平山ユージ ―― 2020年東京オリンピック・スポーツクライミング応援シリーズ―5―
小玉:フランスとかイタリアのチームが後ろからいっぱい来てるんです。私が遅いから、「ジャポネ、レエ」って怒っているんです。
平山:みんな勝手だから、言わせとけばいいんですよ。
小玉:ヘタクソなんだけど、ヘタクソなりに楽しめて、命自体を震わせる感じが好きですね。
平山:あれだけ高い所に登ると、凄い景色も見るんでしょうね。
小玉:ヨーロッパアルプスが、バーっと見えて、素敵でした。
小玉:最後に、日本だけではなくて、世界でクライミングがどういう風に進化していって欲しいとお考えですか?
平山:今、確実に大きな影響を与えているのはオリンピックで、そこで始める人たちが、自分としてはより多くの人たちが、クライミングを好きになってくれて、外岩にいったり、海外ツアーにいったり、クライミングを通して人生を豊かにしていって欲しいと思います。クライミングの本質的なところが薄れていかないように、クライミングのことを考えてくれる人がもっと増えて、それぞれが新しい分野を切り開いてくれる、そんなクライマーが増えてくれればいいですね。
この間のユースケくん(佐藤祐介さん)とか、くらかみ くん(倉上 慶太さん)みたいなクライマーだったり。今までそういうスタイルはなかったですよね。日本では。ボンって上がった瞬間があのルートだったと思うので、彼みたいにいろいろなことができる、あういうものも入口が広がって、ものすごいアイディアで押し上げていって欲しいですね。
*2016年4月、倉上慶大&佐藤祐介ペアが瑞牆・十一面岩正面壁・モアイフェースの「千日の瑠璃」(5.14a R/X 7ピッチ) のワンプッシュ・チームとしてフリーでのクライミングに成功した。2015年10月に倉上さんが初登、第2登が佐藤さん。全7ピッチ。1ピッチ目の 5.12 PD から始まり、5.13c R、5.14a R、5.13d R/X と高難度な上に R や X が付く危険度の高いラインで、非常に冒険的。ビレイ点以外ではボルト類を一切使用せず、ナチュラルプロテクションのみで登っており、スタイル的にも最上とされている。
小玉:大きな意味でいえば、山に登ることもクライミングですよね。
平山:そうですね。いろんな形があると思うんですよね。面白いことがどんどんできると思いますね。
小玉:ユージさんが押し進めておられるワンボルダリングというのは、クライミングの発展への貢献度は高いと思います。
平山:どうですかね。ワンボルといってもノースフェイスカップで保てている感じですけど、将来的には、理想としてはクライミングを通していろいろな人が繋がって、それこそ全世界で、「みんな友達なんだ」みたいな感じで登れたらいいんですけど。
小玉:何年前だか、ほんのすぐ何年前にほまれちゃんがノースフェイスカップに出た時は、ストマジだったって。
平山:そうですね。2007年です。
小玉:1日で終わりでしたと。えらい違いですよね。
平山:それを言うと、いちばん最初は参戦数が47人でスタートでしたからね。それが今は1800人。大きくなりました。
ワンボルに関しては自分の理想の範疇でしか成立しないと思うんです。ここから先はどうなっていくのか?もしかしたら既に自分の限界点に達してるのかなと思うところもあります。さらに考えてこの先のビジョンを描いていかないと、伸びられなくなっているのではないかと感じます。そこはスタッフと話しながら前に進めていきたいですね。みんなと手を繋いで前に行く形にしないと、今後の発展はなかなか望めないような気がします。
クライミングがオリンピック種目にもなったし、次の時代の到来ですね。ステージが一段階上にあがった気がします。クライマーだけだった世界がいろんな企業も入ってきて。クライミングを知らない人たちの世界で僕らは、渡り歩いていかないといけない。日本での常識が通用しない所もあるでしょうし。恐いですね。
小玉:未だにスピードを競うとしか思ってない、リードもボルダーもごっちゃごちゃな人が山盛りいらっしゃるから。
平山:しばらくは荒波の中で僕らももがくんでしょうね。
小玉:若い選手層が育ってきて、すごく楽しみですね。
平山:その若い子から僕らも学んで、前に進んで行かないとね。
小玉:楢崎兄弟みたいに、兄弟、姉妹でやってるというキッズもいっぱい増えいくでしょうね。めいちくん(楢崎明智さん)なんか「とにかく兄貴に勝ちたい」って言っていて、可愛いんです。
平山:可愛いですね。仲良くトレーニングしてますね。
小玉:明るい日本のクライミングって感じがしますね。そして、燦然と輝くレジェンド、ユージさん。
平山:輝いてますか?どうだろう?
小玉:輝いてますよ。
平山:どうなって行くのかな?やってみたい目標もあるんで。
小玉:15は、どのくらいになるんですか?足が治られてからですけど。
平山:もうやりたいルートは決まっていて、自分が10年前にやっていた所を、登り切りたいなと。人生の宿題といってるんですけど。
小玉:ルートはできているんですか?
平山:もうできているんです。初登されているのが2002年なので。それを追いかけているだけです。スペインのルートです。
小玉:日本でも作っておられましたよね。
平山:日本でもあるんですけど、最近そこには行ってないんです。
小玉:スペインのどの辺ですか?
平山:バルセロナから車で2時間くらい内陸に入った所です。
小玉:どなたが開かれたルートですか?
平山:一番最初にボルトを打ったのが、アレクサンダー・フーバーといってドイツ人ですね。その後初登したのが、ラモン・ジュリアン。地元のクライマーです。15aです。
小玉:今、15cが最高なんでしょ?
平山:そうです。それもスペインです。そこから近いです。2017年は治ったらスペインに行きます。
小玉:今日は、お怪我なところありがとうございました。
*平山さんは2016年9月、室内ボルダリング練習中に右膝を負傷。人生初の手術を受けたが、そのリハビリ中、医師の許可がまだ下りていないにも関わらず、左片足で12aを登って、周囲を驚かせた。