緑なのに「青信号」?なぜなのか、その理由を言葉と歴史から整理する
信号はどう見ても緑なのに、なぜ私たちは当たり前のように「青信号」と言うのでしょう。子どもの頃から耳にしてきた言葉なのに、改めて理由を聞かれると意外と説明が難しいものです。
実はこの呼び方には、日本語の色名の歴史と、信号機が日本に入ってきた当時の経緯、さらに法令上の表記が絡んでいます。この記事では、難しい専門用語を避けながら、
- そもそも昔の「青」はどこまでの色を含んでいたのか
- 信号機のルールは最初どう決められ、なぜ「青」が残ったのか
- 海外の“green light”と何が違うのか
を順番に整理します。読み終わる頃には、「青信号」の青が、ただの言い間違いではないことが腑に落ちるはずです。

1. 「青」は昔から“青だけ”じゃなかった:青葉・青菜の世界
「青信号」の青が変なのは、私たちが現代の感覚で“青=ブルー”に固定しているから、なんですよね。でも日本語には、緑に対しても平気で「青」を使う例がいまも残っています。青葉、青竹、青菜、青りんご。どれも“緑”です。なのに「青」。
この感覚について、JAFも「緑を青と呼ぶのは、日本語の『青』が表す範囲の広さに由来する」と説明しています。要するに、昔の「青(あを)」は色相の担当範囲が広い単語で、いま私たちが“緑”と呼ぶ領域の一部も、気持ちよく飲み込んでいた。言葉って、いったん広く使われると、後から境界線を引き直しても痕跡が残ります。「青信号」は、その痕跡がいちばん目立つ場所に居座っている——そんな感じです。
2. 実は最初は「緑(緑信号)」だった:制度と生活語のすれ違い
もうひとつの鍵は、信号機が日本に入ってきた初期の“呼び方”のズレです。日本初の電気式信号機は、1930年(昭和5年)に東京・日比谷交差点に設置された、というポイントがよく引用されます。そして当時の法令上の扱いは「緑信号(緑)」と書かれていた、という説明もあります。
ところが面白いのはここから。制度の文章が「緑」でも、人々の口は「青」を選びがちだった。日本語として“青”が自然だったからです。結果、新聞などの紹介を通じて「青信号」が広がった、という見立てが語られています。さらに、「交通信号の日(8/20)」の由来として、1931年8月20日に銀座や京橋などへ国産の自動信号機(3色)が設置された、という整理もあります。“最初”には複数の定義がありつつも、昭和初期の導入期に「青」という呼び方が社会に染み込んでいった空気感は、だいたい共通しています。
そして戦後、1947年に制定された道路交通取締法では「青色」として記され、現在の制度にもつながっている——とJAFは説明しています。つまり、生活語が勝った(そして制度側も、結果としてそれに寄った)。ここが「青信号」のいちばん“人間っぽい”ところです。

3. じゃあ色としては何色?:緑だけど、ちょっと青みがかっている
ここで気になるのが、「とはいえ実物は緑だよね?」問題。答えは、わりと身もフタもなくて、緑寄りの“青緑”っぽい領域に置かれている、が近いと思います。視認性の都合や規格の範囲の中で、国や地域ごとに“緑の幅”があり、日本は比較的青寄りの緑を採用している、という説明も見られます。だから、
- 目は「緑」と判断する
- でも脳内のラベルは「青(進めの色)」で呼び続ける
この二重構造が成立する。
「色名」は自然界の境界線じゃなくて、人間側が引いた線なんですよね。青と緑の間はそもそもグラデーション。だからこそ、“呼び名の歴史”が勝ち残りやすい。
4. 海外はどう呼ぶ?:基本は “green light”、でも日本が特別すぎるわけでもない

英語圏だと、進めはだいたい “green light”。この点だけ見ると、日本の「青」は変に見えます。でも逆に言えば、日本はたまたま「青」の守備範囲が広かったので、その文化的な地層が信号に露出しただけ、とも言えます。JAFも、青と呼ぶ理由として「日本語の『青』の範囲が広い」ほか、「赤の対極が緑ではなく青」「三原色が影響した」といった説があることを紹介しています。海外が合理的で日本が変、というより、言語と制度が出会う場所で、どの言葉が残るかの違い。その程度の話です。
5. まとめ:「青信号」は言い間違いじゃなく、言葉の歴史がそのまま残った“化石”
青信号が青いかどうか——この問いに、色見本で答えようとするとモヤモヤします。でも「言葉の歴史」と「制度の歴史」で見ると、スッと腑に落ちます。
- 「青」はもともと緑も含む、広い色名だった
- 導入初期は制度上「緑」でも、生活語としての「青」が定着していった
- いまは法令でも「青色の灯火」として明記され、公式にも“青”になっている
信号を待つ数十秒って、たいてい“何も起きない時間”です。でも、その一瞬に「青信号って何だっけ?」と引っかかれるのは、日常の中でいちばん健全な知的好奇心かもしれません。





