【9〜10月は公園】猫と哲学する秋
東京・青梅市
ひぐらしの声が遠のいた。赤とんぼの群れが航空ショーを繰り広げ、夕焼けとともに、虫たちのオーケストラが聴ける。いつの間にか空は高く、肌をなでる風も心地よくなった。
台風さえなければ、秋は一年で、もっとも過ごしやすい季節である。
秋空のもと、あてもなく散歩に出かけるのはいいものだ。ふらりと公園に立ち寄ってみるのは、もっといい。
公園では、時と気候と運さえ揃えば、猫に出会える。
草の影、木の上。思わぬところに彼らはいる。
猫は、クッション性抜群の肉球で音もなく歩き、迷彩柄の毛皮を大いに生かして、景色に溶け込んでいる。
市内の公園のベンチでは、大きな猫が寝ていて、少し迷惑そうに片目だけ開けて、わたしに一瞥をくれると「なんだ、おまえか」という顔をして、また目を閉じた。彼に会うのは3度目。覚えていてくださったとは、光栄のいたり。
しばらくすると、茂みから若い猫が出てきて、S字に体を伸ばしてから、先ほどの猫と並んで寝はじめた。さながら親分子分。この公園を管理しているおじさんたちに世話をされている彼らは野良猫とは少しちがう。地域猫(※)という存在である。
ところ変われば、猫も変わる。城跡公園に行くと、あちこちの茂みからワラワラと猫たちが登場してきて、おどろかされる。ベンチの下には水とごはん。離れた場所には猫用トイレ。そう、彼らも地域猫なのである。
その中には生後1カ月ぐらいのおチビさんもいて、愛くるしい目で好奇心に足を浮つかせながら、わたしのあとをチョコチョコついてくる。母親らしき猫が1メートルほど離れた場所から、それを見守っていた。
野良猫の寿命は平均すると4、5年とも言われ、人間界は、交通事故、病気、けが、虐待など、外で生きる猫たちにとって、けっして住み心地のよい場所とは言えないだろう。
しかし猫たちは、人間社会に順応しながらも野生を失うことなく、かしこく生き抜く術を身につけてきた。
たとえば、水を大切に飲む。おいしそうにごはんを食べる。真剣にあそぶ。寒ければ誰かに寄り添い、暑ければ木陰に寝ころぶ。居心地が悪ければ、文句は言わず、ただ居心地のいい場所を探すだけ。そうやってシンプルに生きている猫たちを見ていると「原点」という言葉が浮かんでくる。
猫は独立心が強い動物なためか、孤独に生きていると思われがちだが、親のない子の世話をすることもあれば、他の猫とも友好的につきあう。猫はどうやら「ひとり」が好きなのであって、「孤独」が好きなわけではなさそうだ。
彼らは仲間とも人間とも自然な距離を保ち、さりげなく相手を気遣いながら自分に正直にシンプルに過ごしている。わたしもそんな猫たちを見習いたい。猫大先生! そんなことを熱く考えていると、「何をごちゃごちゃと……」と、あの親分猫にオレンジ色の鼻先で笑われたような気がした。
※地域猫……特定の所有者(飼い主)がいない猫で、かつその猫が住みつく地域の猫好きな複数の住民たちの協力によって世話され、管理されている猫のこと。――Wikipediaより抜粋
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