トップページ > 特集 > わたしこんなの買ってはる
わたしこんなの買ってはる
旧ユーゴスラビアの「今」との出会い
ボスニア・ヘルツェゴビナ
世界遺産周辺は美しく整備されているが
クロアチア出身の Maksim Mrvica というピアニストがいる。
端正なルックスと才能を兼ね備えたピアニストだが、少年時代に旧ユーゴスラビア内戦に巻き込まれ、避難生活を余儀なくされたという。セルビア軍の爆撃を避けて自宅の地下室に隠れ、長いときは1週間も太陽を見る事がない生活が続くなか、ピアノは自分の生きる支えだったと本人は語る。
そんな過去を微塵も感じさせないほどに彼の演奏は美しく、いつしか彼が育った旧ユーゴスラビアを、自分の目で見てみたいと思うようになった。
そしてその夢は2010年の春に実現した。
国際線を乗り継ぎ、クロアチア最南端のドブロブニクからモンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナと巡り、さらにクロアチアに戻って北に抜けるルートを辿る。現在は国家として独立しているがこれらはすべて、1995年の内戦終結後に独立した旧ユーゴスラビア領だ。
まずはアドリア海沿岸のクロアチア南部、モンテネグロと滞在したが、このあたりは東欧屈指の観光地として復興を遂げており、内戦の爪痕はあまり感じられなかった。
ところがバスで2時間ほど北上したボスニア・ヘルツェゴビナの街、モスタルに入る辺りから様相が一変した。
壁も屋根もボロボロ
銃弾の跡が至るところに
店舗の上は未だ廃墟
世界遺産に指定されている旧市街近辺は綺麗に整備されているものの、モスタルは旧ユーゴスラビア内線の激戦地である。街の至るところ、いや、世界遺産以外の建物すべてかもしれない。至るところに銃弾の跡が残っている。ひどいものだと建物の四方に銃弾の跡が。また道路一本を挟んで激しい銃撃戦があったと思われる場所もあり、まさに「蜂の巣」な建物に言葉を失った。
各国の援助を受けて復興中
窓から内部を覗き込むと真っ黒に焼け焦げており、ほんの20年前にここで何があったか想像に難くない。それでも骨組みは丈夫なのか、一階部分のみ修復して店舗にしている建物があったり、一見して廃虚のように見える建物でも人が住んでいたりする。各国の援助を受け、ダメージを負った建物を取り壊さずに再建するプロジェクトもあるようで、まさに復興のまっただなかといった様子がうかがえた。
クロアチアほど早いペースでないにせよ、数十年後にこの街は、元の姿を取り戻すだろう。
その前に、この旧ユーゴスラビアの「今」を、誰かに見てもらいたいと思った。
その機会を与えてくれた Maksim Mrvica に感謝するとともに、人々が受けた傷が一日も早く癒えるよう、願ってやまない。
Tweet |
特集 : わたしこんなの買ってはる 記:為平 千寿香 2010 / 06 / 10