小武芽生 ―― 2020年東京オリンピック・スポーツクライミング応援シリーズ―6―
中学2年生で国際大会、初出場
いきなり2位で表彰台
頑張れば「いける」!!!
小玉:中学くらいから大会に?
小武:初めての国際大会が中2のアジアユースかな?シンガポールに行って、2位になれてビックリして、もっと頑張れば、もっていけるのかなって思いました。
小玉:中学から、国内や海外の遠征は土日ですめばいいけれど、そうじゃない時は?学校を休まないといけないじゃないですか、許可をもらわないといけないでしょ。
小武:W杯は高校生からだった。高校が私立の学校でクライミングにも関心があって、公欠にしてもらって、ギリギリいけたました。大学は公欠がなくて4回までしか休めない。だから4戦までしかW杯出られないんですが、今年は5戦で、夏休みがあるから全戦出られる予定です。
小玉:短大って授業を全部出ないと単位がとれない仕組みになっているから大変ですね。
小武:ほとんど必修で、高校並みにぎっしり授業もあるし、でも自分で選んだし、後1年なので頑張ります。
小玉:留学されてますけど…。
小武:高校2年の時に、私のいった高校が英語科で、1ケ月留学しなきゃいけなくて、1ケ月じゃ意味ないから10ケ月と思って、向こうでクライミングする気満々だったんですけど、飛ばされた先がフロリダで、フロリダって、岩も山もない地域で、クライミングは出来ず戻って来ました。高3の6月に戻ってきて、クライミングを再開した感じです。
小玉:英語科って聞きましたけど、高校で専攻があるんですね。
小武:英語科、音楽、普通科がありました。好きなことを勉強できました。
小玉:高校の英語科と留学の10ケ月で、海外へ行っても全然困らないでしょ。 小武:なんかしらの方法でコミュニケーションはとれるので。気持ちは楽です。楽しいです。
小玉:留学生活で印象に残っていることは?
小武:辛かったことは、多かったと思うんですけど、楽しいことしか記憶に残らないので。高校ではソフトボールやってました。外野で走り回って。
小玉:体幹を鍛えるにはよかったかもしれないですね。
小武:体育の授業でアメフトとかありました。アメリカですから。子供がやるようなしっぽをつけて、それを取る感じです。
小玉:国内戦では2010年に13回ジュニアオリンピックで2位になられてます。
小武:始めての全国大会の表彰台で、がむしゃらに頑張ったらいけて、頑張って良かったと思いました。表彰台に登ったことは、自分の中では大きいですね。北海道だと周りが見えないので、自分がどれだけ強くなったら全国の何位くらか全然分からないので、とりあえず強くなろうと思いました。
小玉:2013年、日本ユース、リード1位。どんな感じですか?
小武:始めての優勝だったので、2位だと悔しくて、世界ユースもかかっていたので、世界に行きたくて、印象深いですね。
小玉:2014年は、日本ユース、リードで、また1位。
小武:高1ですね。高校選手権で優勝した年だと思うんですけど、その時は調子が良くて、落ちる気がしなかった。東京国体では、リードでもボルダーでもどっちも優勝できて、勢いにのっていました。中3で、体型が変わって体重が増えて、不調だったんです。その時に諦めないで登り続けたら結果が出ました。
小玉:女子の場合は節目が大変だっていいますよね。
小武:女子特有です。ユースの時は最初は勢いがついて強くなるけれど、その後振るわなくなってクライミングから離れちゃう子もいます。
小玉:それは食べ物の質とか量とかのバランスが関係あると感じられましたか?
小武:その時は、何を食べても太っちゃうので。でも筋肉が付いてくる歳だったので、中2、3からはボルダーをメインにやりました。
小玉:大会はユースの場合、ボルダーがなかったんですね。今は?
小武:3年くらい前から鳥取でユースのボルダリングのコンペも。
小玉:2015年のジュニアオリンピックのリードで2位でしたけど、どんな感じでしたか?
小武:復帰戦でした。6月に帰って来て、8月の大会だった。アメリカで太って戻ってきたのを2ヶ月しか戻す期間がなかった。1年ぶりで2位で、その時は妥当な順位だったと思っています。その後に肩の怪我をしてしまって。
小玉:2016年リードジャパンカップで2位。
小武:代表枠をとりたかったので。ジャパンカップの表彰台は始めてでした。
小玉:初の国際大会、シンガポール戦はどういうのか憶えてます?
小武:すい壁のルートでした。気温が熱くてスコールも来て、壁が濡れると、セッターが雑巾でホールドを拭き出す。その時はなにも背負ってなかったので、ガムシャラに登りました。そしたら2位だった。