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VIVA ASOBIST
Vol.90 安間佐千
――若きクライミング世界覇者が語る「出会い」、「W杯」、そして「その先」
【プロフィール】 今回もクライミング界から大物のご登場。
安間佐千
1989年栃木県出身、プロ・フリークライマー
山登りが好きだった父の友人に誘われたことをきっかけに中学入学前の春休み、地元・宇都宮市でフリークライミングを始める。その直後から頭角を現し、若手クライマーでは国内外で数々の好成績を残す。2012年のワールドカップ開幕戦では平山ユージ以来となる日本人12年ぶりの優勝、そしてその勢いのままにシーズンの総合優勝(リード部門)を達成。翌13年の総合優勝連覇は日本人男子初の偉業となった。近年は国内外の岩場でもその名を世界に轟かせている。
日本が誇る若き世界チャンピオン、安間佐千!
気になるクライミングとの出会い、そしてW杯。
さらには岩場にも目を向けるそのまなざしの先は――。
さあ読んでくれ!
――今回はボルダリングジムRock&Wallでも1周年記念セッションに登場していただいた、日本が世界に誇るクライマーのひとり、安間佐千さんにお出でいただきました。
安間●こんにちは。どうぞよろしくお願いいたします。
――安間さんとRock&Wallといえば、オープニングレセプションにも参加いただきましたし、今年6月の1周年記念セッションでも、課題を作っていただくなど大変お世話になりました。
安間●いえいえ、僕も楽しかったです。次の週に(野口)啓代ちゃんも課題を作って参加するとうかがい、彼女の場合は厳しいばっかりのルートにするだろうと読みまして、僕は楽しいルートを作らせていただきました(笑)。
――野口さんの課題は厳しかったですよっ。私、取り付いたまま次が出せなくて動けなくなりましたから(笑)。
安間●でしょう(笑)。まあ“アメとムチ”な1周年セッションということですね、ははは。
――で、野口さんと言えばですが、安間さん今日この場所って……。
安間●え? ああ、こちらはですね、茨城県にあります野口牧場……啓代ちゃんの実家でして、こちらの敷地には野口家で作ったボルダリングの壁があるんですよ。
――ああああ、以前、平山ユージさんと野口さんの対談のときにも出ていましたね。
安間●牛舎を啓代ちゃんのお父さんが改造して造ったんですね。でまあ、当然のように厳しい課題の壁なので、時々うかがって練習をしているんです。今日はその日だったので……って、“お出で”いただいたのは僕じゃなくて小玉さんやみなさんのほうですね(笑)。今日はお出でいただきすみません。
――なにをおっしゃいますっ。ホントにありがとうございます。
安間●後ほど壁のほうも見ていってくださいね(ニッコリ)
父が導き息子が歩んだ世界覇者への道その1――出会い
――さて、安間さんと言えば、2012年のクライミングワールドカップ開幕戦で、平山さん以来12年ぶりの日本人優勝を果たし、そしてその勢いのままにリード年間チャンピオンにもなってしまいました。そして昨年、2013年にもリードの年間チャンピオンを連覇……こんな飄々とされているのにねえ(しみじみ)。
安間●いえいいえ(笑)、ありがとうございます。
――月並みな話ですが、そんな安間さんとクライミングとの出会いから行ってみましょうか。
安間●きっかけはですね、僕の父が山登りをけっこうやっていたんですよ。僕が小学校のころからしょっちゅう海外なんかにも登りに行っていまして。
――そうなんですか、海外とはすごいですね。どんな山に行かれていたんですか。
安間●僕はあまり詳しくないのですけれど、マッターホルンとか……。
――ほおおおおおお。
安間●父は新聞社に勤めていたんですけれど、栃木県の山岳連盟なんかにも所属したりしていました。で、僕はそのころサッカーとか水泳をやっていたんですが……。
――あ、サッカー似合いそうですね。
安間●はは、そうですかね(笑)。それが小学校6年生のときに父が「山登りの友達がボルダリングジムをやっているんだけど、行ってみる?」と話してくれたんです。ただ、職業柄か父はやっぱり忙しくて、話だけ聞いてなかなか行けなかったんですよ。でも僕は「おもしろそう……早く行きたい!」と思っていましたね。
――待っているのがもどかしくもあり、楽しくもありそうです。
安間●結局6年生の終わりごろになりましたかね、初めて行ったのは。宇都宮市にあるクライミングジムでしたが、もう行ったときから「次はいつ来ようかな」という感じでスッと自分の中に入ってきて、一気に日常に変わりましたね。
――なかなか行けなかった分、初体験後は進んで通うくらいの勢いですね。
安間●そうですね。バスに乗って通っていたなあ。帰りは仕事を終えた父が20時とか21時に迎えに来てくれましたが、たいてい迎えに来た時点ではまだ登っているんですよ(笑)。
――いいですねえ(笑)。
安間●父は「早く帰ろうよ〜」っていつもなっていましたけれどね。
――そうは言っても、お父様はご覧になりながら素養とかを感じ取っておられたと思いますよ。
安間●そうなんですかね? まあ、 その当時……ちょっと前、小学校3年生くらいからなんですが、少し家庭の事情がありまして……ちょっとションボリしていたところにクライミングに出会ったもので、夢中になったのを見て父もホッとしていましたし、僕も実際に助けられたということはありましたね。
――うんうん……。
安間●僕がクライミングに夢中になってから、父は山登りを最近やってないんですね。また始めてほしいなとは思います。
――お父様はいま『フラッシュ』というクライミングジムをオープンされているんですよね。
安間●はい。まあそこで登ったりはしないですけれどね。父はマッターホルンに登るのにちょっと経験はあるのだと思いますが、クライミングはやっていないので。
――今年65歳になる私がやっているんですから、まだチャレンジしてほしいですよね。
安間●えっ、小玉さん65歳なんですか。僕の父は今年で60歳ですから、見習ってもうちょっとアクティブに頑張ってほしいです。
――息子さんが凄く頑張っているからそれで充分満足なのかもしれませんねえ。
安間●うーん、僕が学生のころは宇都宮って練習場所が少ないので、よく週末は県外に連れて行ってくれたんですよ。それで自分から息子にモチベーションが移っていったんですかね……でもまた父にも機会があればなあとやっぱり思いますよね(ニッコリ)。
父が導き息子が歩んだ世界覇者への道その2――「世界で3番目」
――と、話を戻しますが、小学校の終わり、中学校の始めからクライミングに魅せられた安間さんは、すぐに大会などに出始めるようになるわけですが……。
安間●そうですね……ここでもやっぱり父の影響がありますね。
――はい。
安間●父から「クライミングの大会があるけど出てみようか?」と言われたんですね。室内でやる大会ではなくて、興味があれば岩場に出ていくということもあったのでしょうが、言ったとおり父は別に岩場に詳しいわけでもないですし、中学生くらいの子供が外の岩場を登るというのも、なんかケガとかして怖そうじゃないですか。それで視線が大会に向かって行ったんですね。
――大会に出たのはリードですか、それともボルダー?
安間●リードですね。今から12年前になりますけれど――僕、いま24歳ですからちょうどクライミング歴12年になるんですね(笑)――12年前はボルダーはブームにちょっとなりかけのころで、そのころクライミングと言えばリードでしたね。僕もその当時からリードがすごい得意でしたから。
――得意のレベルが違うのでしょうね、これ(笑)。
安間●ジムに行ったら延々とトラバースして、100手とかやるのが好きでした(ニッコリ)。
――やっぱり違う(笑)。
安間●それで大会に出てのめり込んで行ったんです。最初に出たのは中学1年生の9月……でしたかねえ。栃木県の今市市で年に一度のコンペがありまして、それに参加しました。
――気になる成績ですが……。
安間●ジュニアで2位でしたね。高校3年生まで出られるカテゴリーですね。これ、いまでも覚えていますが、登ったルートのグレードがたしか「11a」で、中間にちょっと遠いセクションがあって取ることができず、登れなかったんですけれどね……。
――そんな時代もあるんですねえ……(しみじみ)。でも上級生どころか高校生を押しのけてですしね。
安間●そうですね。高校生だと山岳部の人がクライミングを囓っている感じでしたね。
――でも最初の大会でその成績だと、気は早いと言われても「目指せ世界!」じゃないですか?
安間●ははは、それは……ただまあ、この大会だけの話でなく、父の「コイツはひょっとしたら世界への可能性が……」という気づきには相当支えられていたんだと思います。僕は大会に出てその結果を受けて、悔しいとか「こうやったらもっと上手く、強くなれるかな?」というような視点になるんですが、父は「この子は○○のジムに連れて行ったらいいかな?」とか「××の大会を経験させたらいいかな?」というようなビジョンになっていたと思いますので。
――安間さんは「こうやったらいいかな?」というように大会後に思ったりと、言わば楽しくクライミングをやっていたのがメインでしょうが、それをお父様の場合は先を見て、導いていったということでしょうね。
安間●そうですね。ゆっくりと確信を深めていったとは思いますね。そう思っていくのは、国内のユースの大会……中学校2年生くらいで国内の大会は優勝し始めたんですけれど、その翌年にワールドユースというのに出て、最初は10位だったんですよ。それが高校1年生の夏には3位になりました。
――それって世界で3番目……
安間●そうなんです。「あれ、世界中の同年代の中で3番か……」ってしみじみと思ったんですよ。で、実は決勝3位、準決勝2位でしたが、予選は1位だったんです。
――世界中の同年代で1位だった時間がある!
安間●そうですよね。自分の中で「これいったいなにが起きているんだ?」と思いました。自分はただ平凡な学生だと思っていたのが、世界の1番で予選を通過して、結果も3位のところにいる――このころからですね、自分も世界を意識するようになったのは。
父が導き息子が歩んだ世界覇者への道その3――ワールドカップ
安間●そして翌年、高校2年生のワールドユースで優勝するんですけれどね。そのときには受け入れていましたね。「自分は世界で戦える存在なんだ」と。
――ほおおおおおおお。
安間●それでワールドカップには16歳から出場できるんで、高校2年生=ちょうど16歳。僕は9月が誕生日なんで、それで16歳になって10月のワールドカップに出場したんですよ。
――待たれていましたね、ワールドカップに(笑)。
安間●そうかもしれませんね(ニッコリ)。
――でもそこまでだとクライミング歴で5年くらいですよね。世界ユースというのももちろん、ワールドカップというのは世界中からトンデモない人たちがいるわけですよね。
安間●当時よく覚えているのは、「ワールドカップは日本の大会とは違う!」というのはいろいろな人に言われました。外国人選手は大きいから、小柄な日本人は手が届かない課題でも彼らは一手一手が遠くに伸びてくるよ、と脅されていてですね。実際に怯えていました(笑)。
――ははは。
安間●その10月のワールドカップに行ってみたら、本当に外国人選手は大きくてビックリしましたよ。
――そのときのことって覚えておられますか。
安間●はい、9位だったんですよ。で、8位までなら決勝に出られたんで、悔しいな、惜しかったな……とは思っていたんです。でもファイナリストの登りを見ていたら、これがやっぱりすごい。手よりも肘のほうが上にあるんじゃないかという追い込まれ様なんですが、それでもグイグイ上がっていく。そんなに頑張るクライマーの登りを見たことなかったんです、僕。
――私もないと思います。
安間●人間はあんなに追い込まれていても登れるのか、世界のレベルは凄いっ!って、もう憧れましてね。自分もそんな力を身に着けようって、上を見ることでまた意識が変わって目標も上がりました。そこからまたのめり込みました。これは本当によく覚えています。
――そうなると練習なんかも変わったんでしょうね。
安間●そうですね。僕はけっこう“トレーニング理論”が好きでして、その当時はオーストリアがとてもトレーニング理論が進んでいたんです。なので1カ月とか滞在して、現地のトレーナーさんに理論を教わり、それを日本に持ち帰ってひたすらやったりしましたね。“”どれくらいの時間、負荷をかけたらこうなる”という理論を、クライミングでの登りで役立てるよう、頭に入れてやっていました。
――高校時代からそれは凄い……と言っても、安間さんの年だとわずか6年前だったりするんですよね(笑)。
安間●オーストリアに行ったのは高校3年生の夏休みを利用してでした。冬季五輪の開場だったインスブルックの施設が安かったし、朝起きたらすぐにジムに行けたんで楽しかった……ですけれども、英語も喋れない高校3年生ですから若干ホームシックな感じもありました(笑)。
――そのころ、トレーニングってどれくらいの時間、やられてたんですか。
安間●5時間……くらいですかね。
――5時間……(驚)。次の日もう使いモノにならないわ(笑)。
安間●そうですよね、ツラいですよねえ(笑)。いまはそんなにトレーニングしないんですけれども、当時は多少疲れてても動けましたよね。
――安間さんの言う当時というのは24歳の数年前なんですから……(絶句)。
安間●ははは。まあそんなトレーニングのおかげで、それ以降はワールドカップでも徐々にファイナルに出て、表彰台に上がって……ってなっていきました。
――そしてクライミング歴10年でワールドカップの総合優勝までたどり着くんですから……。
安間●そうですね(笑)。
――これは安間さんが踏んできた「世界3位?」から、最初のワールドカップでの意識の変革、それにトレーニング理論ももちろんとして……お父様の導きも大きかったですね。
安間●はい、それはそうでしょうね(ニッコリ)。
――お父様は本当に満足、充実されているかもしれませんが、やっぱりそれならばご自身もまた山に登ったり、ボルダリングも始めてほしいですね(笑)。
安間●そうですね。ジムに行って誘ってあげてください。ははは。
コンペティションという“勝負”
――ところで、安間さんが制覇した室内でのクライミングの魅力ってどんなところでしょう。
安間●そうですね……コンペティションのおもしろさ、魅力というのは……“勝負”と言いますかね。人間と人間の勝負、と言いますか。
――どの選手も登る直前までどんな課題になっているかわからないじゃないですか。それなのに特に一流の人はどの選手もハンコを押したみたいに同じ格好で登っていきますよね。
安間●あ、それはそうですね。
――それなんか見ているだけで凄いと思うのですが、大会はオブザべーション(課題を見ることができる時間)は何分間なのでしょうか?
安間●6分間ですね。
――そうなると、凄い高い壁だと上のほうとか見えませんよね。
安間●まあホントにちょっとだけ見て、って感じになります。
――でも、見たことがある、触れたことがあるホールドだと、ちょっと見ただけで「あ、あのホールドならここに手掛かりが……」ってわかったりするっていいますよね。
安間●はい。実は日本ってジムが盛んなので海外のホールドを輸入する業務も豊富で、世界中のホールドがあると言われています。なので知っているホールド、多いんですよ(笑)。次に取るホールドの形がわかっていると安心するんですね。
――なるほど。
安間●最近のルートの傾向ですと、休むポイントが少ないんです。なので、次のホールドとの間を2、3秒で決断しなければなりません。躊躇したら終わりですから、登る前に腹を決めて行きます。なので、知っているホールドで休めると大きいんですね。
――カンというものは累積して始めて活かされるんでしょうね。
安間●そうかもしれません。僕がよく思うのは、肉体の限界よりも先に脳の限界が来てしまうんです。パニック状態になって、諦めちゃって終わる。
――はいはい。
安間●そこでの頭のフレッシュ感が、最後の2手とかで出ますね。それで勝負が決まることも多いと思います。
――肉体の限界よりも脳の限界、ですか
安間●絶対的な強さの差って、ひょっとしたらそんなところかもしれません。
――今の分析や、ここまでのお話しを聞いていると、安間さんがとても理知的に一手を進めて世界チャンピオンになったのが見えてきますね。
安間●そうですか? だと嬉しいですね(笑)。
野口家ではボルダリングのホールドも扱っているので、
プライベート・ウォールまでにズラッとホールドが並んでいる。壮観
岩場への思い、そしてその後……
――コンペティションの話をうかがいましたが、安間さんは屋外の岩場についてはいかがですか。
安間●僕が岩場によく行くようになったのは……大学に入ってからですね。最初にもお話ししましたが、始めた当初からジムばかりでしたから。いまはワールドカップが終わってから、11月くらいから行くようにしています。けっこうハードなルートですが。
――中と外というのはまた違いますよね。
安間●はい、それはもちろん。先ほども言ったようにコンペというのも、選手間の勝負の場としてとても楽しいですが、岩場にも別の魅力がありますよね。勝負ではなく、自分自身がどれくらいできるのかを知ることが出来るというか……。
――端的にジムでやるより……怖いですよね。
安間●怖いです怖いです(笑)。“壁から落ちた”というトラブルは同じでも、落ち方によってもどこの壁にぶつかるかわかりませんしね。でも、自然の中で岩を登るというのは、最初に手掛かりにしたところが馴染まなくても、やっているうちに段々と馴染んできて登れるようになったりする。そういうおもしろさが魅力のひとつでしょうね。
――今年もそんな岩場の前にワールドカップですかね。
安間●ワールドカップにつきましては、7月にフランスで2戦、シャモニーとブリアンソンで優勝することができました。そしてブリアンソンの後に岩場にも行きまして、セユーズを登ってきました。
――お、途中にも岩場を挟んだのですね。
安間●はい、セユーズは夏が絶好のシーズンなので、このタイミングというのはワールドカップのシーズンでもあります。実はセユーズを登りに3週間行くというのは、ワールドカップの試合を欠場しなければなりません。それはリードのワールドカップ3連覇を諦めることにもなるのですが……。
――えっ?
安間●はい。なるのですが、それでも登りに行きたかったんです。今年の大きな目標は岩場、だったんです。いつもと同じ目標では、それはつまらないですし、成長もしないかもしれませんから。
――それは高校2年生で最初に出たワールドカップで、とんでもない外国人選手を見て意識も目標も上に進んだのと同じですね。
安間●はい、そうですね。
――ということは、またこの先にさらに進化した安間佐千を見られることになるわけです。
安間●そうなるよう頑張りますね。
――最後にひとつうかがいます。安間さんの活躍をご覧になったり、Rock&Wallにやって来ていただけるお客さんなど、ボルダリングやクライミングに対する注目は非常に高まっています。そんな中で第一人者としてこれから安間さんはどう動かれるのでしょうか。
安間●そうですね……僕だけでなく、ボルダリングやクライミングをやっている多くの人の中で、ひとりでもいいからボルダリングやクライミングをする“意義”を見つけていきたいと思っています。
――意義、ですか。
安間●はい。「どうしてこのスポーツを行なうのか」という意義ですね。それを誰かが見つけたときに、今よりも多くの人や、世の中にこのスポーツが浸透すると思うんです。たとえばですが「ヨガ」というのは誰かが意義を見つけたことで、全世界で行なわれているのではないでしょうか。肉体的でもいい、精神的でもいい、またそのほかでもいいので、壁を岩場を登る意義を見つけていきたいな、と思います。
――この先さらに進化した安間さんが見つけてくれることを信じています。今日はありがとうございました。
安間●こちらこそ(ニッコリ)。
――またRock&Wallにも遊びにいらしてください!
安間●ありがとうございます。今度は厳しい課題をお持ちしますね。ははは。
構成:松本伸也(asobist編集部)
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読み物 : VIVA ASOBIST 記:小玉 徹子 2014 / 11 / 04