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VIVA ASOBIST
Vol.74 小手鞠るい――恋愛、猫愛、小手鞠るい!
【プロフィール】
小手鞠るい
1956年岡山県生まれ、作家
同志社大学卒業後、出版社勤務、フリーライターなどとともに詩や小説の新人賞に応募を続け、93年『おとぎ話』が海燕新人文学賞を受賞。さらに05年『欲しいのは、あなただけ 』(新潮文庫)で島清恋愛文学賞、原作を手がけた絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん 』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞(09年)も獲得。
『エンキョリレンアイ 』(新潮文庫)から始まる“恋愛3部作”が大ヒットを記録するなど“恋愛小説の旗手”として名高いが、猫を愛する作家として、愛猫プリンが登場する『愛しの猫プリン 』など、猫に関する小説やエッセイでもおなじみ。本年2月14日には最新作『九死一生 』を発表した。
92年に渡米、アメリカ人の夫とともにニューヨーク州にて執筆活動を行なっている。
『九死一生』の「読書録」はこちら
今回は新刊を引っさげた作家さんがVIVAにご登場。 |
“恋愛小説の旗手”新刊を手に登場
——今回は2月14日に最新作『九死一生』を上梓されました作家の小手鞠るいさんにお話をうかがいます。
小手鞠●ありがとうございます、こんにちは。
——小手鞠さんといえば“恋愛小説の旗手”として『エンキョリレンアイ』などの恋愛三部作、そして『九死一生』でも大活躍の「猫」が登場する作品でもご高名です。
小手鞠●ありがとうございます。
——小手鞠さんと猫、そしてもちろん『九死一生』のお話をうかがっていきたいと思いますが、まずは作家の方に聞いてみたかったんですけれども……。
小手鞠●はい。
——すごく野球の好きな人、うまい人が「野球選手になろう!」と思ったときは、毎日家で素振りをするとか練習や努力のしようがありますが、小説家ですと努力のしようはもちろん、“なり方”もよくわかりませんよね。
小手鞠●あ、そうですか?
——それってたとえば「本をとにかく読む!」なんてことになるんでしょうか……?
小手鞠●大正解です。子どもの頃からずっと本が大好きで、外で遊ぶよりも家のなかで本を読んでいるのが好きな女の子でした。ままごとやお人形さんよりも本が好きというような。大人になってからも、とにかく毎日欠かさず、読んでいますね。それと、「練習と努力」に当てはまるものとしては「毎日書くこと」があるのではないでしょうか。学生時代には、手紙、文通、交換日記なんかの“旗手”でしたね。「読む量」に関して言えば、小説家になってからのほうがたくさん読んでいる気がします。
——作家になってからのほうが、ですか。
小手鞠●はい。たいてい毎晩、寝る前に必ず二時間か三時間くらいは読むようにしています。一時間書くためには、三時間読め、がモットー。好きな作家の書いた小説が多いです。とにかくよく読む。好きな作家の好きな文章をたくさん読む。すると、翌朝、自分の小説の文章がすらすら書けるんです。前の晩の読書が足りていないと、執筆がうまくいかない。このことに気づいてからはなおいっそう、たくさん読むようになりました。
——いわゆる“インプットしないとアウトプットもできない”というような感じですかね。
小手鞠●そうなんでしょうか。それともうひとつ、「すらすら書く」ためには、私の場合は……あ、「あそびすと」さんはインターネットのページなので、たいへん申し訳ないんですけれど……失礼なことを言うかもしれません、許してくださいますか(ニッコリ)。
——いえいえ、どうぞ。
小手鞠●ひとたび、ある作品を書き始めたら、書き上がるまでは、さまざまな情報をいっさい断ち切るんです。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、そして、インターネット。インターネットは、天気予報を見て、メールをチェックして必要な返事を書いたら、それでおしまい。脱稿できるまでは、メル友との楽しい時間はお預けです。松本さん(=インタビュアー)も『youtube』の動画を見始めたら止まらない、とか、そういうこと、ないですか?
——はい、ありますね(笑)。
小手鞠●でも、情報を遮断するのって、意外と簡単なんですよ。野球選手だったら素振りをしないといけないわけですが、私の場合、インターネットを使わないだけでいいんですから。痩せるためにダイエットとかをするんじゃなくて、ただ「食べないでいる」だけでいいみたいな感じで。
——ところでよく読まれる、好きな作家さんっておられますか……って、まさに作家さんにする質問なのか自分でもわかりませんが(笑)。
小手鞠●好きな作家、もちろんいます。多過ぎて、お名前を挙げきれないほどです。ジャンルも恋愛小説に限らず、なんでもかんでも読みます。いわゆる雑読派かもしれません。女性作家の方が圧倒的に多いけど、でも、老若男女も問いません。そういえばつい最近、芥川賞を受賞された西村賢太さんの作品も好きです。
——西村さんなどかなり最近の作家さんですね。
小手鞠●現代の男性作家に限って言えば、敬称を略させていただきますが、渡辺淳一、五木寛之、村上春樹、吉田修一、大崎善生、石田衣良、中村文則、片山恭一、古処誠二・・・・・・ほとんど全作、読ませていただいています。沢木耕太郎、藤原新也、車谷長吉・・・・・・あともうひとり、大物を忘れてました。東野圭吾さんも好きでよく読みます。
——えっ、東野圭吾ですか?
小手鞠●ミステリ小説は、どちらかと言えば苦手なんですけど、東野さんの文章が好きなんです。私の肌に馴染むというのかな。簡潔で、無駄がなくて、リズム感があって、適度な湿り気と乾きが絶妙のバランスで共存していて。すごくいいなあと思うんです。
——……いや、私事ですが私は東野圭吾がすごく好きでいつも読んでいるのですが、『九死一生』を読ませていただいて、「ん?」と思ったところが数カ所あるんです。「ここは東野圭吾を読んでいるみたいだ……」と感じたところが。
小手鞠●ええっ、そうなんですか? うれしいなぁ、ありがとうございます。でもいったいどこが?
——はい。それは……って、すみません、作者の方を前に感じたことを喋るのって、していいことなんでしょうか(笑)。
小手鞠●いいです、いいに決まってます(笑)。
——では僭越ながら……『九死一生』は全16章立てですが、いちばん最近のことになる章が最初に来て、そのあとに過去、そしてまた大きく過去に戻る場面もある……そんな構成とかですね……。
小手鞠●なるほど、構成ですか……なんだか私もいま、あらためて「あっ、そうか!?」って驚きました(笑)。特に、東野さんの手法を意識していたわけではないのですが。
——あともう一点感じたところがあったのですが、『九死一生』の話に入ってきましたので、その一点はいろいろとうかがいつつにいたします。
小手鞠●はい。『九死一生』における、東野圭吾さんの存在。どこなんだろう? すごく楽しみです(笑)。
——章立てで感じたこともそうですが、ちょっとプレッシャーです(笑)。
小手鞠●すみません。うれしくて、私が前のめりになってしまって。
猫に登場人物たち、限りなくリアルな『九死一生』
新刊『九死一生』
絶賛発売中——さて『九死一生』ですが、登場人物では松川冴子、楢崎悠紀夫のふたりが主人公格、そして様々な猫が登場します。それぞれにモデルがいるのかな……と、読んでいてやはりそう思いました。
小手鞠●最初に出てくる猫のプリンは、私の書いた別の小説にも出てきますが、うちの猫がそのまんまモデルです。その他の猫も全員、友人や知り合いの飼い猫だったり、可愛がっている猫だったり……と、実在の猫がモデルになっています。
——プリンを飼っている冴子は、それこそ小手鞠さんがモデルなんですよね?
小手鞠●はい、実は・・・・・・半分くらいは、私かな。作中に出てくる“パーティ嫌い”のところなんかは確かに私です(笑)。でも、もちろん、冴子の性格、生き方、考え方、過去や現在のすべてが私、というわけではないです。
——冴子にしても悠紀夫にしても、また他の人物にしたって、たとえば小手鞠さんとご主人というのはあくまで冴子や悠紀夫のベースなんですね。
小手鞠●そうですね、モデルじゃなくて、ベースというのは、確かに的を射ていると思います。ベースが同じだから、自然に性格が似てくるのかな。
——読み進めていって思うのは、たとえば「夏みかん」という章と「道おしえ」という章は、時も場所もメインの登場人物も違うのに、ある部分でリンクをしています。それがうまくハマりすぎて、章頭にある年月や季節をつい確認しに戻ってしまいます。
小手鞠●ありがたいお言葉です。理想の読者ですね(笑)。
——そのように読み進めていくと、また様々なリンクを見つけながら終盤に向かっていくわけですが、この各章というのはもともと短編として書かれていたのでしょうか?
小手鞠●最終的には長編小説になるように、短編の連作を積み重ねていきました。小学館の小冊子「本の窓」で一年半、連載をさせていただいて。各話の季節は、その号が発行される月に合わせて設定しました。ですので、年はあちこちに飛んでいても、季節は一貫して、春、夏、秋、冬と進んでいっています。一冊にまとまったときの、大きな意味での「季節の流れ」を大切にしたいと考えていました。
——先ほどの話ではないですが、短編が勢揃いしてひとつの長編作品に仕上がるのも東野圭吾ミステリにあったような気がします。
小手鞠●ほんと、そうですね(笑)。
——それでできあがった『九死一生』ですが、この中にあるのは16章ですが、出てくる猫の数は……。
小手鞠●何匹でしょうか?(ニッコリ)。
——×匹ですよねえ? 読み終わってつい数えてしまったんですが(編集部注・みなさんで数えてみてください)。
小手鞠●やっぱり、つい、数えてくださったのですね?(ニコニコ)。
——作中で冴子や悠紀夫、冴子の母である菊江、悠紀夫の姉である穂波……多くの人物の人生が描かれていますが、それと同時に×匹の猫によってある“猫生”が語られているように思います。
小手鞠●いよいよ核心に迫ってきましたね?
——主人公格とそれを取り巻く全員に関わった猫たちは、いったいどういう存在なのか……それはどうか本書をお読みになってください(笑)。最後のあたりで語られていますかね?
小手鞠●そうですね。ぜひ、本書でお確かめいただきたいと思います。
——ところで……最初の短編をお書きになったときから、この物語の全体の構想はできあがっていたのですか?
小手鞠●いえ、全体が見えてきたのは、だいたい半分くらいまで到達したところだったでしょうか。最初は……あ、もちろん、猫が出てきて、×匹が登場するという枠組みは、最初から決めていましたけれど。とにかく半分くらい書き上がるまでは、無我夢中で書いているって感じでした。毎回、五里霧中、試行錯誤です。でも、猫だけは、はっきり見えてました。登場する猫たちは、名前も容姿も性格もすべて、実在の猫をもとにして書いていましたから。
——なるほど、猫に導かれて。
小手鞠●そうなんです。人物よりも“猫が重要な登場人物”だったんですよね。次はどの猫を出すか、ああ、この猫を出すんだったら、人物とお話はこうなるな……みたいな感じでした。
——それでだんだんと一冊の形が見えてきたわけですね。
小手鞠●そうです。くり返しになりますが、登場人物に関しては、この猫を愛しているんだから、こんな性格でこんな人。この猫を可愛がる人は、こんな性格でこんな職業でこんな過去を持っている、というふうに。そして、猫と人がいっしょになって、物語をつくっていくという感じ。まさに、猫が人を動かして、猫が私に書かせてくれた小説ですね。
——動き……いや、性格かと思いますが、冴子との出会いのシーンでの悠紀夫は前半と違う人物のような気がしました。
小手鞠●そうですか! 確かに悠紀夫は、あのシーン(編集部注・みなさんで探してください)では、ずいぶん逞しくなっていましたよね。
——不思議な感じを覚えました。あ、あの出来事があったからかな、と読み直してみちゃったりしたのですが。
小手鞠●男性読者ならではのご感想、ありがとうございます(笑)。
——いまの小手鞠さんのお話を聞いていて「場面を作ってしまえばあとは登場人物が勝手に動いてくれる」と落語家の故・立川談志が言っていたのを思い出しました。
小手鞠●はい、おっしゃる意味、とてもよくわかります。でも、どうなんでしょうか……「勝手に動く」というのは、落語ではむしろそうあるべきなのかもしれませんが、小説ではあまり歓迎できないことなのではないでしょうか。なぜなら、小説の登場人物は、あくまでも「書き言葉」でできあがっているもの。そして、書き言葉は、小説家が「書く」ものです。登場人物が勝手に書いては、いけないのではないかと。
——なるほど。読者は“言葉”を読むことで、その人物像を勝手に想像して、勝手な声色で喋らせ、勝手に街を歩かせるわけですが、最初に提供する側の著者の方からすれば、勝手に動いてもらうわけにはいかない?
小手鞠●そうですね。小説家はあくまでも「黒子」です。文楽では、人形は一見、勝手にというか、自由に動いているかのように見えますが、実はそうではなくて、動かしているのは黒子であり、人形遣い。人形は絶対に勝手には動かないし、動いてもいけない。そういうことじゃないでしょうか?
——そういえば、談志の場合は「勝手に登場人物が動いている(喋っている)のを、客観的に見ている(聞いている)。もうイリュージョンの世界」と言っていましたから、すでに著者ではなく自分も談志の読者という視点だったのかもしれません。
『九死一生』の着地点と“猫愛”
小手鞠●「勝手に動く」に関して、もうひとつ、言葉を添えておきますと、本作の場合、登場人物たちが「そこに辿り着く」、いわゆる“着地点”は、最初から決まっていました。つまり、ラストは最初から決まってたんです。なので、なんとかうまく、全員をそこに到着させてあげないといけないな、それが黒子の私の使命だなと思っていました。
——と、なりますと『九死一生』というタイトルやプロローグに綴られたことの意味が一体なんなのか、それが明らかになる最後半が否応なく重要ですが……作中で冴子と悠紀夫が最後に訪れた場所、そして登場する猫マロウが堂々と幕を下ろしてくれていると感じました。
小手鞠●マロウちゃん、偉いですね(ニッコリ)。
——ここで、先ほどのモデルの話に戻りますが、あの場所で、そしてあの猫が、小手鞠さんの前に実際に現れたのですか?
小手鞠●そうなんです!
——実際にプリンが天に召されて、数年後に作中のような場所をご主人と訪れた……。
小手鞠●はい、私と夫が作中の冴子と悠紀夫のように、悲しい気持ちを引きずって、離婚まで考えていたかどうかは、ここでは内緒にしておきますが(笑)、実際のところ、私は全然、旅行になんて行きたくもなかったですし、B&Bへ向かっている途中で雨は降り出すし……にもかかわらず、作中に出てくるような素晴らしい庭がそこにはあって、そして、あの猫がひょっこりと出てきたんですね。この小説を書き始める前から、「『九死一生』のラストシーンはあの庭しかない!」と決めていました。
——作中のマロウが本当に小手鞠さんの前に出てきたように、『九死一生』の猫たちが、つぎつぎに出てきたら本当にファンタジックですよね。……そうそう、マギーって猫が出てきますよね?
小手鞠●悠紀夫がニューヨークに住んでいたときに、出てくる猫ですね。あとでもう一回、さりげなく出てきますが、それも探してみてくださいね。
——だいぶ終盤に出てきますね(笑)。このマギーの飼い主の“ダリヤ”とのお話ですが……(笑)。
小手鞠●はい?
——ご主人の実話で……(笑)。
小手鞠●違います(キッパリ)。夫が「もうプリンの写真も見られない」っていうのは悠紀夫と同じですが、あの場面は、まったくの創作です。でも、けっこうロマンチックだったでしょう?(笑)。
——はい。“シルヴィア・プラス”の話も後々にリンクしますしね。あと「メイクラブ」ってホントの意味も勉強させていただきました(笑)。
小手鞠●冴子の夫である悠紀夫は日本人ですが、私の夫はアメリカ人。似たところもありますが、大きな違いもあります。うちの夫の場合、もしも過去にダリヤとそういうことがあったとすれば、私にそのことを全部、話しちゃうと思います。隠せない人だから。あ、プリンが亡くなってから、動物保護のボランティアに出かけて気を紛らわしているというのは、悠紀夫も夫もそうなんですよ。
——小手鞠さんは自作解説で「私には悲しみ続ける自由がある」とまで、プリンの死に対し腹を括られていますが、悠紀夫……いや、ご主人はまだ参っておられますね。
小手鞠●実は私もまだ参ってるんですけど……(しみじみ)。プリンは、主人のことは……なんだか私よりも軽く扱ってましたね(笑)。猫同等か、それ以下。一方の私は、ごはんを出してくれる人だから、扱い方にはわりと敬意がこもっていたんですよ。朝、起こすときの対応が違うんです。あ、これも最後のほうに書いてましたね。
——すごい、猫らしい扱いですね(笑)。それだからご主人、余計に寂しいのでしょうかね。
小手鞠●そうかもしれませんね。夫は遊び友達だったから。数年前、『猫の形をした幸福』(現在、ポプラ文庫に収録)を書き上げたとき、「もう、プリンについて書くことはないだろう」と、思っていたんです。でも、実際には、まだまだあったんですね。『九死一生』を書き上げた今も、やっぱり「まだある」ような気がするし、これから先も、「悲しみ続ける自由がある」限り、その悲しみについて書く自由もあるような気がします。なので、またいつか、プリンが出てくる小説を書くことも、大いにありえるでしょうね。
——それは期待をしております。なにせ……
小手鞠●松本さんも、飼っている猫が亡くなったりしたら、悠紀夫みたいになるかもしれませんね。
——へ? いやあの、私、猫飼っていないんです……。
小手鞠●えっ?? そうなんですか!?
——はい。飼ったこともありません。
小手鞠●『九死一生』で猫の数を数えちゃったり、“猫らしい”なんておっしゃるから、てっきり飼い猫のいる“猫Lover”かと思ってしまってました……。動物を飼われたことは?
——同居していた叔母夫婦が犬を飼っていましたが、3年間で数回だけ散歩に連れて行ったくらいで、私は積極的に関わってはいませんでした。
小手鞠●犬と猫だと、どっちがお好きですか?
——なんかインタビューが逆になっていますが(笑)。……今の話のように犬のほうが身近でしたが、最近は知人の家の猫、これがかなりの人見知りなんですが、私には懐いてくれるんですよ。なので最近は猫が急上昇中です。いや、これホントですよ。
小手鞠●そうなんですか、猫に好かれるということは、やっぱりご本人も「猫」なんですよ。
——なるほど……。まあ猫が身近になってきたので、『九死一生』の猫たちの愛らしさもわかりましたね。最初に光一が“ツンデレ”っぽい感じを出したところで、さっきも言いましたが「おお、猫っぽい」とか。私が先ほど言いかけたのも「なにせ猫に理解がなくても猫の愛らしさがわかる小説でしたし、ぜひまた新しい“猫小説”を」でしたし。
小手鞠●ありがとうございます。じゃあ松本さん、もうひとつ、質問。『九死一生』に出てくる猫では、どの子がいちばんお好きですか?
——そうですねえ……ニューヨークのジャズクラブに出てくるミノちゃんですかね。
小手鞠●ミノちゃん! それはお目が高い。センスがいいですね。彼女ももちろん実在の猫です。グリニッチ・ビレッジのジャズクラブに、女王様みたいに君臨してます。
——そういうのが人間の女性でもタイプなんですけど(←訊かれていない?)。
小手鞠●納得です! 岡さん(小学館『本の窓』の編集長)、なんだか「『九死一生』猫占い」とか、できそうですよね? どの猫が好きかによって、あなたと相性のいい女性がばっちり判明する! なんて。
岡●ああ、それはおもしろそうですね。ぜひ「あそびすと」さんにやってもらいましょう(笑)。
——頑張ります(笑)。
恋愛? 猫?? そして新たなコデマリ的エッセンス
——小手鞠さんと『九死一生』の話だけでなく、妙なところに飛び火してしまいましたが(笑)、おもしろいお話をありがとうございました。2月14日発売のこの『九死一生』、改めて期待しております。
小手鞠●ありがたいことに「小手鞠るい=恋愛小説」みたいにおっしゃっていただいていますし、猫好きとしてもそれなりに認知していただいています。でも、『九死一生』は、恋愛小説とも、猫の本とも、言い切れない。それらを超えたところにある世界を描いたつもりです。表紙にもそれが表れているかと思います。
——表紙は巣に卵が一個あるだけ、ですものね。
小手鞠●恋愛小説、もしくは猫小説、そういった先入観なく手にとっていただけたら、これまでの「小手鞠るい」ではない、もっと広い、深い世界を感じ取っていただけるのではないかと思います。あるいは、今までどちらも、つまり恋愛小説も猫小説も全然、手に取られてこなかった……たとえば松本さんのような方にも読んで、大いに心を遊ばせていただきたいです。食べず嫌いだった方にも、ぜひ。
——当然ながら内容面はこのインタビュー中では明かせないことばかりなので、ぜひともみなさん手に取ってみてください。今日はありがとうございました!
小手鞠●こちらこそ、ありがとうご…………あ、そうそう、最初におっしゃっていた、これは東野圭吾さんの小説を彷彿させているなって、『九死一生』のなかで感じた部分って、もうひとつ、どこだったんですか?
——あ……。中盤の「○○○○」と「○○」なんですけれどね。「当人たちはわからないのだけれども、読者にはわかる」ってポイントがありましたよね。△△って猫が出てきます。
小手鞠●あ! あの猫ちゃんのところですか。「ウ」がつく名前の猫ね。あそこが東野圭吾的魅力に通じてる? うれしいことです。
——恋愛、猫、そして、ミステリ。小手鞠さんの新旧エッセンスが詰まった『九死一生』、今一度みなさまよろしくお願いいたします!
小手鞠●ページの中で、ぜひまたみなさまにお目にかかりたいです。今日はどうもありがとうございました(ニッコリ)。
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読み物 : VIVA ASOBIST 記:松本 伸也(asobist編集部) 2013 / 03 / 13