トップページ > 読み物 > VIVA ASOBIST
VIVA ASOBIST
Vol.58 平山ユージ
世界に誇るクライマーの「道が拓けるとき」
【プロフィール】
1969年東京都生まれ。
プロ・フリークライマー
15歳から始めたクライミングでメキメキと頭角を現し、クライミングにおける日本屈指の難ルートを次々に制覇。アメリカでのトレーニングなどを経て、19歳からは本場ヨーロッパのフランスを拠点にさまざまなクライミング大会に出場。98年には日本人として初のワールドカップ総合優勝を果たす(2000年に再度戴冠)。
そのクライミングは芸術の域であり、かつて制覇したホワイトゾンビ(スペイン)でのクライミングの様子は「できるわけない」とまで囁かれた。現在は秩父を望む埼玉県に在住。
クライミングの様子はDVD『不朽神話シリーズ』などに詳しい。ぜひともチェックを。
公式ホームページ
http://www.stonerider.jp/
ブログ
http://ameblo.jp/stonerider/
Climb Park Base Camp
http://ameblo.jp/b-camp/
平山●えーっ、モンブランに登るんですか!? それで僕に話を……どうもありがとうございます(ニッコリ)。そのあとはマッターホルン、キリマンジャロ? いやあ、すごいですね。年齢や経験ではなく、志が高ければ登っちゃうと思いますよ。僕の知り合いで80歳になっても登り続けている人もいますし……頑張ってくださいね!
日ごろにしたほうがいいことですか? モンブランでもマッターホルンでも、基本は歩く……走ることはまずないじゃないですか。そこで実践的なことを考えていくと、「歩く」。「とにかく歩く」。たぶん、長時間行動もあると思うので、いま夜遅くなっちゃってもタクシーを使わないで歩くとか、「歩く」ことに対してしっかりやっていくのはいいと思いますけれどもね。教わっているガイドさんもおっしゃっているようですが、荷物を背負って歩くのもいいですね。会社に行く際などにも必要なものは背負って行くとかがいいんじゃないでしょうか。
それと、山に行く時間がちゃんとあるというのはいいことですよ。“感覚を研ぎ澄ます”と言いますか、感覚も鋭さを増すと思います。
日本最高峰(富士山ね)も踏破をしていないときから、世界の山々を目標にしている“登るobachan”こと我らがアラカン編集長。7月に無事、富士山は踏破したものの、さらなる高見はどんな世界? ということで、素晴らしき冒険家たちの登場シリーズ、今回は日本が誇るクライマーの平山ユージ氏が登場。アラカン編集長、まずは応援されたところで、平山氏と“岩”の出会いに注目して……
★「やりたそうだね!」 このひとことで世界チャンピオン誕生
平山●クライミングのきっかけですか? 僕もやっぱりヒマラヤとかに行ってみたかったんですね。で、そういう高い山に行きますと、いろいろな“モノ”が出てくるだろうと。たとえば「岩」に「雪」とかですね。で、「そんなところに行くのに勝手に始めちゃうと危ないかな、だから誰か教えてくれる人の下でやったらいいな」と思っていました。なかなかその機会はありませんでしたけどね。
そうしたら、たまたま池袋にある『秀山荘』という山の道具屋さんに行ったときに……「キミ、やりたそうだね!」と声をかけてくれたんですよ。で、その週にさっそく日和田山(埼玉)に行き、そこで教えてもらいました。それで初日に僕はもうハマっちゃったんですね。それがきっかけです。
ハマっちゃった理由ですか? 「飽きない」と思ったんですね。僕は小さいころに野球をやっていて、そのときは王(貞治)さんが好きで、それこそホームラン王になりたかったのですが、そのうちにマラソンで金メダルが取りたくなって、小学生からずっと走っていたんです。マラソンの金メダルに憧れたのは、ロサンゼルスのオリンピックの……と言いますか、瀬古(利彦)選手と(ジュマ・)イカンガーが当時よく一緒に走っていて、それを見ながら「自分が出場するのはソウルオリンピックだ!」とか思ったりしてましたね。そう、ソウルはロサンゼルスの次の大会ですからわずか4年後(笑)。出られたら19歳でした、ハハハ。
ところが、陸上競技をやっていたときに思ったのが、校庭をずーっと毎日何周もするんですよね。だいたい毎日似たようなトレーニングをするじゃないですか。なんかそれが飽きちゃっていたんですよ。校庭にうんざりしていた、と言いますか。
でもクライミングの場合……行かれたらわかりますが、日和田山って小さいんですよ。この家(ご自宅)くらいの岩の固まりがボンってあって、そこをいろいろと登るのですけれども、そのルートが一本一本、個性があってすごくおもしろくて。ルートが1メートルずれるだけで全然登り方も変わりますしね。日和田のルートですか? たくさんありますよ。20本くらいあります。で、これだけ小さな岩でこんなに楽しめるのなら、世界中に岩がありますからね(笑)。しかも同じ岩ってひとつもない。校庭などは規格が決まっていて、同じような風景があるわけですが、同じ岩はないですから(ニッコリ)。
★「いまでもしょっちゅう怖いです!」 素晴らしきかな自然の岩
平山●「怖さ」みたいなものも、僕なんかはクライミングがおもしろくなった理由なんですね。岩を登っているときにある意味で怖さを伴なっても、登り切ったときに、なんかこう……すごく嬉しかったんですよ(笑)。たとえば頂上に着いて、“確保”されなくてもいい場所に到達するじゃないですか。その開放感がすごくよくて。最初のクライミングでそう思いましたからね。
登っていて「怖さ」を感じることですか? いやあ、いまでもしょっちゅうですよ! けっこうですね、自分の技量みたいなものと怖さって比例をしているんですよ。「これはいまの自分の技量ギリギリだな……」って思ったり……あ、簡単に言いますと、「登り切れる」って自分の感覚的にわかっていれば怖くないんですけれども、「これからどうなるんだろう?」とか「ここから難しいところがあるな……」とか思うとですね、やはり落ちるリスクがないようにしていかなければいけないので、恐怖感みたいなものが出てくるんですね。「やれる!」って感覚が強ければ強いほど、怖いって感覚はなくなっていくんですよ。
ほら、(庭の柵を指して)こういう縁の上を歩くとしても、感覚的にやれるって思いが強くて、100%大丈夫だから怖くないでしょう。岩でも同じですよね。
手が違いますね、手が (「平山さんの“ギリギリの技量”ってすごい話ですよ」)
いや、このラインって日進月歩で上がっていくんですよ。10年後に当然自分の技量が上がっていくということもあるし、新しいクライマーも出てくるわけですからね。
「いまはまだ登れないな」というところ? そりゃありますよ! でも「いつかは登れる!」っていう目線で見ているわけですからね。「いまは登れない……」というのは、たとえば手を掛けるところの距離であったりとか、手掛かりの大きさであるとか、角度であったりとか、そういうものをパッと見たときに、「登れたらおもしろいな」とか、「登れるんじゃないか?」という感じで見るわけですよ。感覚的に自分が登れそうなところは、視覚からもわかるんでしょうね。でも実際に登ろうとラインを引き始めると……「ああ、やっぱり難しい!」ってなったりとか。逆に簡単だったりもするときもあるんですけれどね。
岩を登るラインというのは、初めてそこにラインを引く人の考えであるとか、見方とかがかなり反映されていますからね。たとえば「平山ユージのラインだから」って、だいたいみんなイメージできるとも思うんですよね。……で、だんだん自分のことがわかってくると、壁を見て「行ける!」ってこともわかってくるんですよ。トレーニングをしていくほど、その感覚も強くなるんですが、かといって、どの優しいルートでも簡単に登れるということもない。「これは簡単に行けるな」って思うと必ずしっぺ返しがありますね。そのルートに“敬意”を持って取り組むといいと思います。先人がいて、いま僕らがいるんだ……と思ったりすると、ね。
これまでとは違う、“新しい発見”というのはしょっちゅうあるんですよ。そういうのは期待していても訪れなかったりするのだけれど、僕なんかの感覚だと「このルートを登りたい」から、あらゆる手段を講じてトレーニングをしていく。そういう形で努力を重ねたり、積み重ねで新しい感覚が“降りてくる”感じがするんですよね。僕の場合は、待っていても来ないのだけれど、一生懸命やっていると、そういうのが降りてくる気がします。
山にいてふと、いままで聞こえなかった風の音が聞こえてきたりすることってありませんか? そういう感覚もこれに近い話でしょうね。
★「いまやることは目の前を岩を登ること」 それができなかった後悔
(「そんな平山さんでも“やっちまった……”て失敗はあるのですか」)
平山●ああああ、当然ありますよ。僕の場合はですね、99年の世界選手権のときに……大会というのはだいたい、お客さんの目の前で登るんですね。なので、お客さんの行動というのが登ることに影響するわけですよ。で、僕の前の人が登っていて、僕も登ろうとしたときに、一度「ワーッ!」てお客さんが盛り上がったんですね。そのときに僕、その歓声を聞いて「あ、僕は優勝したんだ」って思っちゃって……。
「世界選手権の優勝って、こんな感じなんだな……」って思いながら、まあ登っていたんですけれども、つまりはあんまり集中してなかったんですしょうね、目の前の岩に対して。それで……あーなんだろ(悔しそう)……“自分では一生懸命やっているんだけど、一生懸命やってない状態”というのですかね、普通に登りつつ、「ま、こんなもんかな」ってポンッと落ちたんですよ。優勝したと思っているから、なんの恥じらいもなく落ちた。で、下まで降りてきたら、ウチの嫁とか友達とかを見たらみんな苦い顔をしているんですよ。で、そのときジャッジが通ったんで、「どんな感じ?」って聞いて、成績を見せてもらったら、僕より登った数字が数十センチ上の人がいる。「えっ、どういうこと!?」って聞いてしまいましたよね……それはもうホントに、人生最大の汚点でしたよね……。
僕が何をしなければいけなかったのかというと、目の前のルートを登らなければいけなかった。それなのに、完全に意識がお客さんのほうにいってしまっていた。そういったお客さんからの歓声をエネルギーにして、登りに活かせればいいんですよ。それが完全にマイナスに持っていってしまったのは、ホントにもったいないなあ……って。
あのときはさすがにね、これはいかんと思いました。だから、そのあとにいろいろと……ワールドカップで2度目の総合優勝を翌年果たしたりしたというのも含めて、その後にいろいろとできた、そういう思いはありますね。
★“世界のヒラヤマ” のクライミングジム、そして夢――
平山●このたび、クライミングジムを開くことになりました。僕はフランスから戻ってから、クライミングだけではなく別のこともしよう……と思っていたんですね。ですがまあ、そのときはまだ岩や山に登って生活していくのもいいかなとも思って、しばらくいたんです。そして07年ですかね、クライミングジムを開こうと改めて思ったのは。まだまだ登ることもできるわけですが、そんなときだからこそやろうと思ったんですね。当初はそれこそ自宅や、自宅の近所なども視野に入れて、施設も考えていたんですが、やはり利便性なども考慮して時間がかかりましたが……そうしたら結局、日本最大のクライミングジムが完成することになりました。それはやはり、小さなスペースのところから考えていたからこそ実現したという……そうですね、これまで挑戦してきた道筋と似ているかもしれませんね。
僕はクライミングがすごいおもしろくて、こんなにいいスポーツはなかなかないんじゃないかと思っているので、本当にひとりでもふたりでも多くの人がクライミングが好きになって、そういう感覚が共有できればと思っています。あとは、僕が経験してきたことというのは、他の人がなかなか経験できないことだと思うのですね。せっかくですから、そういった経験を残せる場所であればなあ……って思います。その空間で、お客さんたちと一緒に登りながら、僕の経験などが伝わっていけばいいなあと思うし、若い子たちにもクライミングを通していろいろと教えられると思うので、そういった自分の場所を持つってことはすごい重要かなあと思いました。
(「その道を極めた方がジムなどを運営するのは重要ですよ!」)どうなりますかね、ははははは(嬉しそう)。まずは、クライミングが楽しいとか、いいスポーツだと思ってもらうことありきですよね。僕が今回ジムを建てた場所は、アウトドアにも行きやすいし、都会にも出やすい。ですからみなさんが上手に利用してくれればと思いますね。
ジムに人が集まってきてくれて、人が集まることで新しい考えがドンドンできてくると思うんです。それを形にできたらなあ、っていまは思っています。それとまあ……個人的な目標は、秩父の山とかにあるんですけれどね。もちろんそれはいままでの延長線上、岩登りの目標です。すでにルートも引いてピンも岩に打ってあります。いま、それを練習しているんですけれども……かなり自分の殻を破らないと登れないかな、と思いますね。
ルート名ですか? 考えてあります(笑)。グレード(難しさを現すレート。ちなみに現在の世界最難は15)……15とか(笑)。でもそれ以上に、いや、そのためにもと言ったほうがいいかな。そこを登るためにもジムが大切なのかな、とは思っています。
……ジムのオープンですか? 7月4日です。えっ、お誕生日なんですか!? で、今週末には日和田山に行く? なんかすごい偶然ですね(笑)。日和田も、モンブランも、どうか頑張ってくださいね(ニッコリ)。
アラカン編集長「平山さんの大事な日に誕生日、そして日和田! これは運命よ!! うふふ……」
Tweet |
読み物 : VIVA ASOBIST 記:小玉 徹子 2010 / 09 / 09