なん通りもの意味を味わう
日本語を英語に訳すとき、一つの言葉に対し、いくつもの単語があてはまることがある。
先日、「助ける」ということばをどの英語で使うか、という話になった。
“help” “support” “resuque” “assist” “save”…などいろいろあるが、どういう解釈で使うかによって、意味が異なってくることを改めて面白いと思った。
ひとつひとつのことばを直訳すると「助ける」やカタカナで「サポート」「アシスト」といったように意味が出てくるが、そのシチュエーションや言葉からのイメージを頭に思い浮かべるとき、私たちが口に出す言葉はなん通りもの意味、解釈を持っていることに気づく。

例えば”help”というと、どんなイメージがあるだろうか。
もう「お手上げ」「どうすることもできない」とあげた両手をつかんで、状況を変えるようなイメージや、「手助けする」というような感じが浮かんでくる。
“resuque”は窮地に立たされて、どこにも動けない人をピンポイントで救出するようなイメージ。がけっぷちの人をヘリで釣り上げるような感じ。
“assist”は動きやすいように周りを片付けてあげるようなイメージ…というように、それぞれの単語をイメージでとらえると意味の解釈が直訳ではなく広がってくる。文脈の前後を読み取り、どの「助ける」がこの場合ふさわしいのかと吟味し、訳を付けていくのだ。
そう考えてみると、私たちが普段使う日本語も、はたして受け取る相手は同じイメージで言葉をうけとっているのだろうか?
もしかすると、イメージの齟齬があり、伝えたかった意味で伝わっていないこともあるかもしれない。100%自分の想いを受け取り側も同じ意味でとらえていることは実は少ないのかもしれない。
だからこそ「想像する」ということが必要となる。
あいてのどこにこの言葉が飛んでいくのか。どう解釈されるのか。そこまでコントロールすることはとても難しい、いや言葉をもっては不可能なのかもしれない。
だからこそわたしたちは、同じイメージをもっているかを会話することで推し量っていく。また、相手の立場や経験値や年齢などから、伝わっているであろうことを想像していく。
そういった、コミュニケーションのやりとりこそ、言語というツールを持った人間らしい行為であると思う。

英語の格言で”in her shoes”ということばがある。
これは、直訳すると「彼女の靴で」という意味だ。それぞれに合う靴が違うように、「相手の立場に立って」物事を見るということ。その人の靴を履いてみて初めて、つまりは相手の立場に立ってはじめて、その人の想いや考えがわかる、ということだ。
SNSがどんどん発展していく中で、私たちは一方通行のコミュニケーションに陥りがちではないか。言葉の意味や、解釈を考え、相手を慮り、何度も言葉を交わしていくからこそコミュニケーションのツールとして言語は育っていく。
希薄な言葉のやり取りではなく、意味をじっくり味わうような、コミュニケーションを楽しむ余裕が現代の私たちには必要なのかもしれない。





