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VIVA ASOBIST
vol.45:川崎 誠
五感を刺激する「香り」の世界
【プロフィール】
1956年3月15日新潟県新潟市生まれ
1979年北里大学薬学部卒業
株式会社さんまた代表
「香り小町/香り小町GALELIE」店主
「僕は元々、線香の匂いが大嫌いだったんです」 新潟唯一の薫香専門店『香り小町』に併設されたカフェスペースのカウンター越し、穏やかに微笑む川崎誠さんが、お香を扱うお店を経営している理由は?彼の生い立ちから紐解いていくべきだろう。
婦人小間物を扱う商家の長男として、新潟市で生を受けた川崎さん。彼には重度の障害を持った弟がいた。夏休みに新潟へ遊びに来る従兄弟達は楽しそうにキャッチボールなどに興じているのに、自分と弟はそれすらままならない。
「医者になって、弟の病気を治してあげたい」
子どもながらに決心をし、医大への進学を志した。
「医者は病を見つける役。病を治すのは薬の役目」
そう感じた川崎さんは、北里大学の薬学部に入学する。
ところが元来縛られるのが大嫌いな性分、当時出会った音楽や芸術の世界のとりこになり、授業にはろくすっぽ出席しなくなってしまった。「北里大学始まって以来の最悪の学生」とまで呼ばれ、教授に退学届けを突きつけられたことも。
当然ながら、必修科目の単位は落としてしまう。そんな川崎さんが立派に?進級・卒業できたのには様々な“裏技”があった。
単位を落としかけた科目のひとつが体育だった。その頃に体育の女性教諭が入院してしまう。そこで川崎さんは、毎日毎日花瓶に入ったバラの花束を持って見舞いに通った。本当に、毎日毎日、だ。やがて病室はバラの花束でいっぱいになり、教諭の夫が不審に思うようになり始めた。それでも川崎さんは毎日毎日通った。すると女性教諭は、
「単位をあげるから、もう来ないでちょうだい!」
と根負けしてしまったのだ。
“裏技”のことを知らない同級生達は、川崎さんを「奇跡の人」と呼ぶようになった。
いつの間にか医学・薬学よりも、音楽や芸術の世界への関心を強めていった川崎さんは、在学中も何度か訪れ、馴染みのあったアメリカへ卒業後に渡り、自身、及び他のアーティスト達のサポートをしていきたいと希望した。しかし、家業を継がせたいと願う父は、
「商売人の修行をしてからでも遅くないだろう」
と息子を説得し、東京にある知り合いの店で働く手はずを整えた。
「まんまと騙されましたね。丁稚で5年、新潟に戻ってから6年、合計11年働いたけれど、全く肌に合わなかった」
親戚・親類にも「誠君は芸術の世界と接している方が輝いて見える」と言われていた息子に無理をさせてしまったという親心からか、“しばし”の休暇が川崎さんに与えられる。しかし、さすがに1年もふらふらいていると、「いい加減働け!」と、今度は怒声が飛んできた。
ちょうどその頃、不動産会社を営む知人から、「良い物件があるから、何がしかの店を開いてみないか」ともちかけられた。川崎さんには薫香業界に30年以上身を置き、その知識も幅広く深い姉がおり、彼女にはかねてから新潟市内で薫香専門店を開きたいという夢があった。渡りに船、といったところだろうか。『香り小町』の誕生だ。2000年のこと。
川崎さんはそこを「手伝う」という形になった。
のはずだった。が…
当時某百貨店で派遣の販売業に就いていた姉は、あまりの接客の良さからか「自分の店」に入ることがなかなか許されず、いつの間にか川崎さんが「店の顔」になってしまった。
さて、「線香の匂いが大嫌いだった」川崎さん、なぜ薫香専門店を営むことに抵抗を感じなかったのだろうか?
「僕はどうも嗅覚が極端に鋭いようで、子どもの頃は仏間に近づくだけで暗い気分になっていたんです。でもある時、親戚の家の仏間に入ったら、今までに嗅いだことがないくらいにいい香りがしたんですね。使われていたのは伽羅(きゃら)だった。それに惹かれて以来、香りの世界が大好きになったんです」
『香り小町』が開店した頃、それ以前の新潟市内では限られた種類のお香が限られた店でしか売っておらず、国内外の上質なお香、オリジナルブレンドのお香を扱う店の登場は大きな評判を呼んだ。
そこまでで満足しても良かったのかもしれない。しかし、聴覚的芸術、視覚的芸術、味覚的芸術、触覚的芸術をも心から愛する川崎さんは、嗅覚的芸術である「香り」と絡めた、五感を刺激する空間を作りたいと考え、2006年12月に店舗を移転させ、ギャラリーとカフェスペースを設けた。
店内には二胡のメロディーが流れる。川崎さん自らが淹れる水出しコーヒー。まずはグラスの美しさが目を捉え、手に取るとその素材感が柔らかに伝わってくる。優しい香りが鼻を抜け、傾けると、氷が転がる涼しげな音が心地よく耳に届く。そして、爽やかな味わいが口の中に広がるのだ。
「僕は五感を大切にしたいんです。現代社会はデジタル化しているけれども、それを扱う人間や生き物はアナログ。アナログには心があって、五感があります。それを研ぎ澄まして、体に入る—飲み物や食べ物はもちろんですが、空気や音、言葉など—全てのものに気を配っていくことで、デジタル化社会とのバランスがとれるのではないでしょうか?」
川崎さんは「この店にあるものは全て、“商品”ではなく“作品”」だと言う。
「お香も、野菜も、料理も、誰かの手が加わったものは全て素晴らしい芸術作品。そういった意識が低下しているから、売る側も買う側もぞんざいになってしまうんじゃないでしょうか」
確かに、良い物を扱う店、美味しい料理を食べさせてくれる店などは、接客態度のレベルも、客のマナーの質も高いことが多い。心を込めて仕入れ、あるいは料理し、「芸術作品をお出しする」という自負を持って提供してくれるからこそ、客の側も丁寧に受け止めたくなるのかもしれない。
店内を見回すと、所狭しと並べられたように見える“作品”は、どれも絶妙な場所に配置されている。この店は川崎さんの“作品”なのだろう。
「言ってみれば、人間だって素晴らしい芸術作品ですよ」
終始微笑を絶やさない川崎さんのような人が増えれば、世の中は本当の意味で豊かになるのだろう。
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読み物 : VIVA ASOBIST 記:鈴木 希望 2008 / 10 / 01