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Vol.80 柳生真吾
――俳優一家が辿り着いた"約束の地"、その素晴らしさよ

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【プロフィール】
柳生真吾
1968年東京都生まれ。八ヶ岳倶楽部代表。そして「園芸家」、「ナチュラリスト」などではない肩書きを思案中

幼いころから両親や祖父の影響で自然に親しむ生活を続け、玉川学園農学部を卒業。小学生当時から週末通っていた八ヶ岳の雑木林を切り拓き、1988年にレストランなどの施設を除く“庭”部分を無料で開放する「八ヶ岳倶楽部」を開設。現在は現地八ヶ岳と、講演などの仕事先を慌ただしく往復する毎日を送っている。NHKにて『趣味の園芸』のキャスターを永年勤め、園芸のイメージを変えたことも記憶に新しい。
主な著書に『柳生真吾の雑木林はテーマパークだ! 』(日本経済新聞出版社)、『柳生真吾のガーデニングはじめの一歩 』(家の光協会)などがある 。
父は俳優・日本野鳥の会会長である柳生博。母は女優・声優の二階堂有希子。


八ヶ岳倶楽部ホームページ:http://www.yatsugatake-club.com/


※2015年5月11日付記:柳生真吾さんは去る2015年5月2日、ご逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

富士山を望む山梨県の八ヶ岳に、ある一家が造り上げた“庭”がある。
そこは「八ヶ岳倶楽部」、造ったのは俳優・柳生博ファミリーであり、
その中心人物が今回登場、柳生真吾その人だ。
俳優一家を八ヶ岳に導いた経緯、そして“庭”造りの楽しさとは?
常に自然体な柳生真吾の言葉を、さあ読んでくれ!



――今回は柳生真吾さんにお話をうかがいます。
柳生●はい、どうぞよろしくお願いいたします。
――柳生さん......いや、柳生さんだけでなく、お父様の柳生博さん、お母様の二階堂有希子さんと一緒にお作りになった『八ヶ岳倶楽部」に今回はお邪魔いたしました。
柳生●わざわざありがとうございます(ニッコリ)。
――レストランなどはもちろん有料ですが、"お庭"というべき敷地内は無料で散策することができます。
お客さん△真吾さんこんにちは?。
柳生●こんにちは?。ごゆっくり、いい時間になさってください。
――と、このようにお客さんも一杯のなかでお話をうかがいます(笑)。
柳生●ははは、肩肘張らずにお話ししましょう(ニッコリ)。
――ところで真吾さんの"肩書き"ってなんになりますかね? タレントさんといいますか、庭師といいますか......。
柳生●そうなんですよ、ずっと肩書き募集中です(笑)。取材をしていただいて最後にいつも悩むのが「肩書きをどうしましょう?」なんです。
――"雑木林ニスト"......なんてのはどうでしょう(笑)。
柳生●ははは。まあ、通りがいいと言いますか、みなさんがわかった気になっていただけるので「園芸家」にはしているんですけれどね。それはちょっと違うとは僕は思っているんですよ。なので今日のお話し後になにかいいものを付けてください(笑)。

「柳生家、八ヶ岳へ行く」その決断とは

yagyu02.jpg――今回、柳生さんにお話しをうかがおうと思ったのは、私が柳生さんの高校の先輩にあたるのを知って、なんですよ。
柳生●おおお、先輩どころか"大先輩"ですね(笑)。
――はい(笑)。その高校は東京の世田谷区にあるのですが、そんな東京の学校に通われていた方が、こんなに立派な「八ヶ岳倶楽部」を拓かれました。そもそもですがまずそのご縁を聞かせてください。
柳生●はい。僕は高校だけでなく、大学も東京です。もちろん小学校も中学校もそうです。ですが、10歳のころからこの八ヶ岳に来ているんですよ。
――30年以上も前の話になりますね。
柳生●ちょうどのそのころ、売れない役者だったオヤジが急に"売れた"んです。それこそバカ売れしたんですね(笑)。
――よくテレビでお見受けしていましたが、柳生博さんにも売れない時代があったんですね。
柳生●それで東京にいての生活が......なんと言いますか、バタバタになってしまったんですよ。まともな家族生活が送れないというか。それで危機感を感じたオヤジが、山に荒れ果てた土地を買って、そこで家族の時間を持とうとした......それが始まりです。
――はい。
柳生●そこ......まさにここ、八ヶ岳なわけですが、そこに毎週末のように通うようになりました。オヤジとオフクロが東京で仕事をして、僕が学校に行っての毎日の中、週末に東京の家で寝ると、朝には八ヶ岳にいるんですよ(笑)。
――東京で寝ている真吾さんをご両親が八ヶ岳に運んでくるわけですね。
柳生●そうそう。寝たままそーっと車に乗せられて、ここまで拉致されているんです(ニッコリ)。
――ははは。
柳生●週末は八ヶ岳......どこか素晴らしい響きですが、"優雅な別荘生活"とはほど遠いのですよ(笑)。10歳のころからチェーンソーを持たされていましたし、台所もありません。ここに来ているときは僕はごはんを作る担当で、薪でごはんを炊いていました。チェーンソーで木を切って、薪を作って......もう「開拓」ですよね。

yagyu03.jpg――開拓!
柳生●はい。別荘用の分譲地ではなく、先ほども言ったように荒れ果てた土地ですからね。それのほうが価格も安いというのもありましたし。そこで木を切って植えて......というのを35年間繰り返しますと、(広大な"庭"を指して)こうなるわけです(笑)。
――はい。でも実際のところ、10歳の少年が毎週末に田舎......と言ってはいけませんが、八ヶ岳に来る生活になるというのは、どう感じましたか。
柳生●そうですねえ......まあホントにすさまじくオヤジが売れたわけですが、僕は小学校のころはどちらかというと"いじめられっ子"だったんですよ。
――そうなんですか......。
柳生●周りはそんなつもりはないんでしょうけれども、僕が耐えられなかったんですね。なにに耐えられなかったかといえば、「"普通の家"に生まれなかったこと」です。
――普通の家、ですか。
柳生●学校のみんなが言うわけです。「おい、昨日お前のオヤジ、"殺人"してたな」とかね。「ラブシーンしてたね」なんて。「殺されてた」なんてのもあるんですが、当時の僕には笑い事じゃなかったんです。
――はい......。
柳生●そんなことを「いいだろう!」なんて言える心を持った人なら逆に人気者になったのかもしれません。「いいだろう、役者の息子で!」って。ただ僕は思えなくて、すごくシンドかった。もっといえば子供だけじゃなく大人も、ですよね。売れてなければ"売れない役者の息子"になるし、売れたら売れたで"柳生さんのおぼっちゃま"ですし。だから大人が大嫌いで、それこそ人間不信になりました。
――なるほど......。
柳生●なので、ここに10歳のころに来るようになって、蝶々やカブトムシがいて、チェーンソーで切り拓いて......というのがメチャメチャ楽しかった。週末にここでガス抜きをしたためか、東京に帰ってもまったくグレることはなかったんです。ここの地、そして生き物たちはホントに僕にとって恩人です。
――まさしく"母なる大地"ですね。
柳生●まさに。母ですね(ニッコリ)。
――うんうん(ニッコリ)。

「"不自由"ってすごく大事ですよ」

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“庭”に生い茂る見事な白樺と、「人力で建てております」という立派な小屋
柳生●でもね、ホントに俳優というのは、周りのみんながコロコロ変わる職業なんですよ。父は"遅咲き"と言われた俳優でしたが、僕が10歳ぐらいのころって母のほうが役者として売れていたんですよ。僕が生まれてからは声優としての活動が多くて、それこそ映画の吹き替えや、アニメで「峰不二子」の初代の声を演じていたんです。
――二階堂有希子さんですね。
柳生●峰不二子にしたって僕はイヤでしたよ。母親の色っぽい声なんて聞きたくないでしょ(笑)。
――なるほど、それはそうです(笑)。
柳生●そんな家なんですから(笑)。オヤジは教育、ポリシーとして自分が出ていた番組をみんな僕に見せていたんですよ。家族全員でオヤジのラブシーンを見て、「どうだった?」って聞かれても(笑)。
――そんなこと言われましてもねえ(笑)。
柳生●でもね、そんなオヤジでも嫌いにはならなかったですよ。こっちに来て野良仕事をしていると、当然僕より上手いわけです。それを見ていると、男として尊敬できました。役者としてはいまもって詳しいことはわかりませんし、当時は単純にイヤでしたけれど、僕が小さな石しか持てないのに、大きな石を持っている。負けた、って。
――お父さんすごいな、って実感する光景です。
柳生●野良仕事っていいですよね(しみじみ)。じゃあオヤジでも持てないような大きな石を、地元の細腕のおじいちゃんが頭を使って動かす......知恵とか力がそのまま発揮されるのが野山であって、名刺やそれこそ肩書きではない、その人の価値を現してくれますよね。
――キャンプなんかにしてもそうですよね。いつも目立たない人がパーッと火を熾しちゃったり(笑)。
柳生●はいはい。いつもはみんな目一杯背伸びをして生きているんですよ。またオヤジを例に出せば、売れる役をやれば人気者になるし、売れなければそうでなくなる。自分の大きさがわからなくなっちゃうんです。部長と課長だったら部長のほうが偉いわけですし。ただ、この周りの草花や木々というのは等身大で生きている。そこに身を置くと、僕もみんなも等身大でいられるんです。それがいいところですよね......(しみじみ)。

yagyu05.jpg――はい。
柳生●小玉さんは山登りをされるんですよね。山に登っているとそう感じませんか? "自分の大きさ"に戻れると言いますか......。
――山ではいつも圧倒されるばかりで、なにも考えていない気がします......
柳生●そうそう。だからそれこそが自分の大きさじゃないですか。そこに立ち返る、戻れるのが山であり、自然なのですよ。
――背伸びをしない、等身大の自分がそこで現れるのですね。
柳生●そういった場所があるからこそ、逆に背伸びもできるわけです。僕だったらこの『八ヶ岳倶楽部』という、等身大の自分に戻れる場所がある。だからこそ都内で講演をしたりするときに、自分の持っている力以上のものが出せたりするんですよ(ニッコリ)。
――真吾さんにとって35年もの間、ここが帰る場所なんですね。
柳生●そうです、まさに"母"ですよね。あ、でもね、誤解していただきたくないのは、東京も大好きなんですよ。東京もメッチャおもしろい(笑)。
――それというのも八ヶ岳があるから......。
柳生●そうですよね。ここがあるから東京もより楽しめるんですよね。ですからね、こっちにいるとよく東京のこと考えていますよ。「今度はあの店に行ってみよう」とか(笑)。
――逆に東京で気になるポイントがよく思いつきそうです。
柳生●それで三日間も東京にいると、「あれ、八ヶ岳はツツジが咲いたかな......?」って気になる。三日も過ぎると空気からなにからまったく違いますからね。
――東京に行きたいが、今度は早く帰りたいになるんですね。
柳生●はい。ですから、僕は"不自由"ってすごく大事だと思うんです。
――不自由が大事!
柳生●自分の身の回りに「緑がない!」って思う人は、やっぱり緑を欲しますよね。そうやって自分が不自由だと思う欲求を楽しむようになると、緑に目が行きますし、鳥の声に耳を傾けるようになる。いろいろなところに想いを馳せられるようになるんじゃないかな?(ニッコリ)

『八ヶ岳倶楽部』誕生――気持ちのいい庭ができた、だから自慢したくて(笑)

yagyu06.jpg――『八ヶ岳倶楽部』についてもう少しうかがいます。雑木林を切り拓いて"庭"にしていく......というのは、私たちにとって想像できるようでできない世界かと思います。現在のような立派な施設としてはもちろん、造り始めた当時の思いなども教えてください。
柳生●はい。普通、庭というのはお店であるとか家ができてから造るわけです。イタリアンレストランを作ったからそれに似合う庭を造る、という順序ですね。
――なるほど、和の庭園を造るのは和住宅があるから、ですもんね。
柳生●ところがですね、この『八ヶ岳倶楽部』は、レストランなどの施設ができるのは庭を造り始めてから10年後なんですね。
――庭が35年前ですから、25年前になりますね。
柳生●そうです、平成元年ですね。で、その合間の10年間は、お店も造るという前提はまったくなしで庭を造っていたんです。
――チェーンソーで木を切って木を植えて......を繰り返して徐々に造成されていきました。
柳生●それですごく気持ちのいい庭になったんで、今度は歩いてもらいたくなったんです。人に自慢したくなったわけですよ(笑)。
――せっかくだから見ていってくださいよ、という心持ちですね。
柳生●褒めてもらいたくなったんです(笑)。それで庭を見てもらうために、レストランやお店の施設も造ったんです。これが動機ですね。
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「八ヶ岳倶楽部」の樹木、草花についても詳しい著書たち
――それで『八ヶ岳倶楽部』としてスタートしたのが25年前なんですね。
柳生●はい。それでいまや年間10万人の方に来ていただいています。
――いまも多くのお客さんが散策されていますもんね。今回は晩春ですが、別の季節にも来たいって心から思います。
柳生●ありがとうございます(ニッコリ)。あくまでも庭を見てもらいたいことが動機ですから、この庭を散策する入場料は絶対に取りません。庭で稼ごうとは思っていませんし、レストランなどの売り上げはもちろん従業員の給料などに充てるわけですが、残ったお金は全部この庭につぎ込もう、というのが僕らのポリシーです。
――柳生家のみなさんが等身大に帰れる場所として切り拓いた雑木林、その結果がいまの『八ヶ岳倶楽部』なんですね。
柳生●そうですね。庭を見てもらいたくなったのは、とにかく造っていておもしろかったのもあるんですよ。
――はい。
柳生●藪の中で木を一本切りますよね。そうするとポッカリと空が見えるようになります。そうなると光が入るようになりますよね。そうすると、これまで何も生えていなかった地面だったのに、翌週来てみると緑の絨毯が敷き詰められているんです。
――太陽の光によって緑が芽生えたのですね。
柳生●それがまた翌週になると、今度はスミレ畑になっていたりする。そうするとスミレが好きな蝶々がやってくる。今度はそれを食べに鳥がやってくる......シーンとしていた藪が、木を一本切って手入れをするという作業だけで、毎週劇的に変化をしていく。このおもしろさったらないんですよ。
――様々な生物が育っていくのを実感、体感したわけですね。
柳生●そう。季節によって違うことなども一緒です。そこをぜひご覧になっていただきたいですよね(ニッコリ)。......って、いかがですか、せっかくですから明るいうちにご案内しますよ(と立ち上がる)。
――え、いいんですか!?
柳生●もちろんです。小玉さんにも自慢させていただきますよ(笑)。ではどうぞ。
――では行ってきまーす!
※編集部......という柳生真吾&アラカン編集長の、"自慢の庭ランデブー"はこちらからご覧ください。

(散策終了)
――ありがとうございました。ご自慢したくなって当然のお庭ですね。
柳生●ありがとうございます。嬉しいです。

yagyu07.jpg――いまの散策中も多くのお客さんがお出でになり、真吾さんにみなさんお声掛けをされています。年間10万人のお客さんなのも頷けますが、『八ヶ岳倶楽部』ができた当初の反応などはいかがだったんでしょうか。
柳生●25年前というのはいわゆる"タレントショップ"全盛の時代ですよね。ここの最寄り駅、甲斐大泉からふたつ奥には清里があるんですが、そこにはいろんな方のタレントショップがありました。
――清里というとそうですね。
柳生●もちろんそちらのみなさんが悪いのでもなんでもないのですが、ウチはそれらのショップとはまったく違うこと言わなければなりません。10年間かけて造った森を歩いていただきたかっただけですから、最初はお茶を飲める小さなお店を造っただけなんです。それにいまもって広告も出したことないんですよ。ずっと全部クチコミだけでやろう、と。雑誌などに情報を出す際もすべて「柳生博」の名前は入れない。あとこれはオヤジが強烈に意識していると思うのですが、出張などせずこの場所ににいるときは、いつもここで庭仕事をしています。もちろん僕もです。そこはちょっとタレントショップとは違いますよね。
――たしかにタレントショップとはまったく違うのはわかりますね。あそこにお父様もおられますし、ここに真吾さんもいらっしゃっるし(笑)。
柳生●いまはみんな知っているわけですけどね、柳生博や真吾がやっているということは(笑)。でもタレントさんが余ったお金でやっているみたいには受け止められていないと思いますね。

「常に楽しみを見つけられる男でありたい」柳生真吾が見つける次の楽しみは?

――この『八ヶ岳倶楽部』を訪れる多くの方は「ああ、こんなところに住みたいな......」と一度は思うのではないですかね。
柳生●それは嬉しいですね。僕はみなさんがそう思う場所を作りたいと思いますしね。そう思っていただくことが大事でして、「住んでみたいな、東京にはこんな場所はないな」って思った人もそうなるようになにかを成し遂げようとするわけですし。逆に「不便だからイヤだ」ってなる人もいるでしょうが、不便なんて上げていったらキリがありません。たとえば沖縄だって楽園のようでいて台風が来るわけじゃないですか。不便ばっかり上げている生活はつまらないですよ。
――はい。
柳生●無い物ねだりをしていきたいな、と思うんですよ。「八ヶ岳もいいけど海もいいよなあ」なんて(笑)。将来もずーっとそうしていきたいですよね。
――ここに海もあったら最高ですね。
柳生●まあそういうわけにはいきませんからね(笑)。でも「海もいいよなあ」と無い物ねだりをする。ここに来るお客さんでも「いいところだなあ!」という気持ちを持ち続けてもらいたいですよね。「いいところですねえ......でも冬は寒いんでしょ?」って、寒いのを強調して考えたらつまらないじゃないですか(笑)。「でも......」が出た時点でその方は住みませんよね。ははは。
――「山に登ってみたいんですけど、疲れるでしょ?」って私に聞いてきた人は、その後に登った試しがないですよ(笑)。
柳生●ははは。でも、別に八ヶ岳に住まなくてもいいんですよ。
――え?
柳生●この『八ヶ岳倶楽部』に来れば。それで"自分の木"とか"お気に入りの風景"を勝手に決めてしまえばいいんです。それで季節毎に来てその変化を楽しめばいいと思います。で、別の日には海に遊びに行ったりしているうちに、いつのまにかガスが抜けていく。住む住まないではなく、自分の想像力を使いながら、日本中を"自分の庭"にすればいいんですよ(ニッコリ)。
――おそらくですが、毎年必ず同じ日に『八ヶ岳倶楽部』に行く。そう決めて長いこと実行したとしても、同じ風景や光景が見られるってことじゃないですよね。
柳生●それはもう、まったく違うでしょう。そしてそのことをね、僕らが「いいね!」と思っていないと、お客さんにも伝わりませんよね。だから、僕らがひとつ合い言葉にしているのは「森っていいね」ってことなんです。僕が海に行ったとしたら、その海の人たちに「この海、最高ですよ!」って言ってもらいたい、伝えてもらいたいって思いますよ。そういう気持ちで『八ヶ岳倶楽部』もあるということですよ。
――真吾さんの話を聞いていると、35年前、いや45年前に生まれたときから、この八ヶ岳の土地が"約束の地"だったと思えてきますね。
柳生●うん、縁がありましたよね。でもね、僕はどこにいても常にハッピーでありたいと思うんです。ここ、八ヶ岳にいるからハッピーなのではなくて、たとえば東京に出ていったときもハッピー、どこにいるときでもハッピー。そう、いつも楽しみを見つけていきたいんです。
――ああ、そうありたいものですね。
柳生●そうでしょ(笑)。僕は子供が生まれたときに住民票を八ヶ岳に移して、妻と子供たちと生活をしていますが、たとえば子供たちがここではなく別な場所で生活をしたとしても、それが子供たちのハッピーだったらいいんですよ。だから僕としても、まだまだ別なハッピーな場所を見つけていきたいと思っていますよ。
――先ほども「海も好き」っておっしゃっていましたしね。
柳生●海、沖縄......島もいいですよね。あ、島なら屋久島がいいですね。僕ね、いま屋久島に住みたいと思っているんですよ。
――おおお、屋久島ですか。
柳生●屋久島、ハマッちゃいました。屋久島、なんか持っているよね(笑)。今や完全に"屋久島中毒"、つまり"ヤクチュウ"(笑)です。
――わはははははは。
柳生●そんなふうに常に楽しみを見つけられる男でありたい、ですね。もちろんこの『八ヶ岳倶楽部』にいても、常に楽しみだらけの毎日ですけれどね(笑)。
――ひょっとして、次にお目に掛かるのは屋久島かもしれませんね(笑)。でもその前に、別の季節にまた散策をしに来ますよ。
柳生●そうですね。夏、秋、冬......またご案内させていただきますから。
――嬉しいですわ(笑)。
柳生●また『八ヶ岳倶楽部』で等身大の自分に会いにいらしてくださいね(ニッコリ)。
――ありがとうございます。そして今日はありがとうございました!
柳生●こちらこそ(ニッコリ)。

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構成・松本伸也(asobist編集部)











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2013 / 07 / 18

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