【冬は橋】マザー・テレサの街コルカタ
インド
インド国内を旅する人はまずコルカタから入ると、以後どの場所へ行っても驚かないと言われています。それほどコルカタは人間や牛、野良犬、カラス、慢性している交通渋滞に大騒音など全てがカオスなのです。でも不思議と不協和音を出しながらも皆がそれぞれに調和して生活していっている、そんなコルカタから巨大な橋をご紹介します。
ベンガル地方のコルカタは世界史で登場した「東インド会社」の中心でした。コルカタ(当時はカルカッタと呼ばれていた)に17世紀、250年もイギリスによって総監府が置かれたのです。その後はデリーに総監府が移りました。だからでしょうか。英国調の建物も多くて、特に駅は立派。まるで英国の雰囲気そのままです。
さてハウラー地区には有名な「ハウラー橋」があります。吊り橋はもともとフーグリ川にあったものの、潮の干満によって水の流れが変わりいつまでも吊り橋だけを使っていると不便な事がわかりました。牛車もひんぱんに通り、新しくハウラー駅が出来たため、多くの人が橋そのものを利用します。いくら丈夫なヒンジ構造を取り入れた橋とはいっても、スロープがあまりにも急勾配しているため、牛車には不向きです。新たな橋の建設プロジェクトが立ち上げられて、カンチレバー方式(両岸に片持ち梁をのばして中央にある吊桁を支えるもの)を導入しました。いくら川にたくさん橋桁を建てても川の流れを妨げて、下流にあるコルカタ湾に悪影響を及ぼすという意見が出たのです。結果、1つの巨大なフーグリ川と対岸のハウラー地区を結ぶ「ハウラー橋」の建設が提案されたのです。
1943年、20年もの歳月をかけて橋が完成しました。全身705メートル。幅22メートル。両サイドにある歩道部分は5メートルです。そして驚く事に橋の大きな鉄骨のトラスが85メートルもあります。全幅が32メートルのハウラー橋は、アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したコルカタ出身の詩人、ラヴィンドラ•タゴールの名前にちなんで「ラヴィンドラ橋」と正式に改名しました。ハウラー橋は英語表記のみとされています。路面電車も撤去されて、1992年には4キロメートル下流に第二のフーグリ橋が誕生しています。
2005年には大々的な修復工事をした際に駆り出された労働者は何と250人。使われたペンキが3万?で、ライトアップのためにドイツとオランダで取り寄せたライトは750個にも及んだことでメデイアをにぎわせました。
ガンジス川の分岐川でもあるフーグリ川では、ハウラー橋を背に多くの信者たちが毎朝毎晩と沐浴しています。ライトアップされた異空間で沐浴する彼らはしく思えるのは橋の偉大さだけではないかもしれません。
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