野中生萌 ―― 2020年東京オリンピック・スポーツクライミング応援シリーズ―1―
「クライミングで行く!」中学生時に見定めた道、あとは突き進むだけ!
小玉:クライミングに触れたのはいつのことですか?
野中:小学校の3年生、9歳の時にPUMP1・川口店へ行ったんです。
小玉:それって、どこかに行った帰りとかですか?
野中:いや、それを目的として。
小玉:へ〜。なんか川口湖で水遊びをしてとかじゃなくて?
野中:ではないです。
小玉:あそこって、三つ峠というハイキングコースや岩場がありますよね。
野中:はい。
小玉:そういうことでもなく、川口店に行ったんですね。どなたと行かれたんですか?
野中:家族です。
小玉:じゃあ、お姉さんたちやご両親みんなでクライミングされたんですか?
野中:そうです。
小玉:最初にボルダリングをやられた時って、どういう印象でしたか?
野中:純粋に楽しい。アスレチックをやるみたいな感覚で。
小玉:小学校とかって中学年になると部活みたいなのがあるじゃないですか?それは何を?
野中:吹奏楽です。
小玉:中学の時は?
野中:中学も吹奏楽です。
小玉:ブラスでボルダリングもって感じですか?
野中:小学校3年生からサックスが出来たんですけど、中学の時はドラムをやってました。吹奏楽は、休みの日も早い時間から遅い時間までずっと活動するので、両立が難しくて、途中で辞めました。
小玉:小学3年生の時、川口で初めてボルダリングに触れて、その後、ずっと継続してどこかに練習しにいってたわけですね。ご近所に。
野中:そうですね。リードをこれからやらなければいけない、苦手だったので、そこでPUMP2号店に行って練習していました。
小玉:中野島の?私、通ってますけど…
野中:リードやらなくなってからは、行かなくなったんですけど。
小玉:あら、残念!野中さんのロープの登り、生で見られるところだったのに(笑)
小玉:スポーツは、他に何か?
野中:少しだけ、体操を習っていました。あんまりスポーツはやってませんでした。音楽をやってました。エレクトーンだったり。バレエもやってました。
小玉:ダンスの方ですね。何時ごろですか?
野中:保育園の時から小学校の低学年まで。
小玉:バレエの経験が生きていますか?
野中:柔軟性はやはり、やってよかったと思います。
小玉:体幹なども?
野中:そうですね。
小玉:バレエをやっていたけれど、クライミングに触れたらそっちの方がいいと思われたんですか?
野中:そうですね。体操は楽しかったし、今でも機会があったらやりたいくらい好きなんですけど、結局クライミングが一番やりたくて、クライミングに集中するために、他のやりたいことは辞めました。
小玉:すごく進路決定が早いですね。
野中:そうですね。
小玉:それは中学くらいですか?
野中:そうですね。
小玉:高校も通信制を選択されたのも、クライミングに集中するためだったのですね。
野中:そうです。最初は普通課へ入学したんですが、トレーニングやコンペ参戦、海外遠征など、様々との両立を考えて通信制に編入しました。
小玉:お母さんに向けては何かありますか?
野中:強制はしてほしくないですね。強制されるとやりたくなくなるので。楽しく登っていたら積極的にやると思います。
小玉:川口以降は、みなさんと家の近所に行かれているんですか?
野中:その時、同じ歳の子もいなかったので、たまたまパンプに尾上彩ちゃんがいたんで、そういう子たちと登りたくて行ってました。
小玉:家族で楽しむエクササイズみたいな雰囲気が良いってことですね。
野中:そうです。
小玉:「頑張らなきゃ」ではなくて「楽しむ」姿勢を大事にしたいということですね。