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VIVA ASOBIST
Vol.86 三笘育
――"安全な登山"の伝道師、ここに降臨
【プロフィール】 今回は山シリーズからガイドさんが登場です。
三笘育
1980年生まれ。山岳ガイド
18歳のとき星空を見たくて山を始め、山歩きから本格的な登山を始めたくて社会人山岳会に入会。学生時代はビッグウォールクライミングを中心に活動。リーニングタワーのソロやエルキャピタンのA4ルートを登攀。ガイド資格を取得してからは、国内やアラスカ、ヨーロッパアルプスでアイス&ミックスクライミングを行なう。
ガイドとしては07年に日本アルパイン・ガイド協会で資格取得後、フランス国立登山学校で研修などを経て2011年にアルパインガイドになる。ワイドクラックやアイスクライミングが得意。
(社)日本アルパイン・ガイド協会会員
アラカン編集長も信頼を寄せる若き鉄人・三笘育!
飄々とした語り口から導き出せる“安全な登山”とは?
さあ読んでくれ!
――今回は山岳ガイドとしてご活躍中、私もよくいろいろな山へ連れて行ってもらっております三笘育さんにお出でいただきました。
三笘●こんにちは、よろしくお願いいたします。
――さっそくではあるのですが、いまや山々で活躍される三笘さんが山と出会ったきっかけを教えてください。
三笘●そうですね……。私が自分の記憶にある、自分の意思で登ろうと思ったのはですね、昨年末にもありました「しし座流星群」がきっかけなんですよ。
――まず天体ショーが登場いたしました。
三笘●しし座流星群を見るならば、やっぱり星の綺麗なところで見たいと思ったんですね。それまでも低山へ登るとかキャンプなどはしていたんですよ。奥多摩などでしたね。なので寝袋とかちょっとした装備はあったので、それらを担いで登りに行ったんです。
――なるほど。山といいますか、キャンプやハイキングなどはしていて、いざ登ろうと向かったのが、そのしし座流星群の時になるのですね。
三笘●そうです。ただそのとき、登っている途中で暗くなっちゃいまして(笑)。
――トラブルが発生しました。
三笘●ええ。奥多摩の鷹巣山の山小屋に泊まる予定だったんですが、どこにあるのかも自分がどこにいるのかもわからなくなっちゃったんですよ。なので寝袋で寝まして、次の日に起きてみたら自分の隣にあったのですが(笑)。
――まさかの隣りに(笑)。
三笘●真っ暗なのでわからなかったんですね、ははは。そのときはテントを持っていなかったので、林の中でビバークしたわけですが、枯れ葉の上に寝ながら木々の間から見た……その日のしし座流星群はホントにすごかったんですよ。自分の視界の端から端までビューっと流れていきましてね。いまだかつてあれほどの流星は見たことないですよ。ただ流れるだけでなく、最後には爆発したりしたのもありました。ニュースになったようなできごとですよ。
――それは見てみたいですね。
三笘●それはもう、機会があればぜひ(ニッコリ)。翌日も冬型の気圧配置ということで空気がすごく澄んでいまして、鷹巣山から東京湾で航行している船が見えましたよ。
――とても素敵な初登山になったわけですね。
三笘●夜にビバークしているときには鹿に囲まれたりもしましたからね(笑)。僕、東京で生まれ育って、鹿に囲まれた経験なんてないですから、山っていうのはすごいところだな……って。それがきっかけに山登りを始めた……始めたと言いますか、いろいろなところへ行ってみたいな、と思うようになりましたね。
――それにしても……最初の山でビバークするってすごくないですか?
三笘●そうですね。11月ですから氷点下だったと思いますし。
――日頃からキャンプなどをされていてよかった、ということですね。
三笘●まあキャンプと言っても高校生ですから、友達と河原でカレー作ったり……ってやつですけれどね。で、そんなことをするのって春から夏ですから、持っていった寝袋も夏用でして(笑)。寒いはずですね。
――素敵かつ楽しい初体験以降はいかがでしょうか。
三笘●そうですね、本格的に岩などに登り始めたのは大学に入ってからになります。
――おなじみの山岳部に入って、ですかね。
三笘●僕の場合は最初は探検部にいましたが、雪山とかに行きたいなと思い始めて半年ほどで社会人山岳会に入ることにしました。大学1年の秋ですね。
――すみません、探検部というのもちょっと興味深いですね……。
三笘●ははは、一口に探検部と言っても、学校によっていろいろな活動があると思いますが、僕の学校では“アウトドアのデパート”みたいに、キャンプもするし山登りもするし、いろいろやってみようか、という感じでした。洞窟を探検したりもしましたよ。
――なかなか面白そうな部活ですね。
三笘●ただご想像の通り、どれも“浅く広く”的になりますよね。山をもっとやりたいなと思ったときに、そこでは物足りなくなりました。
ガイド風景。力強く先頭を行く――それで社会人山岳部に入ったのは、大学に山岳部がなかったのですか。
三笘●いえいえ、山岳部はあったんです。それなのになぜかと言いますとね、僕が大学生くらいの10数年前ころって、山登りががいちばん下火になっていたんですよ。そんな時代だと当然、部員数も少ないですし、積極的に活動しているのは社会人山岳会のほうだったんです。それで部活ではなく山岳会を選びました。
――なるほど。
三笘●社会人山岳会に入ってからですが、最初は雪山登山がやりたかったんですよ。それで入ってからは日々、山に浸るような毎日になりますから、それこそ雪山も登りましたし、岩登りもしましたし、アイスクライミングなどもしました。そのうちにヨセミテにあるエルキャピタンという約1000mの壁があるのを知りまして、学生時代にそこに登りたいなという目標ができたんです。
――大学生中に1000mの壁を登るなんてすごい目標ですよ。
三笘●なので雪山登山もしていたんですけれども、大きな壁を登るためのトレーニングばかりしていましたね。それで、自分でアルバイトをしてお金を貯めて、その壁を登りに行って……。
――登りに行って……?
三笘●登れました。
――おお、やった。どれくらい時間はかかったんですか。
三笘●いちばん簡単なルートは2泊3日でしたね。いちばん難しいルートは7泊8日くらいかかりました。あれ? 8泊だったかな??
――7泊、8泊っ!!
三笘●いま思うと実に幸せな日々でした……(しみじみ)。
――しかしロープに吊り下げられたまま、ですからね……。
三笘●天気も良かったですからね、ゆっくり寝られましたよ。まあ天気が悪くても岩が頭上に被ってますから雨も降られませんし、落石に当たることもないですよ(笑)。
「安全な登山を!」強くそう思うに至った過去
――学生時代でビッグウォール攻略などされた後……山に携わるのが仕事になる場合も、はたまた趣味になることもあると思います。三笘さんは現在、ガイドという仕事をされているわけですが……。
三笘●はい、いまお話ししたように在学中からアメリカにツアーに行ったり、大学卒業後も観光ビザでいられる範囲内でまたアメリカに行ったりしていたんですよ。で、それから帰ってきた辺りで、就職もしたんですよ。
――お、会社員も経験されているのですね。
三笘●27歳くらいまでですから5、6年ですけれどね。就職したのはスポーツ系の会社でして、平日はデスクワークをして、週末はイベントなどに出向いたりと、忙しい会社だったんですよ。それであまり自分で山に登る時間は取れなかったんですね。
――それはなかなか寂しくなりますね。
三笘●そうなんですよね。それまでは毎日毎日が山のような生活でしたから。そのおかげでよりいっそう山への気持ちは強くなりましたよね。同じように山に登っていた友人も就職しましたけれど、さすがに週末くらいは山に行けているんですよ。それで同世代がドンドン自分のレベルを追い越していく……それがフラストレーション、溜まりましてねえ。
――はい。
三笘●それであるとき同世代くらいの友達と、「お互いに会社を辞めて、原点に戻ってアメリカにツアーでもしようじゃないか!」ってなりましてね。何カ月間も車で放浪して……じゃあ車はコレを買おうか……なんて話までしていました。
――楽しい山との生活よ再び、という感じですね。
三笘●それで最初にその友達が会社を辞めまして、先にアラスカに、マッキンリーに行って来ると言って旅だったんですよ。そうしましたらね、残念ながら彼、帰ってこなかったんですよ。
――……帰ってこなかった……?
三笘●死んでしまったんです。
――…………。
三笘●それで……そういう友達の事故があったことで、改めて山登りの危険性を認識しました。自分がどれだけ危険なことをしているのか考えたりしましたよね。
――はい……。
三笘●そのときにちょうどスポーツの会社にいたわけなので、自分の好きな山登りを仕事にしていく、会社の仕事として取り込めるかなって前後して考えていたんですよ。ちょうどトレイルランニングが流行った時期でそれらのサポートや、ビバークしながらサハラ砂漠を走るサハラマラソンに関わっていたりしているうちにアウトドアの知識も付いてきていたんですよ。
――経験上で「サハラでのウェアはこれがいい」などとわかるようになる、と。
三笘●そうですそうです。それで、山岳ガイドの資格はそのときすでに持っていたんです。サラリーマンをやりながら週末に講習に行ったりしていました。なのでその資格や、積んできた知識を会社の仕事にとして活かせればと思っていたんですね。
砂漠にも行っちゃいます。こちらサハラ砂漠――なるほど。
三笘●ガイドの資格を取った時期や、アウトドアの大会をサポートしていた時期などは前後するのですが、会社を辞めるってことはもう言っていたんですね。それでまあ、友達が死んでしまったからやっぱり会社に残りますというのも……なので、自分も潔く会社を辞めてガイドでもやるか、そう考えたわけです。
――はい。
三笘●詳しい経緯を話せばそうなりますが、親友を亡くしたというようなことがあると、より安全に……ガイドとしてという以前に自分が登山をしていくにあたって、安全対策をやっぱり重視しないといけないな、と。学生時代はただ単純に登るだけが優先で、安全対策やロープの使い方などいま思うと非常に稚拙でしたよね。実のところ入ったころの山岳会も下火ではあったので、自分で研究したことのほうが多かったですけれど、それにしても稚拙な技術だったと思います。
――登るだけ、という勢いだけでは安全が守れないのはわかりますね。
三笘●なのでガイドの講習に行っただけで発見もありましたし、衝撃的で新鮮でしたよね。難しいところとか憧れのところを登るというだけでなく、与えられた状況でどれだけ安全に、安全度100%に近づけるテクニックを知れましたしね。……まあ、繰り返しになりますけれども、親友が死んでしまうなんていうことがあると、安全面というのには当然より慎重になりますよ。なにせ、登山というのは誰しもが楽しんでやっていることなんですから。
ガイドとしての理想の姿と……再登場予告!
――では山岳ガイドとしての三笘さんのお話をうかがっていきますが、三笘さんご自身の“ガイドとしてのあるべき姿”というのはどういうものなんですか。
三笘●そうですねえ……。個性を売りにする仕事だと思いますから、いろいろなガイドさんがいていいと思うんですよ。
――はいはい、知っている人みなさん個性的です(笑)。
三笘●僕がどうではなくて、個人的に好きなガイドさん像というのは……。たとえば講習の時に教わった教官みたいに……まあガイドさんというだけでなく人間的な面にもなるのですが、“あまりひけらかさないのだけれども、やたらとすごい”みたいな(笑)。そういうガイドさんはカッコいいと思いますよね。
――はい。
三笘●ガイドも登山をしている人だし、小玉さんのようなお客さんも登山をしている人ですよね。その同じ登山をしている人たちの中で圧倒的な力を発揮できるのがガイドとしての条件だと思いますし、加えてただ自分の行きたい山とかやりたいことを押しつけるのではなく、相手がやりたいことや、「こうしたら楽しいのではないか?」というのをどんどん引き出せることも重要だと思います。
――三笘さんもそういうガイドだと強く思いますが、改めてご自身が心がけていることはありますか。
三笘●そうですね……ガイドをやっていますと、日本のガイド界の歴史があまり深くないせいか、あまりテクニックなどがなくても、名が売れちゃうとある程度、有名になれちゃったりするんですよ。自分的にはそうはなりたくないな、だから技術を磨いていないとと思います。なのでってことでもないですが、あまり“営業”にようなことはしていなかったんですよ。自分の実力がもうちょっと付いてから、とは思っていましたね。
――充分だと思いますけれどねえ。すごいタフですし。
三笘●まあそれはこういう仕事ですし、必要条件ですよね、体力があるのは。
――三笘さんの体力は望むべくもないとして、どうやったら体力が付きますかね。
三笘●小玉さんのようにアルパインクライミングをされているのもいいと思いますよ。登山の楽しみ方、鍛錬というのは人それぞれではもちろんありますが、僕は長いルートを登るほうが体力を付けるような訓練にもなって、なにより面白いと思いますね。
――最近クライミングばかりで歩いてないので、すごく心配です(笑)。
三笘●はい、実際に山に登るときにはクライミング能力より歩く能力、体力のほうが必要ですからね。
――はい。そんな私みたいなお客さんもいればすごく強いお客さんもいる、資質なんかも違うお客さんたちを混ぜて連れて行かなきゃならなくて、それでいてパフォーマンスを確保していかなければならない……ってのは大変ですね、しみじみ。
三笘●まあそうですね。案内するお客さんの能力をどれだけ引き出せるかはガイドの重要な要素のひとつでしょうね。ただ、事前の準備も必要で、あまりにも経験や体力がかけ離れた人や、性格の合わない人たちを一緒にすると山行自体が成立しなくなりますからね。なので通常、1泊以上するような期間が長い登山の場合は、1人とか2人しかお連れしないですよ。
――長い期間であればあるほど差は開きますからね。
三笘●そうでないと安全性も確保できませんしね。日帰りのフリークライミングなんかだとそこまで気は遣わないですけれども。
――はい。
三笘●気を遣わないという話でいえば、自分のクライミングをするのと、人をお連れしてクライミングや山登りをするというのはまったく別……別物ではないのですが、けっこう似て非なる物なんですよ。そう思うと僕は案外、人を連れて行くのに向いているんだな、と思いました。
――向いてますよ、はい。
三笘●どんなに上手いクライマーだとしても人を連れて行くのに向いていない人もいますし、逆にクライマーとして大したことはなくてもガイドには向いている人もいます。いろんなパターンがある中で、僕は向いているほうだろうな、とは思います。
――みなさま、ぜひ三笘さんのガイドで登山を(笑)。
三笘●ははは。
デナリでの一枚。スゴい!――山で実際にお世話になっている私が思うに、三笘さんを適切に表現するならば……未熟なクライアントを指導していくこととホスピタリティの兼ね合いが素晴らしいガイドさんなんだと思います。
三笘●ははははは、ありがとうございます(ニッコリ)。まあガイドによってお客さんの捉え方が違いまして、悪い言い方をしてしまうと……“おカネを継続的に貰うために、あまり技術を教えない”みたいな、ね。自立されると収入源が減るわけですから。
――その考え方もわかります。
三笘●はい。ただやっぱり山登りというのは、ガイドに連れて行ってもらうのもいいのですが、自分の力で登ってみたいというのも絶対にあると思うんですよ。そのための能力を伸ばすことによって、もっと面白くなると思いますからね。ですから、その人がより山登りを好きになって、世界が広がるような指導をしていきたいなと思います。
――そういう観点で山に連れて行っていただけたら、リピーターのみなさん、すごい山好きばかりになるでしょうね……あの、突然ですけれども私みたいなお客さんってどうなんですか。
三笘●え、はい?
――まあとにかく体力のない人間ですしねえ……。
三笘●ええーっと、体力がないとかクライミングの上手い下手とかはともかく、それだけモチベーションを維持し続けるのは素晴らしいことですよ。
――えっ、ありがとうございます。
三笘●僕のように好きなことを仕事にしてしまうと、モチベーションが低下してくることはあるわけです。それはお客さんは週末や自分が行ける日に集中して山に登るんですから、必然的にモチベーションは高まってくるのでしょうけれども、それでもやっぱり素晴らしいです。毎週末に山に行くって相当疲れませんか?
――はい、それはもう(笑)。
三笘●やっぱり素晴らしいですよ。それでお疲れのところお仕事として話も聞いていただいているんですから(ニッコリ)。
――いやいや(照)。
三笘●僕もまだまだ頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。「自分なんかとっかかりに過ぎないからサッサと越えてください」って思いつつ、「三笘に教わればすごく上手くなるぞ」って言われるくらい教えるのがメチャクチャ上手い……そんな僕自身もお客さんもモチベーションが沸いてくるガイドさんになっていきたいですね。
――いや、なんかとても沸いてきましたよ、モチベーションが。
三笘●さらにですか、小玉さん(笑)。ありがとうございます。
――なので、今日聞いたお話しだと三笘さんに教わるのがいいと思いますよね。もっと安全な登山への技術論や精神論のお話しを聞かせていただきたいですが……この場で語っていただくのはなんかもったいないので、よかったら場所を変えませんか……?
三笘●はい、もちろんかまいませんよ。
――ありがとうございます! では安全な登山を三笘さんが教えてくれる新コーナー、近日中にスタートします。ご期待ください!!
三笘●僕も楽しみにしています。ではまたそこで(ニッコリ)。
構成:松本伸也(asobist編集部)
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読み物 : VIVA ASOBIST 記:小玉 徹子 2014 / 03 / 10