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【魅力的な建物】祟りで天守閣が傾いた城 〜松本城の亡霊と伝説〜
暑さ寒さも彼岸までとは、よく言ったものだ。
夏真っ盛りから、すでにひぐらしが合唱を繰り広げ、赤とんぼもチラホラ飛んで、季節を先どりしている。
さて、そんな季節の移ろいを最も顕著に感じやすいこの日本では、情緒あふれる史跡が数多(あまた)存在する。
中でも現存する城が12城あるが、その内で唯一の平城である松本城の存在感は堂々たるものだ。
漆黒の外壁のすごみ。5重6階の天守閣が水堀に映る姿は、圧巻である。ことに真っ赤な埋橋(うずみのはし)と黒い城の姿を遠景から見ると、水面に城の影が映り、コントラストが美しい。
長きに渡り残存してきた城には付き物の伝説が、いくつか存在している。中でも「加助の祟り」の話が有名である。江戸時代の初めごろ、毎年のように長雨がつづき、疫病が流行り、凶作がつづき、餓死者、病死者が、およそ4000人にも達した。そんな飢餓に苦しむ農民たちに追い打ちをかけるように藩が増税を迫った。
領民の代表として庄屋で文武両道の多田加助(ただかすけ)を先頭に数十人が武器を手に城へ迫り直訴した。一旦は理解ある重臣が領民たちを見殺しにできないと、年貢を減らす約束をしたものの、その後、藩は約束を反故(ほご)にし、年貢を元通り引き上げたばかりか、一揆の首謀者だった加助をはじめ、数十人とその家族まで、引っ立てて、磔獄門(はりつけごくもん)に処したのである。
加助は、死の間際に「わしの一念で、城の天守閣を傾けて見せよう」と言い残し、領民たちが城を見上げると、天守閣が西へ傾いて見えたという。
藩は天守閣の傾きを修繕しようと、大工を呼び、幾度となく修繕させたが、すぐまた傾斜してしまう。大工たちは、口々に加助の祟りだと噂し、藩士たちでさえ、祟りを恐れ、天守閣に登る者がいなくなったという。その後も当主の家が没落したのは加助の亡霊を見たせいだとの噂が流れたという。
実際には、木造建築のサガで、経年劣化により柱が腐っていたのが原因だったわけだが、無念の死を迎えた加助の執念を思うと、本当に祟りだったのではないだろうか?と思ってしまう。
さて、そんなおどろおどろしい逸話の残る松本城だが、年間を通して、さまざまなイベントが催されている。
1月の「あめ市」は、上杉謙信が武田信玄に塩を送った、あの「敵に塩をおくる」の語源にもなった有名な逸話が由来とのこと。7月下旬には、国宝松本城太鼓まつりが開催され、8月上旬には、国宝松本城薪能(たきぎのう)と女の子が紙でこしらえた花を髪に飾り、浴衣にポックリで、ほうずき提灯をさげて歌を歌いながら町中を練り歩く、江戸末頃から始まったとされるこの行事は、先祖霊を鎮魂するためとされる。他にも男の子のための行事もある。9月には国宝松本城月見の宴が開かれ、人々を楽しませ、観光のメッカになっている。
国宝に指定された天守が祟りによって傾いたという伝説は、先祖代々、今もなお語り継がれ、現在に至る。
参考資料:小学館/週刊 名城をゆく 12 松本城
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