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VIVA ASOBIST
Vol.75 竹内洋岳&猪熊隆之
――"登る人"と"予報する人"、その長い友情と信頼を語る
【プロフィール】
竹内洋岳(写真上)
1971年生まれ。東京都出身。
祖父の手ほどきで幼少期よりスキーや登山を始め、高校時代から山岳部に所属。立正大学在学中の1995年、標高8463mのマカルーに登頂。以後、次々と8000m以上の山々に向かう。07年、ガッシャーブルム2峰登頂中に雪崩に巻き込まれ、再起が危ぶまれる大けがに見舞われるも奇跡的に復帰、12年5月のダウラギリ登頂で日本人初の8000m峰14座完全登頂を成し遂げた。
前々回の単独インタビューに続いて2度目の登場。そのときの模様はこちら。
猪熊隆之(写真下)
1970年生まれ。新潟県出身。
大学卒業後、ケガや難病など様々な困難を乗り越えて気象予報士の資格を取得。気象予報会社勤務を経て、2011年に山岳気象予報の『ヤマテン』を設立。
国内・海外での豊富な登山経験を生かし、登山者の観点から捉えた天気予報を発進している。
竹内洋岳氏の8000m峰登頂にも大きな功績を残し、その予報精度と的確なアドバイスは、国内外の山岳エキスパートから高く評価されている。
2010年に続いて2度目の登場。そのときの模様はこちら。
『ヤマテン』設立と前後して『山岳気象大全 』を刊行(山と渓谷社)
ホームページ:http://yamatenki.co.jp/
「あ、ぜひ対談やりましょう」 |
邂逅――「スゴイ人がいるな」by猪熊、「猪熊さんが事故?」by竹内
竹内●というわけで再びやって参りました。ははは。
猪熊●どうぞよろしくお願いいたします。
――今回は特別に、前々回登場の竹内洋岳さん、そして約3年前に登場の“山の気象予報士”猪熊隆之さんにお越しいただきました! よろしくお願いいたします!!
竹&猪●よろしくお願いいたします。
――改めて猪熊さんの登場回を読んでみますと、竹内さんのお話、いっぱい出てくるんですよね。
猪熊●そうですよね。私も読み返してきました。
――おふたりは同じ年齢でらっしゃいますよね。
竹内●そうでしたっけ? そこらへんがどうも曖昧で……。
猪熊●私が70年の8月生まれで、竹内さんが……。
竹内●71年の早生まれですから、同じ歳……というよりも同じ学年というやつですね。
猪熊●でも大学生としては同じ学年じゃないですよね。
竹内●私は一浪しているんです。
猪熊●いや、私は二浪です(笑)。
竹内●はははははは。
猪熊●お互い自慢することじゃないですが(笑)。
竹内●しかも私は8年間通ってましたから。はははははは。
――はははははは、って私も笑っていいものかどうか(笑)。で、そんな楽しい学生の時からお互いに山岳部でらっしゃいました。
竹内●はい、猪熊さんが山岳部にいたことは知っています。
――その時代にどこかでクロスしたことはあるのですか?
猪熊●山行ではないですね。ただ竹内さんが登頂までした最初の海外遠征……マカルー(8463m)のときに、私の大学の先輩も参加したんですね。そのとき、先輩が「手伝いに来てくれ」ということで……
竹内●私は5年生でした(笑)。
猪熊●ですから私は4年生(笑)。以前の富士山(3776m)でケガをして登れない状態だったのですが、その遠征の手伝いのときに初めて竹内さんにお目に掛かりました。おそらく覚えておられないでしょうけれど。
竹内●はははははははは、どうでしたかねえ(笑)。
――お目に掛かったのはそのときとして、お互いに存在はご存知だったりしますか?
竹内●実はですね、猪熊さんが富士山で事故ったとき、私も富士山にいました。
猪熊●えっ!? そうなんですか(驚)。
竹内●佐藤小屋にいたんですよ。もう合宿が終わって帰るところでしたが、「事故が起こったらしい? 猪熊さんなの?」みたいな感じで騒然としていたんですよ。猪熊さんが山岳部にいることは知っていましたから。
猪熊●そうでしたか……(まだ驚き)。
――お互いの風聞みたいなものはどうだったんですか。
竹内●どうでしたかね……。
猪熊●私はマカルーに登頂したってことが強烈な印象で、わずか1学年上で8500m近い山の未踏のルートに挑戦して、しかも登頂も果たすという……それがすごいショック、いやショックというか「スゴイ人がいるんだな……」と思ったのを覚えています。
――はい。
猪熊●ちょうど自分が登れない時期だったので、将来はこんな人のように……と思いましたよ。そしてそれ以降は常に第一線で活躍されているわけですから、私にとってはずっと憧れの存在です。
竹内●まあ、マカルーに登った本人は実は自分で登ったつもりになっていないのですよね(笑)。あれは巨大な組織登山でして、役割として登頂したという感じなんですよ。自分が登った気はあまりないんです。
猪熊●「アタックメンバーに選ばれる」ってのがすごいんですよ、と読者のみなさんにもお伝えをしておきます(笑)。
竹内●まあアレはアレでおもしろかったですけれどね。なかなか大変な登山でしたし。
猪熊●それはそうですよ。
――そういう「登頂隊に選ばれる」というような、もともと「高所に強い」というような身体的な特徴というのがあったりするんですかね。
竹内●高所においては遺伝子的な強弱がある程度は存在するらしいです。遺伝子的に弱いという人は割合としては少数でもおりまして、その人たちは2000mくらいでもう高度障害が出てしまいます。ただそれ以外は“普通”もしくは“強い”という人たちのようですね。
――はい。
竹内●私が“普通”なのか“強い”のかはわかりませんが……また、「高度順応の早い人、遅い人」というのもたしかにいるかと思います。ただですね、過去の登山での経験なのですが、前回はすごく高度順応が早かったのに今回全然ダメだとか、その逆もよくあるんですよ。となりますと、単純に遺伝や先天的に強い弱いがあるって話ではやはりない、計り知れないいろんな要因があるのだと思います。ですから、遺伝やら先天的にということを持ち出して、登山の可能性を限定するべきでもないでしょうね。
猪熊●6000mはとても強いですけれども、7000mだともうダメって人もいますしね。
竹内●はい。最初の高度障害が出る高さも人によって全然違いますし。
猪熊●体調によっても違いますからね。
竹内●私もこれだけ8000m峰を登ってきていますけれど、「いまから寝ないで車を運転して富士山に登ってこい」って言われたら、たぶん高度障害が出ますよ。
――はははははは。
猪熊●出ますかねえ?
竹内●出ますよ、寝ないでいけば(笑)。“順応”という手続きなしに高所に入っていくのは不可能でして、そのタイミングをいかにうまく取るかが重要なんですよ。
お互い“ギラギラ”な人たちと過ごした大学山岳部時代
――ところで前回のインタビューで竹内さんに「大学教授みたい」と言ってしまったんですが、当時からこのような雰囲気の方だったんですか?
猪熊●いや、大学のときはそんなにお目に掛かってないわけですからなにも言えませんが……。
竹内●一緒ならともかく大学も違いますしね。
猪熊●卒業してからですよ。私がヒマラヤによく行くようになって……。
竹内●ネパールでよくお会いするようになったんですよ。
――ネパールで、ですか(笑)。
猪熊●ただ、当時から一般的な登山者のイメージと竹内さんは違いましたよね。オシャレでハイセンスで、服とかもいろいろなこだわりがおありですし……そういう意味ではちょっと、変わってましたよね(笑)。
一同●ははははははは。
猪熊●それでも強い登山者だからすごいのですよね(笑)。周りにはもっと“ギラギラ”した人が多いんですよ。
竹内●ただまあ、我々の時代はそういう“ギラギラ”な人たちの時代だったんですよ。「山で一旗、挙げてやる!」というような。真剣に「なにをやったらすごいんだ?」ということを考えていましたから。
猪熊●そうでしたね。けっこうアツかったですよ。
竹内●山に限らず、社会的にもそういう時代が残っていたんですよ。私もその中にいたわけですし、あの当時はそれが普通でしたからね。「8000m登ったらすごいのか」ということを真剣に語る時代だったんですよ。
猪熊●大学山岳部で、「自分たちの隊で成し遂げる!」という風が強かったですね。友達と登るとかではなく、自分たちの組織で登頂するという意識があった。
竹内●大学山岳部と社会人山岳部の“戦い”みたいなのがありましたからね。
猪熊●ありましたありました。「大学山岳部は荷物は担げるけど、岩には登れない」なんて揶揄されたりして(笑)。
竹内●「社会人山岳会は登れるとこしか登ってねえだろ」なんて(笑)。山の中でケンカになったりしてましたよ。あと冬山に同じ時期にに入ると、どっちが先に行くかお互いに牽制しあったり……。
猪熊●とにかくいちばんに壁に取り付くとか(笑)。
竹内●学生のほうが先になると後ろの社会人に「お前ら学生の後を付いてくるのか」なんてね。そういうある意味でしのぎを削り合う時代があったんですよ(笑)。
――おふたりにとってもそういう時代でしたか?
竹内●私の場合は、どこかにはあったと思いますが、単純におもしろくて登山を続けてきてしまいましたから。もし「なにをやったらすごいんだ?」という面が強かったら、おそらくここまで続けてこれなかったでしょう。ただ、そんな時代、そんな人がいたからこそ、当時すごい登山が盛んだったわけでして、そのおかげで私や猪熊さんがいることも間違いありません。ですから、どっちがいいとか悪いとかではないのですよ。
病院での“バッタリ”でコンビ?結成
――ネパールでひょっこりお目に掛かるというのは……
猪熊●よく会いましたねえ。
竹内●しょっちゅう会いましたよ。カトマンズで。エージェントが同じでしたしね。
猪熊●そうですね。私も個人のときは竹内さんと同じエージェントでしたから。
――お会いしたときはどんな話になるんですか。
竹内●それはやっぱりごはん食べたりねえ。
猪熊●山に登る前だったら「これからどこへ?」とか、どちらかが登った後だったら情報交換したり。
竹内●でもお互いがいるとは思わないときによく会っていましたよね。待ち合わせるわけでもなく。
猪熊●竹内さんはあれだけ行ってましたからね(笑)。だいたいシーズンって決まっているじゃないですか。なので同じ時期に行くとたいてい誰かとは会うんです。
竹内●日本じゃまったく会わないのにね。東京で会おうとしてもお互い用事があってなかなか会えないのに(笑)。まあ、ヒマラヤに登るためには必ずカトマンズに行かなきゃならないですし、たとえばヒマラヤに登頂したいと思う世界中の人たちはみんな同じ頂上にやってくるわけですから。地球上、地図上では点にもならないところに、国籍も言語も違う人が集まってくるのだからおもしろい。
――私も一昨年アンナプルナ(8091m)の途中で赤岳鉱泉で働いている女の子とバッタリ会いました(笑)。
猪熊●ね、そうなんですよ。なんか嬉しいですよね、ははは。
竹内●山は人を結びつける力が強いということなんですね。
――さてそこで、いま奇しくも「東京で用事があっても会えないのに」と竹内さんがおっしゃいましたが、竹内さんが事故に遭って日本で治療をされているときに……。
竹内●ああ、そうですね。猪熊さんに東京で遭遇しました。
――それは“バッタリ”だったんですか?
竹&猪●(声を揃えて)バッタリです。
猪熊●病院の「高気圧酸素室」でお目に掛かったんですよ。私が「慢性骨髄炎」の治療療養でしばらくヒマラヤから遠ざかっていたんでお会いできなかったのが……まあ意外なところで(笑)。
竹内●はい(笑)。
――繰り返しますけれど、偶然だったんですよねえ?
竹&猪●(声を揃えて)偶然です。
猪熊●以前もお話ししたので読んでいただければと思いますが、私は藁をもすがる形でその病院に行ったのですよ。その同じ治療室で竹内さんに会ったものですから、どこが悪いのか逆に心配になっちゃいましたよ(笑)。
竹内●本当に久しぶりでしたよね(ニッコリ)。
猪熊●高気圧酸素室に2時間入っていて、他の人はシーンとしているなか、ふたりでくっちゃべっていました。
竹内●はははははは。あれ、あんまり喋っていられないんですよ。マスクはしているし、気圧も変わるので“耳抜き”もしないといけないから。普通は苦しいんでみんなシーンとしているんですよ。なにせ病気やケガでもありますから、あまり楽しくない(笑)。
――そりゃそうです(笑)。
竹内●室内は酸素が充満していて気圧も高いので持ち込めるものが限定されているんです。燃えるものや金属は持ち込めないですし、筐体……いわゆる“箱の中”に入っているような電子機器、パソコンとか音楽プレイヤーなどもダメです。なのでたいていの人は本かマンガを持ち込むんですよ。で、私も本を読んでいましたが、猪熊さんも本を持ち込まれていました。
猪熊●そうですね。
竹内●そうなりますと「なに読んでるの?」って当然聞きますよね。そうしたら「気象予報士」の資格の本だったのですよ。「実はこれ、会社に内緒なんですが気象予報士になりたいと思いまして……」って。
猪熊●はいはい。
竹内●そのときのことを私はよく覚えているのですけれど、当時は気象予報士というとテレビの“お天気お姉さん”と言われる人が改めて資格を取って、キャスターをしていたりしましたでしょ。なので猪熊さんもそうなるのかと……
猪熊●えっ、私がお天気お姉さんにですか(笑)。
竹内●いやいや(笑)。単純に天気予報をするために気象予報士の資格を取る、取って国内の天気予報をするのかと思っていたんですよ。「明日は東京は雨」、とかですね。ところがそうではなくて……私が登る際のパートナーであるラルフ(・ドゥイモビッツ氏)やガリンダ(・カールセンブラウナー氏)と同じオーストリア人で、オーストリアの気象学会の元会長であり、さらに8000m峰も三つか四つ登って山岳ガイドの資格まで持っているチャーリーという気象予報士がいるんです。彼はヒマラヤだけでなくヨーロッパの山岳専門の気象予報士でして、私たちが山に行くときには彼が予報を出すんです。最後の登頂に向けて……“サミット・プラン”を作るときも彼に電話をして、その後の気象動向を見て最後のプランを作ってもらいます。
猪熊●はいはい。
竹内●私はそれを猪熊さんにやってほしいと思ったんですよ。
猪熊●ははは、そうでしたそうでした(笑)。
竹内●なので、「東京の天気予報じゃなくて、私のために山の気象予報をしてくださいよ!」ってお願いしたんですよ。本人はそのときどう感じたかは定かではありませんが(笑)。
猪熊●どうでしたかね、ははは(笑)。まあ実を言いますとね、すごいいいアイデアだと思いました。
竹内●ははは、それはよかった(笑)。
猪熊●気象予報士になることができたら、たしかに山の天気をやりたいというのはあったんですよ。当時の状況としては、慢性骨髄炎と一生付き合っていかなければいけない、入退院を繰り返して……では、当時の会社を含めていわゆる普通の仕事には就けません。それで、自分しかできないスキルを持って、足を悪くして入院をしてでもできる仕事を持とうと思っていたんですよ。
――はい。
猪熊●ただ、気象予報士という資格保持者はテレビのお天気お姉さんも含めて何人もいますから、ただの気象予報士では通用しない。だったら、少なからず山に登ってきた自分の経験が活かせる仕事をしたいな……と思っていたところに竹内さんの話がありました。私のイメージでは国内だったんですけれども、あ、なるほど海外の遠征隊か……もし出せたらすごいことだな……って感じましたよ。当時、全然自信なかったですけれど(笑)。私も天候でさんざん翻弄されたことがありますので、ある程度の精度のものが出せたらすごくありがたいな、と思いましたよ。
――竹内さんのお願いからさらに夢が広がったわけですね。
猪熊●結局は翌年に資格が取れまして、山関連の旅行会社を辞めて気象予報をするようになったんですね。最初は登山研修所時代の先輩がエベレストにお客さんを連れて行くときに予報を出して……。
――以前のインタビューでは「本当にたまたまですが……当たりました」と言っていただきました(笑)。
猪熊●はい、本当にたまたま(笑)。
竹内●そしてその次が私のガッシャーブルム2峰(8035m)からブロード・ピーク(8047m)に継続したときでした。
猪熊●私がエベレスト(8848m)でのデビュー戦に続いての2戦目、そして竹内さんにとっては復帰戦でしたね。
左奥がダウラギリ。
右手前トゥクチェを右後方へ回り込んだ辺りに「イエティ号」の残骸が
登山家の復帰戦をアシストした第2戦目の気象予報士
――あのときの竹内さんはまだ背中に矯正のシャフトが入ったままでしたが……端的にすごいですねえ……。
猪熊●いや、よく登れましたよね……2座も一気に。
竹内●吐きながら登ったやつですよ。過去の登山の中でも最悪の登山でした(笑)。ガッシャーブルム2峰はまだよかったのですけれど、ブロード・ピークは……。
猪熊●ガッシャーブルム2峰はちょっとお天気的に厳しいかなという予報、そして現実だったのですが、ブロード・ピークはかなりの確率で天気がいいのがわかりましたので、割と安心でした。まあ当時そこまで体調が悪かったのは知る由もなかったですが。なので昨年のダウラギリほどドキドキしませんでしたよ。
――それはまた後ほどうかがいますね。
猪熊●まあそれにしましても、竹内さんがケガから復帰をされて復帰戦となるガッシャーブルム2峰、ブロード・ピークという予報を任せていただいたのは私にとってもすごい嬉しかったですし、そのときのやり取りですごい信頼関係が作られていったと思うんです。いろいろな人に予報を出していて、もちろんいつも全力を尽くすのですが、やっぱりやりやすい人とそうでない人、いるんです(笑)。そういう意味では言葉もいらない、やりやすさが竹内さんにはあるんです。
竹内●おもしろいですよ、登っている途中のやり取りは(ニヤリ)。
――おお、どうぞ公開くださいませ(笑)。
竹内●あれはチョー・オユー(8201m)のときでしたっけ? 最初になかなか予報の精度が上がってこないときがあって。
猪熊●そうですそうです。難しかった〜モンスーンのヒマラヤ。本当にわけがわからない。
竹内●それでパートナーの中島ケンロウさんと「今回はダメだなあ〜猪熊さん」なんて言っていましたよ(笑)。
猪熊●はははははは、ホントに悩んでいましたよ。
竹内●実は現場では「今日は当たるか? ハズれるか??」なんて(笑)。
猪熊●うわっ、やばいな(笑)。
竹内●「ハズれるほうに10ルピー」……とか。
――うわははははははは。
竹内●いやもちろんね、本人を目の前にしてなんですが、猪熊さんが苦しんでいるのはわかっていましたよ。そうしたら「過去のデータをすべて洗い直しました」って。
猪熊●やりましたやりましたっ。
竹内●中島さんが「なにを洗い直したんだろうねえ(笑)」なんて言っていたら、その後はすごかったですよ、鬼気迫るものがありましたから。
猪熊●はい、なにかが掴めたんでしょうね(笑)。
竹内●それからはバッチリ合わせてきまして、「いったいなにをしたんだっ?」ってこっちは騒然としておりました、はい(笑)。
猪熊●いろんな可能性を考えてみて、「これはもしかしてそうかも……」と行き着いてからは形になりましたよ。
竹内●まあ冗談みたいな話はともかくですが、こんなお互いのやり取りで天気予報や信頼関係はできていくのだと思いますよ。
――はい、信頼関係が伝わってくる話だと思います。
「コンピュータを信用しているのではない。私は猪熊さんを信用しているんです」by竹内
竹内●先ほどの、ガッシャーブルム2峰からブロード・ピーク……いや、「山の予報を!」とお願いしたときからかもしれませんが、私は「猪熊さんにチャーリーになってもらえないだろうか」というのがありました。
猪熊●いやあ、それは当時もいまもまだまだ……。
竹内●ただそれは決して猪熊さんのためではないんです。
――えっ?
竹内●私自身のためですから。ははははは。
猪熊●ははははははは!
竹内●いや、私が猪熊さんにチャーリーになってもらいたいのは、チャーリーもそうですけれども山での大いなる経験があって、さらに私のことを知っているからなんですよ。第一に天気予報というのは……って、私は天気予報の専門家ではないですし、なにより専門家の猪熊さんがいるので猪熊さんに聞くのがいいのですが……
猪熊●いやいや、どうぞ(笑)。
竹内●天気予報というのは、要は“メッシュ予報”ですよね。地域をマス目で区切って、マスの中の天気を予測している。
猪熊●そうですそうです。
竹内●ただ山の場合は平らではありませんよね。尖ったり谷は凹んだりしている。となると二次元の予報では収まらないはずなんです。いまコンピューターが出している予報というのは二次元の予想ですが、山ではそうではない。別にベースキャンプの天気が知りたいのではなく、登頂するときは頂上の天気が知りたい。つまり三次元の予報をしてもらいたんです。
――はいはい。
竹内●さらに三次元である以上、尾根の手前と反対側では状況が違うわけですよ。山のルートによって手前を通るのか反対側で通るのかで予報は違ってきますし、さらに言えば私の登る速度や私がその日どういう行動を取るかをも予測して、私が進むべき道の天気を予報してもらわなければなりません。つまり猪熊さんの予報というのは、コンピューターによる二次元の予報ではなく、山の地形なども踏まえた三次元のものであり、また私の歩く速度や行動なども加えられた四次元の予報なんですよ。
――四次元、ですか。
竹内●それはやはり実際に山に登っている人、さらに私を知っている人でないとできないんですよ。それはどうしたってコンピューターには及ばないところです。
――それはたしかにそうですね。
竹内●つまるところ、コンピューターはすごいと言うかも知れませんけど、すごいのはそのコンピューターを作った人間なんですよ。そこは勘違いをしてはいけません。コンピューターの精度が高いのは間違いないですが、すごいのはそのコンピューターを作った人間と、天気予報で言うならば気象モデルを作った人間なんですよ。それで猪熊さんはこれまでの経験やデータに基づいた独自の気象モデルを持っているのですから、その猪熊さんがすごいということなんです。先ほどのチョー・オユーでデータを洗い直したらビタビタ合わせてきた、その話も同じですよね。
猪熊●ありがとうございます(笑)。頑張りますよ。
竹内●その気象モデルを使って、さらに私のことを知ってくれているわけですから、猪熊さんの予報はすごいシビアなんです。
シビアな予報にも「竹内さんは絶対に予報に合わせてくる」by猪熊
――シビアと言いますと……。
竹内●前に出てきた予報では「頂上は20m近い風が吹いています。普通なら厳しいですが、竹内さんなら行けるはずですから頑張ってください」と。
猪熊●はははははは、ありましたね。
竹内●猪熊さんの天気予報というのは、単純に天気を予報しているのではありません。クライマーが頂上に到達して行くであろう様相さえも予報しているんです。だから自分も登った気になってすごい疲れちゃうんだと思うのですけれど、そんな予報はやはり人間でしかできません。ですから私はコンピューターを信用しているのではなく、それを使う猪熊さんを信用している、こうなるわけですよ。
猪熊●ありがとうございます。こうやって竹内さんには宣伝していただいています(笑)。
竹内●だからこそ私は、猪熊さんの予報に合わせて進んでいけるようにすべてを整えていけるか、それが勝負だと思っています。猪熊さんがGO!と言ったときに出られなければならない。そこに合わせられるかどうか、これはプレッシャーでもありますよ(笑)。
――あ、たしかにそれはそうですよね(笑)。
猪熊●そうですね(笑)。でも竹内さんは絶対に合わせてくる。それはすごい難しいことなんですよ。天候が崩れたりしている間に体調の問題や、高所でひとりでいたりするわけですからストレスなんかの問題もでてきます。それでも合わせてくる竹内さんだから本当にすごいんですよ。
竹内●それがヒマラヤの、8000m登山での最大のせめぎ合い、そしておもしろさなんですよ。登れる日、登れる時間にいかに行けるかどうかなんです。
猪熊●そこがプロなんだなってホントに思いますね。40回以上予報を出していますが、「絶対にこの日に登頂を!」と出しても合わせられない人、いっぱいいるんですよ。それが竹内さんは1回もない。それだからこそこれだけ早く「8000m峰14座登頂」も辿り着いたんだなってわかります。さすがですよ。
竹内●いやそれは……だって猪熊さん、ある意味で命を削って予報を出しているんですから。
猪熊●いやいやいや(笑)。
竹内●気合いを入れて「ここだーっ!」って出しているのに、それに合わせないなんて失礼ですよ(笑)。そこに合わせないと自分の登頂のチャンスも減っていくんですから。
――竹内さんは猪熊さんの予報を元に進んでいって、そこまでや到達点の状況などを今度は猪熊さんに報告することになるのでしょうか。
竹内●そうです。
猪熊●それがないと予報はできません。私は現場にいませんからね。
竹内●その点で「予報をお互いに作り上げていく」わけです。現場にいる私が猪熊さんの身体の一部として見て感じた天気の具合をいかに伝えられるか、が問われます。それでいかに猪熊さんが現場にいたように感じ取ってくれるか。このお互いのやり取り、そして信頼があるからこそ精度が高まっていくんです。
猪熊●私だけでなく竹内さんもそういう目線に立ってくれているので、ほしい情報の実況がすごい的確なんですよ。
気象予報士をヒヤヒヤさせたダウラギリ「奥さまの気持ちがよくわかった」by猪熊
――“14座”の最後になったダウラギリ(8167m)では、登頂後に日が暮れてビバークされています。その情報は猪熊さんには入っていたのですか。
猪熊●はい、竹内さんの事務局から聞いていました。
――ハラハラしましたよねえ?
猪熊●いやいやいやいや、ハラハラどころじゃないですよ(笑)。親御さんと奥さまの気持ちが少しわかりましたよ。
――そうですよねえ。
猪熊●その日は登頂までも大変なことになっていましたからね。そのひとつ前、チョー・オユーのときから竹内さんのブログで居場所がGPSである程度わかるようになっているんですよ。あれは逆に心臓に悪いですよ(笑)。「あ、ここまで来た来た……ああまだここのままか……」とか。
――ははは。
猪熊●それでダウラギリのアタックのときは、竹内さんにしては珍しくスピードが遅い……遅いって言っちゃいけないかもしれませんけれど……。
竹内●いや、たしかに遅い。遅かったです(笑)。
猪熊●メンバーの中島ケンロウさんが途中で下山したのは知っていましたから、ひとりでラッセルしているのが相当厳しいのか、いやひょっとしたら私の予想が大きく外れて風にやられちゃっているのか……ヒヤヒヤしながらチェックしていましたよ。
――はい。
猪熊●ある程度のところまで来たときに、私は講演が入っていたんでパソコンを離れることになりました。なので「そのうちに登っていてくれていればいいなあ」と思っていたんですよ。それで茅野に帰る「あずさ」の中でチェックしたら「えっ、いままだここなのか……」ってビックリしたんですよ。それで私の中では半分諦めました。
竹内●すみません(笑)。
猪熊●ここまで体力を使っていると5月という時期的にも厳しいか、今回はダメかな……と私の中では悲観的になっていました。ただそれでも“14座”の最後ですし、竹内さんなら突っ込んで行くかもしれない。ただそれでも帰りは確実にビバークになる……うーん、天気どうだったっけと確認しようとネットに繋ぐのですが、なにしろトンネルが多い路線ですから途切れてばっかり(笑)。
――電車までも煽りますね(笑)。
猪熊●そうなんですそうなんです。で、最後にはNHKがトップニュースで報じたためにアクセス集中してブログも見られない(笑)。ホントにハラハラドキドキですよ。そうしたらその途中で事務局から電話があり、「登頂しました」と。
――やった!
猪熊●はああああよかった〜でしたが、これで下山になりますけれど、これ帰り絶対にビバークですからね。この時点では喜び半分ですよね。大丈夫かなあ……まだそんな心境でしたよ。
竹内●ご心配をお掛けしました(笑)。しかしまあ、私たちは習慣的にビバークするつもりがなくてもビバークできるところを探しますからね。登っている間に二箇所ポイントは見つけていたんですよ。そこに入れましたから、寒さは変わらないけれども落っこちる心配はない。居場所はわかっていますし、6時間ほど頑張れば動けるだろう、と。前回もお話ししましたが、正直言ってあんまり悲壮感はないんですよ。寒い、ってくらいで(笑)。
――猪熊さんの脳裏をかすめた予報の精度はどうだったんですか。
竹内●猪熊さんの予報では「天気は持つ」となっていましたからね。「頂上は風が強い」となっていて、それはもうすごい風でしたけれども。
猪熊●あそこまでの風とは思いませんでしたよ。
竹内●立ってられなかったですからね。稜線上は予報通りの風でした。
――猪熊さんの予報通りでした。
猪熊●ははは、よかった。
竹内●ただあの後、山頂から下は崩壊状態でしたからね。
猪熊●ホント、そうでした。日照時間が長くなってましたから、もし1日ずれていたら……。
竹内●まさにラストチャンスでしたね。それまでも猪熊さんの予報に従って登頂前にも何日も留まっていますから……。
猪熊●10日くらいでしたかね。あ、12日だったかな……。
――それで“ラストチャンス”をものにしたんですからすごいですね、まったく……。
竹内●まあ、しばらく留まらなきゃいけないのはよくあることではあるんです。
猪熊●ローツェ(8516m)でもありましたしね。
――そんなときって食欲減退とかってないんですか?
竹内●あまりないですよ。むしろ太ってきます(笑)。
猪熊●ベースキャンプは低いところにありますから、食欲がなくなるとか寝られないとかないですよ。たとえばダウラギリでも4700mくらいですから、比較的低い。
――なるほど。
猪熊●特に私、食欲だけは落ちませんね。
竹内●猪熊さん食欲大丈夫? それは強いですね。
猪熊●高所には弱いですけれど、食欲だけは大丈夫です。
竹内●私は食べられるんですけれど、食べるのが面倒くさい(笑)。
猪熊●たしかに上に行くとなんでも面倒くさくなります(笑)。
竹内●食欲と食べることとは別ですね。作るのと食べるのが面倒くさい。ははは。
猪熊●ベースキャンプの場合はよく眠れるし、食べ放題ですからね。
竹内●最初に入ったときは言っても高所ですからね、辛いんですよ。でも後は“食っちゃ寝”です。そうそう、チョー・オユーのときはヨーロッパの人たちと一緒でしたからごはんがヨーロッパのほうのもので、私はパスタとかピザとかパンとかで全然平気なんです。ただ、メンバーの中島ケンロウさんは全然ダメなんですよ。
――はい。
竹内●なので、ダウラギリは14座の最後かも知れませんし、エージェントをコスモにしたんですね。
猪熊●あー、コスモのごはんっておいしいですよね。
竹内●それで全部コスモに日本食を作ってもらったら、中島さんベースでブクブク太りだして(笑)。
猪熊●わははははははは!
竹内●チョー・オユーのときはベースで全然食べられなくてみるみる痩せ細っていったのに。ははははは。
ニルギリ。
ダウラギリ登頂後、竹内さんが「イエティ号」を見るために遠回りして降りた下山道、標高4180m付近から
稀代の登山家と気象予報士、次のタッグは○○山!?
――楽しいお話しをうかがわせていただきました。最後にこれからおふたりの……いや、竹内さん、猪熊さん個人というより、おふたりで進みたい道を教えてください。
竹&猪●そうですねえ……。
竹内●……ああ、では……再三言っているように、猪熊さんは私が登ろうとした山はもちろんのこと、私のこともよく知っていただいた上で、的確な天気予報を出してくれています。ですから「じゃあこういうケースでは猪熊さんはどういう予報を出すだろう」、そういう興味はありますね。
――?
竹内●たとえば「天保山に登りたいのですけれど、予報をお願いします」とか。
猪熊●え、まさかの天保山(笑)。
――天保山って大阪にある日本でいちばん低い山、標高4.53mですね(笑)。
竹内●はい。ただそれでも猪熊さんは猪熊さんなりの山岳気象予報を出してくれると思うんです。なんといっても山岳会も山岳救助隊も組織されている山ですから(笑)。そういったいろいろな可能性がある人なのは間違いないので、これからも信頼おける仲間として切磋琢磨できればと思いますね。
猪熊●はい。しかしそれは大阪市港区の地域予報になるんですかね……それでも精一杯やらせていただきますよ(笑)。
竹内●ははは。
猪熊●私の場合は、そうですね……いままでは日本で竹内さんの実況や現地の映像を加えて予報をしているわけですが、やはりご一緒して登りながら予報もできたらいいですよね。
――おおっ。
猪熊●コンピューターを使うわけですからベースキャンプまでかもわかりませんが……竹内さんとはカトマンズや病院でお目には掛かっても、いざ山でとなると登山教習所で一回一緒になっただけなんです。ですから、ね(笑)。
竹内●ホント、そういった機会があるといいですよね。
――そうなると目の前で「今日は予報が当たるに10ルピー」とかされてしまうことになるのだけが気がかりですね(笑)。
竹内●ははは。
猪熊●ははは、そうですね。連戦連勝で頑張りますよ(笑)。
――竹内さん、猪熊さん、どうもありがとうございました。これからも気を付けて。
猪熊●ありがとうございます(ニッコリ)。
竹内●ありがとうございます。いや楽しい取材でした(ニッコリ)。
構成・松本伸也(asobist編集部)
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読み物 : VIVA ASOBIST 記:小玉 徹子 2013 / 03 / 19