まもなくロンドン五輪開幕・熱狂オリンピック伝 !
――きっかけはロス五輪
アメリカ・ロサンゼルス
マニアとまで言ったら確実に言い過ぎだと思うが、私はけっこうなオリンピック好きである。
84年ロス五輪の会場となった「メモリアル・コロシアム」夏季、冬季を問わず、その開幕前には日本の金メダル予想を必ず行なっている。とはいえ、「闘う前から負けることを考えるヤツがどこにいる、バカヤロー!」というアントニオ猪木の精神に則っての予想なので、度を超えたヒイキ予想となり、金メダルはともかく金銀銅のメダル獲得予想値は毎回30を越えたりする。06年の冬季トリノオリンピックでも金メダル3個、メダル総数18個と予想をした挙げ句、我が国唯一の金メダルとなったフィギュアはミキティと村主章枝がノーマークだったのはともかく、当の荒川静香を銅予想止まり(笑)。まあ、最初に書いたように単なるオリンピック好きなおっさん、それ以上でも以下でもない、ということである。
さとそんな私がオリンピック好きになるきっかけ......まあ私に限らず世の人たちは最初に見た、覚えているオリンピックでの出来事がきっかけになると思う。これは別に感動的なものでなくても、たとえば92年夏季バルセロナオリンピックの男子マラソンで谷口浩美の靴が脱げたであるとか、スキージャンプで原田雅彦がなにかとやらかしたであるとか、そんな記憶もあるだろう。
開会式に登場した「宙に舞う人」。驚いたものです私の場合は最初に見た覚えのあるオリンピック......うっすらとは84年の冬季サラエボオリンピックの記憶があるのだが、確実に覚えているのはその半年後に開幕した夏季ロサンゼルスオリンピックである。
開会式でのジェット噴射を使って人が空を飛ぶ演出や、陸上男子100mでカール・ルイスが9秒99で金メダル獲得など、思い返せる事柄は多いが、中でも印象に残るのは柔道男子無差別級で山下泰裕が獲得した金メダルである。
いまもって日本柔道史上、いや世界柔道史上最高の選手と言っても過言ではない男・山下泰裕。現役引退まで203連勝を重ねる強さでありながら、どことなく愛嬌のある柔和な表情。子供心にも「気は優しくて力持ち」なヒーローであった山下が、最盛期であったはずの80年夏季モスクワオリンピックの日本ボイコットを経てやってきたロサンゼルス。金メダルへの高まる期待の中、二回戦で軸足でもある右足が肉離れを起こしてしまう。山下自身は「故障を悟られないようにと平静を装っていた」と後に語っているが、テレビ画面を通じてもそれは明らかだった。続く準決勝は先にポイントを取られるなど大苦戦の果ての勝利と、決勝戦での山下の苦戦は免れない状況だった。
しかし、山下は勝ったのである。エジプトの強敵・モハメド・アリ・ラシュワンに横四方固めで一本勝ちを収め、全試合一本での完全勝利を遂げた。涙を見せる山下の姿はもちろんのこと、いちばん高い表彰台に上がる山下の右足を気遣って2位のポディウムから手を差し伸べ、そして負傷した右足を攻めなかったラシュワンにも感動したのを覚えている。
少年の心を躍らせた山下泰裕vsラシュワン(テレビ画面より)僕も山下泰裕のように強く、そしてラシュワン(当時は名前知らないよ)のように正々堂々としよう――。
そうココロに強く思ったものだが、それから約15年もしたある日に仕事でお目にかかった、同じロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得しているある格闘技系種目の選手からこんなひとこと。
「山下さんの右足を攻めすにラシュワンは正々堂々と闘った? いやそれは違う。右足はすでに故障しているのだから、左足を攻めたら両足にダメージとなるよね。わかる? そういうことなのよ。それに山下さんは『右足を攻められていない? いやいや攻められてますよ』とも言ってるよ。あのね、試合ってのは......特にこれはオリンピックの試合なんだからね、そういうもんなんだよ」
思わず椅子から転げ落ちてしまったが、もちろん山下泰裕が金メダルを手にしたあの決勝の思い出は色褪せるものではない。
さあ、まもなく開幕するロンドンオリンピック、また新たにどんな思い出を胸に刻んでくれるのだろうか。今回もメダルの数を勘定しつつ、楽しみに待つとしよう。
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特集 : 特集記事 記:松本 伸也(asobist編集部) 2012 / 06 / 11