勝手に読書録
まおゆう魔王勇者
作者名:橙乃 ままれ
ジャンル:ファンタジー
出版:エンターブレイン
まおゆう魔王勇者(1)
「『“悪”の秘密結社』などと、ともすれば“悪”と自称までしてしまう人たちだとしても、彼らから見たらライダーやら戦隊やらのほうが“悪”だ」
個人的によく言い、よく書いていることなのだが、“善”と“悪”などというのはその立ち位置や捉え方によって簡単に変化する。現実のような法治国家が舞台であれば、法や社会に対する重大なモラル違反の有無などで“善”と“悪”を固定化することはできるが、それとて万能であるかはわからない。その法や社会が間違っているかもしれないのだから。
……理屈を書き並べるのはこのへんにして、最初のような例をもうひとつ出そう。
ロールプレイングゲームにおける「勇者」と「魔王」
このふたつの存在に対し、我々が求める立場と役割はなにか。
それは、
“絶対善”である「勇者」が“絶対悪”である「魔王」を倒す。その結果として世界に平和が訪れる
これでほぼ間違いない。そしてそのために我々はコントローラを繰っているわけだ。
わけだが、そこに真っ向から切り込んできたのが、本書『まおゆう魔王勇者』なのである。
魔王の城で勇者と魔王(女王)が対峙する冒頭、魔王からの「こんにちは」という挨拶など(普通なら)最終局面とは思えないほどのユルいやり取りに困惑する勇者。人間界と魔界があるこの世界が「本当に幸せになるのなら倒されるのもやぶさかではない」と宣言した魔王が「勇者に魔王、どちらが倒されても平和どころかこれまで以上の全面戦争になる」という認識や「現在続いている戦争がもたらした功罪」などを滔々と語る。困惑が深まるばかりの勇者に魔王は「ともに協力して幸せな世界を創り出そう」と提案する。
勇者側が“絶対善”だとしたら、これは単なる命乞いか時間稼ぎ、もしくは本書が言うところの“古の故事に習った提案”なのだが、この世界の歴史ではまず人間界がなにもしていない魔界に攻め入って現在も魔界に領地があり、そのために魔界も人間界に斬り返して同じく領地があるとなっている。つまり領土を最初に侵犯したのは人間界であることから、勇者側は絶対どころか“善”でもなく、そして魔王側も“悪”ではない。
魔王はそれを指摘し、あくまで対等な立場で手を取り合う交渉をする。「専門は経済学者の魔族」として「でもオレ、魔王を倒すのを期待されているわけだし……」という当たり前の疑問を口にする勇者に対し「倒されてもいいけれど、平和も幸せも来ない理由」を経済学や社会学の知識を駆使、ついに説得して(されて)しまい、正体を隠した魔王は勇者とともにまず人間界へ向かい、社会の変革に着手する――。
このあらすじな第1章の後、寒くて痩せた土地の多い人間界での農地改革として登場する作物や、海路で方向を示すある発明品など、我々の世界では“世界3大○○”など中世以降に登場する様々な物や思想、経済学に社会学に哲学、果ては人権思想に民主主義、軍事学などがこれでもかと魔王とその周辺から提示され、実践の果てに本書の世界は劇的に変わっていく。
ファンタジーのパロディかと思って読み始めると、いつのまにか様々な知識を得られる……は言い過ぎか、様々な見識に触れることが出来る本にこれも劇的に変わっていくのである。
しかも本書は、いわゆる“地の文”が一切なく、すべて登場人物の会話と回想、擬音だけで構成されている。それ故にこれから採るべき施策の説明や、“思案のしどころ”といった場面ではかなり長いひとり語りになるのだが、読み進めていくうちにこの“長回し”が本書のキモだと気が付いてくると、1巻はもちろん5巻まであっという間に読破してしまうことだろう。
そうこの本、5巻まであるんですよ。しかも上下2段組で1巻当たり350ページ前後。あくまで入口はファンタジーという多少の間口の狭さ、特殊な文体、そして長いセリフ回しの末の全5巻など、拒絶する要件はいくつでもある。意地で読了した1巻で断念、いやいやそれもせずに途中までという人もきっと多いはずだが、それはもう仕方がないとも思う。だが、その“長回し”が段々と楽しみになってくる人は特に3巻以降、ページを繰る手も次巻を買う手も止まらなくなるはずである。あと、先に書いた“古の故事に習った提案”として「私の仲間になったら世界の半分をやろう」に対する魔王の見解でニヤリとさせられた人は必ずハマると個人的に断言する。
前代未聞の勇者と魔王が手に手を取り合って進める平和と幸せの道の行く末にはいったいなにがあるのか? 先に、「いつのまにか見識に触れられる本に」と書いたが、巻が進むにつれそれはまた別の顔を見せ始める。「避けられない戦争」として戦略、戦術論満載の激突シーンもあれば、本書の読者としては“絶対悪”と設定できる巨悪も登場し、その討伐譚も登場する。そして「お互いの所有物」として協力を始めた男の勇者と女の魔王だけにその関係も……。
とにかく、読了後に感じることは数多い。青年商人(ちなみに役名はすべて肩書きのみ。魔王は魔王、勇者は勇者。青年の商人だから青年商人)が仕掛ける経済戦争での戦略などを経済論から批判する向きなどもあるようだが、それはそれとして様々な見識や勇気、素直になれない愛の発露(笑)や続編へのささやきなど、多くの思いが残ることだろう。
1巻刊行から3年4カ月。『まおゆう魔王勇者』、見損なっておりました。快作。