平山ユージ ―― 2020年東京オリンピック・スポーツクライミング応援シリーズ―5―
2015年8月にJOC(日本オリンピック委員会)で2020年東京オリンピック追加種目として新たに5競技が選定され、スポーツククライミングもその一競技として正式にIOC(国際オリンピック委員会)に提案されました。2016年8月にはIOCによって正式種目として最終承認された旨、公式発表がされました。この素晴らしい決定を歓待し、世界のクライミングの新しい時代の幕開けを喜び、さらには2020年の日本選手の目覚ましいばかりの活躍を心から応援したいものです。そこで「VIVA ASOBIST」では「2020年東京オリンピック・スポーツクライミング応援シリーズ」と題し、日々研鑽を重ね続けるスポーツクライミングの選手やその周辺に焦点をあてて、皆様にご紹介したいと願うものです。
プロフィール
平山ユージ(ひらやまゆうじ)
プロフリークライマー
15歳からクライミングを始め日本国内の難関ルートを次々に踏破。高校在学時、既に日本のトップクライマーの仲間入りを果たす。
17歳でアメリカ合衆国へ渡り、半年間フリークライミングのトレーニングを積む。
19歳の時に単身フリークライミングの本場ヨーロッパへ渡り、フランス・マルセイユを拠点に数々の国際クライミングコンペに出場。1989年のフランケンユーラカップ優勝をはじめ上位入賞の好成績を残す。
- 1997年:アメリカ合衆国ヨセミテ渓谷の岩壁(1,100m、サラテルート)を2日間で完登。
- 1998年:日本人初のワールドカップ総合優勝。
- 2000年:2度目のワールドカップ総合優勝を果たす。
- 2003年:再びヨセミテ渓谷エルニーニョのオンサイトトライ。日本最難ルート・フラットマウンテン(5.14d/15a)初登。
- 2004年:スペイン・ホワイトゾンビ(8c)オンサイト。
- 2010年:国内最大級のクライミングジム『Climb Park Base Camp』を設立。
そのクライミングは芸術の域であり、世界一美しいと評されるクライミングスタイルで「世界のヒラヤマ」として知られる。
国内外のクライミング選手の統一ランキングシステム・ワンボルダリングを提唱。自身のプロデュースによるコンペクライミングコンペTHE NORTH FACE CUPは国内最大級の大会であることはもちろん、海外でも重要な大会としての認識が定着している。
テレビのニュース画面に、2020年東京五輪でのクライミングの正式種目選択決定に対して喜びを語る平山ユージさんの姿を見た人は多いだろう。「ただ長くクライミングを愛して続けてきた立場でそこに立って、ひとこと言っただけです」とは本人の弁だが、日本の、いや世界のクライミングをここまで牽引してきたレジェンドの存在の大きさは誰しもが識っているところだ。
また彼の構築してきた世界があったればこそ今のチームジャパンの活躍もあり、それが故にクライミングがオリンピック種目として日の目を見ることになったとは、世界中が認めるところなのだ。
さてさて今、レジェンドの目にオリンピックがどう映っているのか、さらにその先のクライミングの輝ける未来をどう結ぼうとしているのか、とくとその話に耳を傾けてみようではありませんか!
子どもの夢をはぐくみ
国内外のクライミングレベルを押し上げる
クライミングのオリンピック進出
小玉:クライミングがオリンピック正式種目に決まりおめでとうございます。
平山:そうですね。世の中に大きく門が開かれたような感じがしますね。
小玉:何年か前に、オリンピックの件をお訊ねしたことがありますが、その時は難しいのではないかとおっしゃっておられたような記憶があります。時代が進んだのだなと感じています。
平山:オリンピックの話は、今から30年前からあったんです。90年代の初めにいったん盛り上がっていました。そこから現実味がなくなってフェイドアウトしていったんです。IFSC(国際スポーツ クライミング連盟)の会長さんが強い意志でオリンピックにしたいと願っておられて、それが本当に実ったのだと実感します。2年前に来日された時に、話をしました。マルコス・クラリスという、イタリアの方ですが、オリンピック種目に押し上げると自信をもたれていたので、今度の東京オリンピックで日本に協力を要請されたのではないかと推測します。
正式なオリンピック種目になったことがクライミング界のためにどう役に立つのかという点で、僕自身もそうですし、周囲も色々と考えたと思います。オリンピックとともにやっていけたらよいと僕は個人的には思っています。クライミングの本質的な所を忘れずに、オリンピックの流れに乗れれば将来は明るいと思います。
小玉:クライミング種目に選択されることが可能になった背景がまずは30年前からあったと聞きますと、やはり近年のクライミング自体の盛り上がりが日本だけではなく、世界でも広がっていると考えていいのでしょうかね?
平山:近年の盛り上がりは、アジア圏内で考えると、最も盛り上がっていたのが、日本だったと思います。それに韓国が追随する流れだったのですが、それが30年前です。今はアジア各国が力を入れてきていますが、日本がクライミングの歴史が長いので、少しリードしている感じに見えます。ですが韓国もそれなりに強いですし、中国も見ているともの凄くオリンピックを見据えている気もします。
シンガポール、フィリピン、台湾、韓国、中国、香港…ベースキャンプにもアジア圏から大勢、クライマーが登りに来ますが、クライミングが国際感覚を持ちながら前に進んでいる手応えを感じます。近年のクライミングの盛り上がりは確かに急上昇していて、オリンピックブームが拍車をかけていると。
小玉:先日、佐藤祐介さんたちがピヨレドールアジアを受賞されましたけど、日本の岩場での観点からの受賞でした。様々に波がきている感があります。国内の山でも海外の人が多いです。「ここは日本?」というくらい、中国や台湾、韓国からの登山者をしばしば見かけます。おそらくは、向こうの山岳専門誌みたいなものに紹介されているんだろうと思います。
だからポピュラーな岩場に行ってもそういう人たちと遭遇する。そういう風潮は東京オリンピック開催の誘致が東京になったということと、クライミング種目が追加種目で承認されたということで、海外のクライマーへの反響も大きいのではないかと思います。
平山:そうですね。特にアジア圏の影響の大きさは感じますね。たとえばワールドユースの結果を去年と今年で見比べた時に、伝統的に強い国が以前からはっきりしてはいますが、全体的にレベルが押し上げられてきています。いろいろな参加国の参加人数が増えている中で強い子たちが出てきてる感じがあって、クライミング界の影響は大きい。競技レベルが上がってきています。今は日本の選手たちが、とくにボルダーの世界では強いという印象はありますけど、1年2年先は闇です。
小玉:みほうちゃん(野中生萌さん)も、そうおっしゃってました。後4年の間にユースの人たちが、どんどん上がってきて、どういうふうにひっくり返しがあるか分からないから、油断がならないと。
平山:その競争力が日本にあって、それが今、競技レベルの向上になってます。世界選手権の結果にも繋がっているのでしょう。
小玉:誰も登れなくて、みんな落ちちゃった所をパーンって飛んで、「うわ凄い!」と思って。
平山:オリンピックの流れがある中で、先ほどのピヨレドールの話にもありましたけど、オリンピック種目になった事で広がりが出てくる。一般の人が入りやすくなったり、コアな部分での評価もしっかり分かる人がアンテナを張ってくれていることが嬉しいですね。
どうしても金メダルにばかり目がいきがちですが、しっかりとその部分は継承していって欲しいです。オリンピックムーブメントとともに、エネルギーを割いてほしいですね。
小玉:2020年オリンピック東京の誘致、あるいはクライミング種目の承認というのに関わっていらしたと思うんですけど、どういう経緯、経過でどういう役割を担われるようになったのですか?
平山:僕はマルコさんからの協力の要請だったんです。で、その後日本の協会(日本山岳スポーツクライミング協会:2017年4月、日本山岳協会は名称変更になる)委員の方から連絡があって、東京でオリンピック種目になるチャンスがあると聞きました。自分の中では半信半疑だったんですけど、一石を投じることが良いのか悪いのかと迷いもしましたが、クライミング入口を広げるということを喜びとしてとらえてもいいのではないかと思いました。関係者のエネルギーを真摯に注いでいければ、クライミングの本質的な部分も崩れないと考えました。
もうひとつは、キッズたちのオリンピックと聞いた時の反応の大きさですよね。そこが最終的に頑張ろうと決意する後押しになりました。あまり、いろいろ考え過ぎるとマイナスに思えることもありますが、そこはシンプルに広い入口がオリンピックによって訪れて、それによって小さい子たちの夢が実現するということが貴重です。
小玉:小学校低学年からやってますよね。
平山:僕自身も小さいころオリンピックで金メダルを獲りたいという夢がありました。僕には叶わなかったけれど、今クライミングをやっている子でそういう興味を持つことは悪くない。
小玉:6月の時点でふと気づいたんですけど、ともあさん(楢崎智亜さん)、ふじいさん(藤井快さん)が世界ランキングの1位2位を争っていると聞いて、世界ランキングって何時からできたのか疑問になりました。平山さんの提唱されているワンボルダリングというコンセプトに関わりがあったのではないかと。
平山:ランキングは90年代からありました。89年かな?その中からナショナルチームがランキングを出しているのですが、ワールドカップを交えたランキングで、フランス国内では誰が強いかというランキングがありました。フランスへは19歳で渡って、27歳までいましたが、日本に帰ってきて現状をみると国内の大会の価値が無かったり、ワールドカップ参戦選手は海外にばかり目がいって、国内のランキングを見るとランキングに入っていなかったりという状況でした。
自分もそうでした。一戦しか出てないから、その一戦で優勝しても10位だったり。だからもうちょっと国内での正しい物差しがあったらいいと考えたんです。
それと、これからクライミング界が広がっていくだろうという予測の中で、いろんなレベルの中で戦えるようにしたくて、ディビジョン制のランキングを付けていったらいいのではと思い当たりました。発想は10年くらい前からあって、提案もしていました。国内大会に注目が薄くて、どうしたら発展させられるかと考えた時、ランキングが必要ではないかと。
小玉:ノースフェイスカップ、ジャパンカップもランキングに影響している感がありますね。
平山:僕らのは民間なので、その中で魅力をどう出していけるかを考えます。僕らがやっていることが徐々に周知へと深まっていくのでしょう。
小玉:そのようにスタンダードが構築されていくとキッズたちも日本で、地元でも頑張れば、やがて世界が開けると希望が持てるようになりますね。
平山:世界で金メダルが獲れる道筋が見えるようになってくる。始めた子も最初からあそこを目指すとわかってくるんですよね。
それがあまり強調され過ぎると、ともすれば弊害も出るかもしれません。外で登る楽しさや自由な発想でというクライミングの意識が薄れてしまうということはありますね。今後そこをどうしていくのかが課題です。
小玉:聞くところによると競技者にも外岩は大きな意味がある。どうしたって、スタンスを置くのにもジムのホールドよりもニュアンスが要求される。そういう丁寧さや繊細さを足先や指先が憶えるという点で、登りに丁寧さが身につくと室内壁での反応が違ってくる。キッズや若い人たちはインドアから入ってアウトには行かないという形の方もったくさんいらっしゃいますが、なんとか誘って行きたいところです。
平山:オリンピックを目指して行くといっても、1人2人ですもんね。出られるのはね。そう考えていくと、それ以外の子たちにどんな夢を…と考えて行けば、自分の中で物差しをもって、その中でアウトドアに行く、そうすれば登ったこともないような岩だったり、行ったことのない国で登ったり、いろんな夢が花開くのかなと。