして家に帰ると図鑑を引いて見てきた草花の名を調べる。それは楽しいひと時だった。
大人になるに連れ両親と疎遠になっていった。母は疎ましい存在になり、やがて倦むべき間になり、そして「大嫌い」な存在となり、ついにはそれも諦めの境地に達した。
実際の母とは乖離したところにアタシの母像は結ばれている、と感じるようになってからよほど長くになる。
完全に二つに乖離することによってようやく静まった心であったはずだが、やはりどこかで死に絶えない悲しみが心底にい続けたのだろう。
だから、母とのたった一つ、思い起こして不快でなく、楽しく懐かしい思い出が草花だった故に、母を懐かしむ代わりに草花を好きになったのかもしれない。________
というような説明をしたと思う。自分で話しながらわれから納得した。
母と歩いた草原にムラサキケマンの群生はよく見かけたが、キケマンはそうやすやすとは見かけられるものではなかった。何かの折、いつもとは違う幾分山中へ分け入ってキケマンを見つけた。
昨春、稚内でミヤマキケマンを見つけた時も妙に懐かしく胸詰まる思いがした。
この春はまたエゾエンゴサクを見つけた上に、なぜにこれほどに感動してしまうのか、感作の源を発見した。
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