初恋物語
さとるちゃん...
「おばちゃん」ってぐらいだから、もとは「女の子」だったのよね。
確か小学校の5年生ぐらいだったかな、おんなじクラスに「さとるちゃん」て男の子がいた。なにさとるちゃんだったか、はて記憶がないのだが、面立ちははっきり覚えていて、40年以上経った今も時折思い出したりする。
それが「初恋」だったかなんて、未だによくわからないのだが、それが私の最も古い「男の子」の記憶なのだ。
たとえば煮物をしようとしていて、スーパーで買ってきたサトイモの皮をむいていると、なかにころっと丸っこいのがあったりすると、ふとさとるちゃんの面影がよぎったりする。さとるちゃんの頭の格好はサトイモのようだったのだ。
サトイモの円周の小さいほうがあごって感じ。だから顔は丸三角。
さとるちゃんは皮をむいたサトイモのように色が白かった。色が白い分くるっと黒目がちな大きな眼と、たくさんあるほくろが妙に目立って、それが結構チャーミングに見えた。
さとるちゃんとどいう会話をしたとか、なんだとか、そういうことは一向に思い出せないし、私がさとるちゃんに「なんだかほの字」というのだったかどうだったかもはっきりしない。
のに、サトイモのようなさとるちゃんの面立ちだけが鮮明なのは、一体何なのか、きっとこれは一生なぞだな、など思ったりする。
京都の大文字山のふもとの小学校の校門脇にあった大きな桜の木は、今も春には花を咲かせるんだろうか。
その大文字山の中腹ほどにあった3軒長屋の角の家。8月16日には、2階の物干しの上から盆のおくりの山焼きを眺めたものだった。「大文字」そのものは真裏だから見得べくもなかったが、屋形船や鳥居、左大文字に赤々と火がともるのを飽かず眺めた。
生まれて中学1年生まで暮らした地は、親たちがそこの出身者ではないこともあり、今ではおよそ遠いところになってしまった。当時のクラスメイトたちが、ど のように散って、今では何をしてどう暮らしているのか、全くの音信不通なので、なにもかも知るよしもない。
父は長野、母は福岡出身で、私は京都生まれの中学1年まで京都育ち。高校3年までは東京で、学生時代神奈川に住むようになってからこっちずっと横浜暮ら し。そんなジプシーの私にとっての「故郷は?」と問われて心が立ち返るところは、やっぱり京都なのかな、と思ったりする。
そんな「故郷喪失」の「望郷の想い」がさとるちゃんのサトイモ顔と結びついているのかもしれない。
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