【魅力的な建物】清正公さんが建てた難攻不落の「熊本城址」 

熊本県熊本市

toku160906_01.jpgわたしが無傷の熊本城址を見たのは、今から10年も前のこと。貼りつくような熱気と太陽。虫の声と雑草に埋もれながら、漆黒の外壁は佇んでいたことを思い出す。
熊本城といえば、加藤清正。清正といえばセロリ。熊本では、親しみを込めて、加藤清正のことを「清正公(せいしょこさん)」と呼んでいる。そしてセロリの別名は「清正人参(キヨマサニンジン)」
朝鮮出兵の際に清正が日本に持ち帰ったのがはじめてだとされているが、洋風な野菜の代表格のセロリがまさかのルートで広まったと知り、驚かされる。

3ケ月前の熊本地震で、その清正公が建てた熊本の象徴・熊本城の石垣や矢倉(櫓に同じ)天守閣の瓦など、ほとんどの場所が甚大な被害をこうむったというニュースは耳に新しい。

地震により崩落した石垣や櫓、土台、瓦。二次災害を防ぐために立ち入り禁止の城跡の姿は、あまりにも衝撃的だ。(立ち入りは 禁止だが二の丸広場や加藤神社周辺からは、矢倉などを臨むことが可能)
城全体を覆いつくす背の高い雑草。崩れたままの石や土もそのままに、手つかずのまま放置されている。

被災した市民にさらなる打撃を与えた城址の深刻な被害だが、奇跡は静かに起こっていた。希望は消えてはいなかったのである。震災であれだけ甚大な被害を出したにも関わらず、築城の名手・加藤清正公が建てた宇土櫓(うとやぐら)だけは、ほぼ無傷だったのである。西南戦争の時も宇土櫓だけは火災を逃れ、今回の震災も逃れたが、単に運がよかったと片づけられない。清正公に守られていると信じざるをえない。熊本城址の姿は、被災者をはじめ、復興を願うすべての人たちの心に勇気を与えている。
一説には、建物を守るためにワザと瓦が落ちやすく設計してあったのではないか?との説もある。先人の知恵には驚かされる。

件の震災では、わたしの夫の友人や知人夫妻も被災した。
幸いにも彼らにケガはなく、比較的、被害の少ない地域に住んでいたが、それでも被害がなかったわけもなく、家の中は住める状態ではなく、思い出の品が壊れていたり、一瞬にして積み重ねてきた日常を非日常に変えられて、言葉では言い表せないショックを受け、苦労をして、天災という不可抗力の 大波に押し流されそうになりながらも、それを撥ね退けようとあらがい、少しずつ、少しずつ、着実に日常生活を取り戻しつつある。

そんな彼らが発信する現状や新しい試みと熊本城は、わたしたちに大切なことを教えてくれる。写真の中に残る地震前の美しい熊本城址の姿。そして清正公の築城技術をわれわれ現代人が、今こそ見習い、必ずや復旧し、被災者が以前の姿を取り戻してほしいと、切に願わずにはいられない。


参考資料:熊本城観光リーフレット
熊本日日新聞社・著「フォト・レポート1 熊本城」

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特集 特集記事   記:  2016 / 09 / 06

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