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Vol.91 和田賢一
――"スゴさ"溢れるライフセイバー、いざ夢の世界一の座へ

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【プロフィール】
和田賢一
1987年東京都出身、ライフセーバー(式根島ライフセービングクラブ所属)

幼少期から野球に取り組み、将来を嘱望される選手となったが、高校時代にあることでプロ野球選手になるという夢を失う。その後、世界一の選手になるべく様々なスポーツに挑戦している最中に出会ったライフセービング競技の「ビーチフラッグス」でメキメキ頭角を現し、わずか3年で全日本種目別選手権(12年)を制す。現在は日本代表選手として、世界有数の全豪選手権で日本人初となる2位に輝くなど大活躍中。夢の“世界一”は目前に迫りつつある。

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あけましておめでとうございます。
栄えある2015年の一発目は、いま世界一に上り詰めようとしている方が登場です。
世界一を狙うライフセーバー、和田賢一!
「ビーチフラッグス」という競技に出会う前、そして出会った後、
彼の周りにはいつも“スゴいっ”が溢れています。
さあ読んでくれ!



――今回はライフセービング競技の「ビーチフラッグス」で日本代表として活躍している和田賢一さんにご登場いただきます。
和田●こんばんは。よろしくお願いいたします。
――まず和田さんにうかがいますが、ライフセービング競技というものはどういうものなのでしょうか。
和田●はい。主に海辺にいるライフセーバーという存在はごぞんじかと思いますが、そのライフセーバーが人命救助や海難事故の防止に繋がる技術や訓練のための競技として、オーストラリアから広まりました。
――ということは和田さんもライフセーバーさんなのですね。
和田●そういうことになりますね(ニッコリ)。
――その競技の中の「ビーチフラッグス」ということになるわけですね。
和田●そういうことです。ライフセービング競技は浜辺や海で行なう「オーシャン競技」と、プールでの「プール」競技で、合わせて27種目あります。「ビーチフラッグス」の場合は「オーシャン競技」ということになりますね。
――少しだけ見た覚えがある「ビーチフラッグス」のことは次にうかがうとしまして、他の競技種目にはどんなものがあるのですか?
和田●思い浮かべていただける海難救助的なものはたいていありますね。僕がやっているビーチフラッグスと同様の種目としては砂浜を90m疾走する「ビーチスプリント」やリレーの「ビーチリレー」、長距離走として2キロを走る種目もあります。
――砂浜で2キロは厳しいですね......(遠い目)。
和田●あとプールでは、泳いで25m地点に沈んでいるマネキンを救出し、そのまま25mを帰ってくる「マネキンキャリー」なんて競技もあります。あとプールで溺れている人にロープを投げて30秒以内に救う(「ラインスロー」)、泳いだ後にパドルボードを漕いで......というトライアスロンみたいな過酷な競技......文字通り「アイアンマン」という競技などもあります。
――本当に人命救助などを念頭に置いた競技ばかりなのですね。
和田●『尊い命を守る』、これがライフセーバー競技だと僕は思っています。山に登られたりもされるているわけですし、ぜひ挑戦なさってみてください(笑)。
――ありがとうございます。とりあえずは、和田さんに守っていただくことがないように海で安全に楽しみたいと思います(笑)。
和田●ははは。
――それで「ビーチフラッグ」なのですが......見たことありますよ。
和田●おお、そうですか。ありがとうございます(ニッコリ)。
――はい、テレビ番組(TBS系『筋肉番付』等)で、ですけれども......(笑)。
和田●はいはい。たまにテレビのコーナーでやっていましたよね。そのおかげでライフセービング競技の中では日本でいちばん有名だと思います。
――実際に浜辺でやっているのを見たのでもないですし、ルールなどもよくは知らないのですが......。
和田●テレビでもほとんど変わりはないはずですよ。目標であるフラッグを背に、うつぶせになって合図を待ちます。そして合図と同時に起きあがってフラッグを目指します。先ほどのスプリントは90mでしたが、こちらはフラッグまでの距離が20mです。
――そのフラッグを取った選手が勝ち、ということですよね。
和田●そうです。決勝などは1対1での試合になりますが、最初の試合など人数が多いときは選手数より1本フラッグが少なくて、取れなかった選手が脱落、というように争います。
――テレビでは飯沼誠司さんや、女性の遊佐雅美さんがよく出ていたのを覚えています。
和田●おふたりとも全日本選手権を何連覇もした名選手ですよね。飯沼さんは「アイアンマン」などの種目でしたが、遊佐さんは「ビーチフラッグス」の第一人者です。そんなふうに覚えてもらえる、世界一の選手に僕もなりたいと思っていますよ(ニッコリ)。

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20m先のフラッグへダッシュ、「ビーチフラッグス」競技中の勇姿
プロ野球選手になりたかった少年

――和田さんがライフセーバーとしてライフセービング競技を始められたきっかけは、やはり子供のころからの流れがあるのですか。
和田●いや、小さいころからいちばんに、世界一とかになりたいと思っていましたが、最初は違いますよ。
――あら? お生まれが海の近くとかだと勝手に思っておりましたが......。
和田●東京都の江戸川区出身です。
――海の近くとも言えなくはないですが、それはちょっと違いますね(笑)。
和田●はい。僕は小さいころからプロ野球選手になりたくて、小学生のころからずっと野球に打ち込んでいました。
――現在、世界レベルの競技者である和田さんですから、野球でも相当な実力者だったのですよね。
和田●そうですね......結局、高校3年生まで野球に関わって、野球のために生活していた感じですよね。小中学生のころは人よりもやはり上手だったと思いますし......。
――はい。
和田●その時分でプロ野球選手になりたいとなれば、やはり春夏の甲子園に出られる高校にも進もうと考えますよね。それで僕は日大鶴ヶ丘(日本大学付属鶴ヶ丘高校)に通うことになったんですよ。
――おおお、甲子園に出られるどころか、14年夏には実際に西東京代表で出場しているじゃないですか。
和田●はい(ニッコリ)。その野球部に入ってから......たとえば来月始まるプロ野球のキャンプのときなど、高校生はもちろん大学や社会人から入った選手なんかでも、「プロの練習に付いていくのが精一杯」ということをよく言っていますよね。中学校で野球をやっていても、高校で強豪校に入ったらまったく付いていけないなんてことによくなります。
――和田さんもその壁に......。
和田●いや、「これならなんとかなるな」って思えたんです。
――あらっ(笑)。でもそれはスゴイですね。
和田●これならばしっかり練習して、甲子園にも出て、そしてプロ野球選手の道へ......というのが現実的な気がしてきました。ところがそこからが、なんですよ。
――はい?
和田●ボールを投げられなくなったんです、まったく。
――えっ?
和田●いわゆる"イップス"というものなんですが、送球イップスになってしまいました。まあ、実はもう少し前からその傾向はあったのですが、このときはまったく投げられなくなったんです。
――イップスはゴルフのパッティングで起こるのはよく知られていますが......。
和田●そうですね。「このパットを外しちゃいけない......」など、精神的に追い込まれて発症すると言われていますが、僕の場合は「なんとかなりそう」だから「しっかり相手のミットに返して......」などと思ううちに投げられなくなりました。"完璧主義"なところもあるのかと思います。
――それはもう1年生のときから、ですか。
和田●そうですね。「なんとかなる」と思ってしばらくしてからでした。
――もう症状が出なくなることはなかったのですか。ゴルフなどはイップスからの復活という話を聞いたりましますけれども。
和田●3年間ずっとでしたね。そのときのコーチがいい方で「なんで投げられないんだ」ではなく「気にするな気にするな」と言ってくれていましたし、結局のところ3年間まっとうしましたがもうボールを投げることができませんでした。これで僕の小さいころからの夢は挫折してしまったんですね。それで「もう忘れよう......」と思いました。
――なんと......(絶句)。

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※取材協力:株式会社フォトクリエイト
和田●そんな中で大学に進学したのですが、僕の中ではなにかスポーツの分野で世界一になりたいとやっぱり思い出したのですよ。なので、バスケットボールをやったり格闘技をやったり、テニスをやったりしました。
――野球がダメでも諦めずに、他の道で世界一を目指されたというのは素晴らしいです。
和田●ですが、どれも挫折してしまうのですけれどね。まあ一朝一夕に......というのはあるのですが......。たとえば当時、いま話題の錦織圭くんが、一部の人の間でちょっと話題になりかけたような時期でした。
――いまや誰しもが知るテニスの錦織選手ですね。
和田●彼は四六時中テニスラケットを握っているということだったので、僕も意識があるうちはテニスラケットを握って生活しようとしたんですよ。授業に出ているときでもごはんを食べているときでも。そして大学内を移動するときにあるちょうどいい壁には壁打ちをしてから通る、なんてことをしながら、学校が終わったら練習に明け暮れる......。
――......なんかスゴい話になってきましたが(笑)。
和田●テニスのサークルに入っていたのですが、そこは毎日お酒を飲み歩くようなサークルだったのですね。僕はその飲み会には一度も行かなかったんです。それで、そのサークルの大会に出てみたところ......。
――圧勝したわけですね。
和田●いや、なにもさせてもらえない惨敗でした(笑)。そこでテニスでの世界一は遠いな、と。そんな挫折も味わいました。
――そのサークルの人たち、スゴいですね(笑)。
和田●そうですね(笑)。

野球を失った青年の“運命の出会い”

――そんなテニスでの挫折などもありつつ、ついに自分にあった競技にたどり着きます。
和田●はい。いろいろと挑戦は続けていましたが、野球のようにそれで生きていけるところまではたどり着かなかったわけですから、就職を考えますよね。
――そうですね、生活をしないといけませんから。
和田●それでスポーツトレーナーになって、その道を極めていこうと思いました。やっぱりスポーツには関わりたいですからね。
――わかります、その気持ち。
和田●あ、ちなみに現在でもトレーナーとしての活動もあります。所属している会社がいろいろと理解をしてくれているので助かっていますよ。
――和田さんに教えてもらえるのなら、ジムとかに通っちゃうかもしれませんね(笑)。
和田●ははは。それで大学在学中にいろいろと勉強をし始めたのですが、そこで人命救助の講習なんかも必要なんです。
――人に運動を教えるのですから、万一の時の対応は身に着けておく必要がありますもんね。
和田●はい。それで心肺蘇生の講習に出掛けた先の主催が日本ライフセービング協会だったんですよ。
――ここで運命の出会いとなりました。
和田●そのときに講師の先生に言われたんですね。「あなたの大切な人が目の前で倒れたとき、その人を助けることができますか?」と。
――おおお、重い問いかけですね。
和田●そこでガツンとやられまして、命を守るライフセーバーとして活動しようとも思ったんです。
――そこでライフセービング競技とも出会ったんですね。
和田●はい。実際には海で友達とやってみたりはしてたのですが(笑)、そこで競技としてしることになりました。いろいろな種目はありましたが、僕は野球でもダッシュが得意だったりしたので、それを活かせるビーチフラッグスがハマりました。
――ついに野球に変わる世界一を目指すものが目の前に現れました。
和田●はい(ニッコリ)。日本ではマイナーですが、僕が世界一になることで競技を知ってもらい、そして、尊い命を守ることに繋がるのも知ってもらいたい。それがそれからの夢になりました。
――そして今に至るわけですね。競技者としては何年......。
和田●えーっと、5年ですね。
――5年......って、ずいぶん短いですね(驚)。やはり才能があったんですね......。
和田●いや、ずいぶん練習はしましたよ、やっぱり。大学在学中から競技を始めていましたが、卒業してトレーナーとして働く傍らに公園の砂場とかで......。
――えっ(笑)。
和田●やはりビーチフラッグスと言えば砂浜ですから、公園の砂場で何万回とうつぶせから起きあがる練習をしました。端から見ましたら......やはり変な人に思われていたと思います(笑)。夜にやっていてお巡りさんに声を掛けられたこともありました。
――私でも恐る恐る「なにされているんですか?」くらいのことは聞いちゃうと思います(笑)。
和田●ははは。でも都会で練習するには公園の砂場がいちばんいいですよね?
――そうですね、たしかに(笑)。競技大会にはすぐに出場なさったんですか。

wada_b.jpg和田●すぐでしたね。初めてすぐの09年に神奈川オープンという大会に出場しまして優勝しました。
――いきなりスゴイっ。
和田●ですが、その年の全日本選手権は予選で負けてしまいました。それでまた練習に打ち込みまして......。
――公園での反復練習されている様子が目に浮かびます、はい。
和田●次の年(10年)の全日本選手権では2位になったりしつつも、優勝まではたどり着かなかったのですけれど、12年の全日本種目別選手権で優勝することが出来ました。
――ということは、わずか3年で日本一になってしまったわけですね......やっぱりスゴイですね。
和田●そのときの決勝での相手は植木将人さんという、世界ナショナルチーム選手権のビーチフラッグスで2位(2度)になったことがある選手なんです。勝てたのはすごく嬉しかったですし、自信になりましたね。
――そうなると和田さんの夢、世界一が目の前に見えてきますね。
和田●はい。ですが世界の壁はやはり厚いですし、僕も現状のままでは勝てるとは思えなかった。砂場での練習が15万回を越えたころでしたね(笑)。本場に武者修行に行くことにしたんですよ。
――ビーチフラッグスの本場と言いますと......。
和田●ライフセービング競技の発祥の地、オーストラリアですね。そこで全豪選手権のビーチフラッグスで10回も優勝したことがある伝説の選手、サイモン・ハリスさんに教えてもらおうと考えました。
――世界一になるために、本場での名選手に弟子入りですね。
和田●そのために日本食のレストランでアルバイトをしながらゴールドコーストに住みまして、サイモンさんの練習場所に行くのですけれども......なかなか会ってくれませんでした。
――えっ、"とりあえず行ってみた"って話ですか、まさか。
和田●はい。
――......スゴイですよね、やっぱり和田さん(笑)。
和田●それで結局は1カ月くらい通ったら練習は見せてくれても「NO VIDEOだ!」と言うのですよね。撮っちゃダメだ!ってことです。なので見て勉強を......ではなく、隠し撮りしまして(笑)、それで練習と研究をしたんです。
――どれくらいの期間ですか。
和田●5カ月ですね。で、サイモンさんの素晴らしい技術は"世界最速の立ち上がり"なのですが、その秘密がちょっとわかってきまして、取り入れてみたら自分でも早く立ち上がれるようになったんですよ。
――文字通り盗撮から技術を盗んだわけですね(笑)。
和田●そうしましたら僕の新しい立ち上がりを見たサイモンさんが「お前はその技を身につけたのか!」と驚き、「じゃあ俺が実際に伝授してやる」と教えてくれたんですよ。
――おおお、ついに本当の師匠になってしまいました。
和田●はい。そしてその後......今年(14年)の3月に行なわれたゴールドコーストの州の大会に出場し、決勝の相手がサイモンさんだったんですよ。
――素晴らしいストーリーですよ、それ。
和田●そして僕はサイモンさんに競り勝ちまして、優勝することが出来ました(ニッコリ)。
――もうスゴい大河ドラマですよ、和田さんっ。
和田●はい。その勢いのまま1カ月後の全豪選手権で日本人初の2位にもなることができたのも、サイモンさんとの5カ月の賜物ですね。
――今度は師匠のほうの逆襲を期待しちゃいますね。
和田●いや、それがサイモンさんはそのときにケガをされてしまい、その後はまだ競技に復帰されていないんです。
――あら、それは大変ですね。回復されて和田さんと世界一を争ってもらいたいですね。
和田●はい。サイモンさんの回復を祈っていますよ。

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取材後には武者修行前の壮行会も行なわれた。驚きの渡航先は後ほど
目指せ世界一、あのスーパースターと練習へ

――しかし和田さん、野球を失うという無念を乗り越え、着々と世界一に近づいていますね。
和田●ありがとうございます。ただ、全豪選手権でも2位だったように、最後の最後に走り負けてしまっているように、まだまだ壁は厚いのが現状です。
――世界一にはまだ走力が必要なのですか。
和田●はい。僕は陸上は初心者だったので去年から陸上のコーチに見てもらうことにして、100mのタイムが飛躍的に伸びたのですよ。いまは最速で10秒8です。
――陸上の選手でもいけるタイムじゃないですか。
和田●いやいや、そんなことはありません。で、世界選手権で優勝するレベルですと、10秒の前半から中盤で走る選手ばかりなので、20m先のフラッグまでに10cmほど差がついてしまう。この差は大きいんですよ。
――とても長い10cmなのですね。
和田●はい。その差を埋めるべく、再び修行の旅に出ようと思っています。
――おおお。再びオーストラリアの地に行かれるのですね。
和田●いや、今回はオーストラリアではありません。陸上競技としてのタイムを縮める方法ですから、単純に「足の速い人たち」と練習をしようと考えました。で、国内の学校などにお願いをしたのですが、僕は陸上選手ではないのでなかなか受け入れていただけなかったのが、ある海外のチームに受け入れていただけることになったのですよ。
――はい。
和田●「レーサーズ・トラッククラブ」というところでして、場所はジャマイカです。
――ジャマイカで"足の速い人"と言いますと、まさか......。
和田●はい。ウサイン・ボルトさんなども所属されているチームです(ニッコリ)。そこでもう一段、上を目指したいと思います。
――和田さん、なんか今回は"スゴいっ"ばかりですが、やっぱりスゴいっ。
和田●今回のお話しが公開されるとき......元日ですか。そのときはジャマイカ2カ月目くらいですので、どうかFacebookなどでご覧になってください。
――どうか和田さん、気を付けて行ってらしてください。それで近いうちに「和田賢一、世界一!」の報に接せられる日を楽しみにしています。
和田●ありがとうございます(ニッコリ)。そして読んでいただいたみなさん、明けましておめでとうございます。
――ありがとうございました!

wada_d.jpg構成:松本伸也(asobist編集部)











読み物 VIVA ASOBIST   記:  2015 / 01 / 01

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